第四話 美しい容姿と高い能力値は特定の人物に集中するらしい!
入学式の日の夜。
深夜勤の母親に代わって、私が夕食を作って、父親と二人で食べた。
テレビの音だけが響く、会話の無い食卓だったけど、母親がいると、そのマシンガントークで蜂の巣にされる上、相づちを打つことを求められることが鬱陶しかったから、父親の無口さが、むしろ心地良かった。
食事を終えると、さっさと後片付けをして、テレビの前に陣取っている父親を残して、自分の部屋に戻った。
私がツイッターにインすると、既にタコ太郎さんがいた。
『こんばんは、タコ太郎さん』
『こんばんは、いかすみさん』
『今日、初めて、池梟のアニメックに行ってきた』
『えっ、そうなの? いかすみさんって、池梟の近くだったんだ』
『住んでいる所は違うけど、学校が近くなの』
『家は結構遠いの?』
『そうでもない。電車で二十分くらい』
『そうなんだ。池梟のアニメックには、僕もよく行ってるんだよ』
『タコ太郎さんも池梟の近くに学校があるの?』
『家が池梟にあるんだ』
『すごーい!』
『何がすごいのか、よく分からないけど』
都心に住んでいるのが、素直にすごいって思った。
そして、タコ太郎さんと知り合って三か月ほど経つけど、お互いにどこに住んでいるのかも知らなかったことに気がついた。もっとも、ネット上の友達は、どこに住んでいるかなんて意識することはないから、当然と言えば当然なのかもしれない。
『いかすみさんは、何時頃、アニメックに行ったの?』
『お昼前くらい』
『その時間帯なら、僕もいたよ』
『本当? ひょっとしたら会ってたりして』
『そうかもね。ねえ、せっかく近くにいるのなら、一度、会ってみない?』
ユニットを組んで活動しているにもかかわらず、そのパートナーのリアルなことについて何も知らないというのは変なのかな?
でも、今のままでも創作活動にはまったく支障はない。
タコ太郎さんから、公開前の「フェアリー・ブレード」の原稿をメールで送ってもらい、私は、それを読んでイメージを膨らませてから、挿絵となるイラストを描いて、タコ太郎さんに送る。タコ太郎さんが「小説家になりやがれ」のサイトに、小説データと挿絵データを一緒にアップすれば完了だ。ちょっと確認したいことがあっても、PCメールでやり取りすれば十分だから、実際に会う必要性はない。
タコ太郎さんが、リアルでどんな人なのか興味はあるけど、実際に会ってリアルな関係ができると、変な遠慮が出て来たりして、言いたいことが言えなくなるような気がする。そして、それはユニットとしての活動にプラスとなるとは思えなかった。
『高校生活も始まったばかりだし、描きかけのイラストがけっこう溜まっているから、今は、ちょっと無理かも』
描きかけのイラストが溜まっているのは事実だ。
『そうかあ。残念だけど、僕の脳内で会ったことにしておくよ。ところで、学校って高校?』
『うん。今日、入学式だった』
『僕もそうだった』
同い年だということが、これではっきりとした。
『それはそうと、今日、アニメックで驚愕の風景を見たよ』
『どんな?』
『母親と一緒にエッチなアニメのDVDを買ってる男の子がいてさ。ある意味、すごい勇気あるよね』
――あれっ?
これまで、すぐにリプが返って来ていたのに、急に途絶えた。寝落ちしちゃったのかな?。
タコ太郎さんの他には、仲の良いフォロワーさんもいなかったから、私もツイッターから離脱して、イラスト描きに専念し始めた。
ピクピクにアップする予定の新作も遅れ気味だったけど、明日までに渡すって、タコ太郎さんと約束していた、フェアリー・ブレードの挿絵の作製に取り掛かった。
ペンタブを使って、自分の頭の中にあるイメージをディスプレイの中に再現していく。
自分のイメージどおりに再現できない時も、何度でもやり直しができるのが嬉しい。その一方で、自分が納得できるまで何度でも修正するから、作業は深夜まで及ぶことが多い。
ふと気がつくと、午前一時になっていた。
母親が夜勤じゃない時は、寝る前の午後十一時頃に「風呂に入れ」と言ってくるから、そこで時間を知ることができるけど、母親がいない時は時間無制限状態で、気がつくと朝だったということもあった。
――お風呂、どうしようかな?
翌朝。
一度でも経験すると慣れるという能力が私にも備わっていたみたいで、昨日よりは少しは楽に学校に着いた。
教室に入り、自分の席に向かうと、既に自分の席に座っていた喜多君の周りに、女生徒が三人、集まっていた。
母親から「犬猫でも挨拶をするんだから、挨拶をしない奴は犬猫以下だ」と言われ続けて育ってきた私は、小さな声ではあるが、無意識に誰にともなく「おはよう」と言った。
「おはよう、河合さん!」
まだ、私の本性を知らない三人の女子は、無邪気に挨拶を返してきた。
「河合さん、お、おはよう」
挨拶を返してきた喜多君の笑顔が、何となく、こわばっている気がした。
エッチなDVDの購入現場を私に見られたことを気にしているのだろうか?
私が、自分の席に着くと、後ろで三人の女子が喜多君と話し始めた。
「喜多君って、高校では陸上やらないの?」
「中学三年の時に、足を痛めてからは、もうやってないんだ」
「そうなんだ。今も痛いの?」
「いや、もう治っていて、普通に走ることもできるよ。でも、クラブで毎日酷使することは控えた方が良いと言われているんだ」
「そうか~。颯爽と走る喜多君も見てみたかったけどなあ」
「ねえ~、きっと格好良いよね」
「今日の体育の時間に見られるんじゃない?」
そうだ。思い出したくなかったが、今日は体育があった。
そもそも、机やパソコンに向かってイラストを描いているばかりで、外で体を動かすという経験値が絶対的に不足している私にとって、体育は、難易度が超高くて、クリア不可能なイベントでしかなかった。
三時限目に、その体育の時間がやって来た。
今日のメニューは、五十メートル走測定だった。
上は紺色の長袖ジャージに、下は横に白いラインが入った暗紅色のショートパンツ姿のクラスの生徒全員が、一人ずつ順番に走ることになっていた。
先に男子が走った。
喜多君の順番になると、今までおしゃべりをしていた女子達も黙って、その走りに注目した。
号砲とともに走り出した喜多君は、その長い手足を振り子のように大きく振って、直線のトラックを走り抜けた。
「七秒〇三!」
計測していた体育教師が大きな声で言うと、周りで見ていた女子達からどよめきが起きた。
「速~い!」
「さすが~」
「走り方も格好良~い」
男子からは、神様の不公平さを恨む声も聞こえたけど、ほとんどは、あのイケメンなら仕方が無いというような、諦めの表情を浮かべていた。
男子が全員走り終わると、女子の番になった。
喜多君のダブルスコアを叩き出した私の後、倉下さんがスタートラインに立った。
本当にスタイルが良くて、出るべき所もほどよく出ている。
スタートした倉下さんは、ツインテールを後ろになびかせながら、颯爽と走り抜けた。
「八秒三四!」
演劇をしていると足も速くなるのだろうか?
それにしても、この主役級の容姿と能力を有している二人が、どうしてうちのクラスに揃っているんだろう?
喜多君と倉下さんは、たぶん、クラスだけに留まらず、学校中で注目される存在になるはずだ。
でも、それは私にとって好都合でもある。
この二人が目立つことで、全てのパラメータにおいて雑魚キャラレベルの私は、ますますその存在感が埋没していくはずだ。そうすれば、クラスメイトから干渉される機会も減り、結果的に、イラストを描く時間が確保できることになる。
私は、喜多君と倉下さんの二人が、もっと、クラスメイトの関心を集めてもらって、その反動で、私が更に空気キャラ化することを、本気で願った。