第五話 母親の呪われた遺伝子が私を暴走させる!
五十メートルを走っただけなのに、フルマラソンを完走したような疲労感に襲われて、四時限目をほとんど思考停止状態で過ごした後、お昼休みになった。
学生食堂に食べに行っているのか、売店に食料を調達しに行っているのか分からなかったけど、クラスの半数以上の生徒が教室から出て行った。
私の周りも、後ろの席の喜多君を含め、四方の生徒が全員いなくなって、私は静かな雰囲気の中で、お弁当箱を開いた。
周りを見渡してみると、既に何組かのグループが一緒にお弁当を食べていたけど、ほとんどの生徒は、さすがにまだ一人でお弁当を食べていた。
倉下さんも自分の席でお弁当を食べていた。初日に話し掛けられてから、クラスの女子の中では、倉下さんのことがちょっと気になっていた。
普段から美少女モノのイラストを描いている絵師としては、リアルで可愛い女の子を見ると、創作意欲をかき立てられる。倉下さんにコスプレさせて、ポーズを取らせたいくらいだ。
お弁当を食べ終えて、いつも持ち歩いている小さなイラスト帳に、新しいイラストの構図を考えながらラフに描いていると、今朝、喜多君の周りにたむろしていた女子三人組が倉下さんの席に近づいて行っているのに気がついた。
呼び掛けられた倉下さんが、三人組に取り囲まれるようにして立つと、最初こそ笑顔で話していたけど、次第に困ったような顔つきになっていった。
三人組は、そんな倉下さんの様子は意に介さないように、盛んに倉下さんに話し掛けていたけど、倉下さんは何も話せずに、もじもじとしているだけだった。
モテモテの美少女を、クラスの女生徒がいびるという、ドラマでは定番のシーン?
――はあ~、駄目だ!
また、私の悪い癖が出て来た!
人を困らせている人を見ると、一言、言わないと気が済まない癖だ。
けっして高尚な正義感とかじゃなくて、何と言うか、一種の化学反応と言っていいだろう。おそらく、母親の遺伝子が原因だ。
私は立ち上がり、三人組の背後に近づいて行ったけど、三人組は気づかずに、倉下さんに話し掛けていた。
「劇団にいたのなら、芸能人の知り合いもいるんでしょ?」
「あ、あの、少しですけど」
「じゃあ、ジョニーズの三宮君と同じ現場にいたことないの?」
「……一回だけ」
「本当に! 今度、三宮君のサインをもらって来てよ」
「私も!」
「そ、それはちょっと……」
「え~、そんなこと言わないでよ~。今度、パフェおごるからさ」
「あ、あの……」
「そうだ! 撮影現場に私達を招待してくれることとかできないかな?」
「私も行きたい!」
「……」
「ねえ、あなた達」
私が背後から呼び掛けると、三人組は、びくつきながら振り向いた。
「びっくりした!」
「もう、急に話し掛けないでよ!」
「心臓停まるかと思った~」
――毛が生えてそうな、あんたらの心臓は、こんなことじゃ停まらねえよ!
「一方的に自分達の希望を押し付けているけど、まだ、俳優養成学校に通っている倉下さんが、有名な芸能人にそんなこと頼める訳ないじゃない!」
「え~、そうなの?」
三人組が揃って、倉下さんの顔を見ると、倉下さんは申し訳なさそうにうつむき加減になり、「はい」と小さな声で言った。
「な~んだ。そうなんだ」
三人組は、外れた宝くじを見るような顔をして、倉下さんから離れていった。
と言うより、不機嫌そうな顔をして、にらみつけている私から逃げて行ったという方が正確だろう。
「あ、あの、河合さん」
倉下さんの大きな目には、今にも溢れ出そうなほど涙が溜まっていた。
「ああ、ごめんね。余計なことしちゃって。倉下さんが困ってるような気がしたからさ」
私って、本当に空気になりきれない。どっちかというと毒ガスだ。
でも、周りが静かになるのは同じだけどね。
私は、立ち尽くしている倉下さんに背を向け、自分の席に戻ると、構図作りに没頭した。
その日の午後は、各クラブの一年生勧誘活動の時間だった。
運動系や文化系の各クラブが、一人でも多くの新入生に、自分達のクラブへ入部してもらおうと、グランドや体育館、部室などで、実技を披露したり、作品を展示したりしていた。
そもそも部活をするつもりもなかった私だけど、せっかくだからと美術部の部室に行ってみた。デッサン力が高まれば、表現できる幅が広がる気もしたからだ。
でも、展示されている絵は確かに綺麗に描かれているけど、私の心を打つものが無かったし、描いていてもつまらなそうだった。
配られた資料を見てみると、講堂では、そろそろ吹奏楽部の出番になってる頃だと気づき、ひょっとしたら、アニソンの演奏をするかもとの淡い期待を抱きながら、講堂に向かった。
校舎から講堂への渡り廊下に差し掛かった時、前から倉下さんが一人で歩いて来ているのに気づいた。
倉下さんは私に気づくと、少し気まずいような顔をして会釈をした。お昼休みのことは、やはり余計なことだったみたいだ。
「あ、あの、河合さん!」
すれ違いざまに倉下さんに呼び止められた私は、倉下さんの方を向いて立ち止まった。
「何?」
「あ、あの、さっきは、……ありがとうございました」
「えっ?」
「助けてくれて」
「私は、あなたを助けたって意識は無いんだけど」
そう、私は、倉下さんを助けようとした訳ではなく、あの女子三人組に物申したかっただけなのだ。
「いえ、……あの、私、……実際、困っていたので」
「どうして?」
「私、子供の頃から劇団に入って芸能活動はしていたんですけど、エキストラとか端役でしか出演経験がなくて、河合さんが言ったみたいに、実際に、みなさんが知っているような芸能人の方に気軽にサインを頼めることなんてできないんです」
「なら、ちゃんとそう言えば良いじゃない」
「でも、私を頼って来てくれているのに、何だか申し訳なくて」
もじもじとしながら話す倉下さんは、それはそれで可愛いかったけど、愛想笑いを浮かべながら、どっちつかずの態度に終始する奴が大嫌いな私の癇に障った。
「倉下さん! あなた、いつも八方美人でいたいんじゃないの?」
「えっ?」
「誰からも嫌われたくないんでしょ? だから、自分が嫌だって思っても、人に向かって嫌だとはっきり言えないんでしょ?」
「……」
「そんなことじゃ、結局、友達無くすんじゃない?」
「……」
「まあ、私みたいに友達なんていらないって言うのなら、私の言ったことは無視してもらって良いけど」
「……」
「……ごめん。また言い過ぎたかもしれない。って言うか、言い過ぎた。私の独り言だと思って、聞き流して」
私は、立ち尽くしている倉下さんをそのまま残して、講堂に向かって歩き出した。
人から干渉されることが大嫌いな私は、自分から人に干渉することもしなければ良いんだけど、腹に据えかねることがあると、口をつぐんでいることができなくて、つい憎まれ口を利いてしまい、言い返してきた人には遠慮無く毒を吐いてしまう。
だから、私には友達ができないんだろうけど、友達が欲しいとは思っていない私は、そんな自分を改めたいとも思わなかった。
結局、吹奏楽部もクラシック系の曲しか演奏しなくて、睡魔に襲われてきた私は、講堂から出て、ぶらぶらと校庭に行った。校庭のあちこちでは、運動系クラブが実技を見せながら勧誘を行っていた。
喜多君と谷君が並んで歩いて来ているのが見えた。二人の出身中学は、確か、違っていたと思ったけど……。
「あっ、河合さん!」
喜多君に呼び止められる心当たりはなかったけど、とりあえず、私は立ち止まった。
「谷、悪い。ちょっと河合さんと話があるんだ。先に戻っててくれるか」
「おう、じゃあな」
校舎に戻って行く谷君と別れて、喜多君は、にこやかな笑顔を見せながら私に近づいて来た。
「河合さん、昨日、アニメックで会ったよね」
「ええ」
「河合さんもアニメとか好きなんだ」
「ええ」
「アニメックにはよく寄ってるの?」
「ううん。昨日、初めて」
「そうなんだ。家は、アニメックの近くなの?」
「何で、それを喜多君に教えなきゃいけないの?」
――本当、可愛くない女だな、私って。
「い、いや、ごめん。そうだね」
喜多君は少し頭を下げたけど、すぐに笑顔で私を見た。
「アニメ好きな人が近くにいて、ちょっと嬉しかったんだ。河合さんの帰り道に近いのなら、一緒にアニメックに行けたら良いなって思ってさ」
何が面白くて、この無愛想な私と一緒に行きたいなんて言うんだ?
イケメンだけど、無節操な女たらし野郎なのか、こいつは?