第三十四話 姉に代わってお仕置きよ!
「かすみ! どうしても行くのか?」
「行く!」
「やっぱり、オレがついて行くよ」
「来なくて良い! て言うか、来るな!」
「でもさ」
「喜多君にも絶対言わないで!」
「……」
「それじゃあ、行ってくる」
私は、立ち尽くすくらちゃんとなまこに背を向け、決闘の荒野へと旅立って行った。
シアタージョージに行くと、出入り口はどこも閉まっていた。玄関脇には、明日から上演される演劇のポスターが貼ってあった。
劇場の周りをうろちょろしていると、昨日、大道具を搬入していた通用口が開いて、何人かの男女が出て来た。
どうやら、通用口横が喫煙所のようで、全員が筒状の灰皿の周りに立つと、煙草に火を着けた。その中に則川さんもいた。
私は、煙を払い除けながら、則川さんに近づいて行った。
「則川さん」
則川さんは、私の顔を見ても反応が無かった。
「こんにちは。河合香澄と言います」
名字を聞いて、やっと思い出したようだった。
「あ、ああ。香織ちゃんの?」
「はい」
「ど、どうして、ここに?」
「ちょっと、お話があるのですが」
「何の話?」
「日曜日に池梟で一緒にいた人のことです」
顔色を変えた則川さんは、すぐに煙草をもみ消し、私に手招きしながら、早足で劇場の敷地の奥まった場所に歩いて行った。
私もすぐにその跡を追った。
劇場と塀に囲まれた狭い場所だったけど、私は、通用口から見渡せるように、塀に近い場所に立った。
通用口の近くで煙草を吸っている劇団員も、高校の制服を着た私に注目しているようだった。これだけ人の目があれば、身の安全を保てるはずだ。
「何の用だ?」
いきなり、声と目付きが変わった。
「この前の、日曜日、私は、たまたま池梟にいたんですけど、則川さんが、お姉ちゃん以外の女の人と一緒に歩いているところを見ました」
「……」
「ホテルに入るところも見ました」
「……」
「日曜日は、稽古場に缶詰にされていたのではなかったんですか?」
「香織ちゃんから頼まれて来たのか?」
「お姉ちゃんは何も知らないです。私一人の考えで来ました」
「それで?」
「お姉ちゃんには、準主役級の役だって言ってたんですよね?」
「……」
「さっき、ポスターも見ましたけど、則川さんの名前は、最後の方に小さく載ってました」
「……」
「正直に言ってください! 嘘を吐かないでください!」
「……」
「嘘なんですね? ……分かりました。お姉ちゃんに事実を話してくるから」
私は、振り返って、そこから去ろうとした。
でも、後ろから手首を掴まれて、強引に引っ張られると、両肩を掴まれて、劇場の壁に押しつけられた。
「まだ、香織ちゃんには言ってないんだな?」
「ええ、あんたがクズだってことを、ちゃんと確認してから言わないと、お姉ちゃんが可哀想だからね!」
「だったら、そのまま、黙っててくれないかなあ?」
「やっぱり、お姉ちゃんを最初から騙すつもりだったんだな?」
「騙してなんかいないよ」
この期に及んで、何を言うかって感じだ!
則川さんのふざけた態度に我慢できなくなった私は、言わないでおこうと思っていたけど、くらちゃんのことも追及せずにいられなくなった。
「則川さん。実家は、山梨なんですってね?」
「そうだけど?」
「山梨にも、再々、帰ってたんですよね?」
「それは、実家があるからな」
「その時、児童劇団にいた女の子を襲いましたよね?」
「い、いきなり、何を言うんだ?」
その動揺ぶりは自白したようなものだった。
「一緒に遊びに行った帰りに、無理矢理……」
「し、知らねえよ! 何、勝手に話を作っているんだ!」
「あなたの言うことは、もう何も信じられないです! 嘘ばっかり言って!」
「てめえ!」
「とにかく、離して! 大声を上げるわよ!」
則川さんが、一瞬、怯んだ隙に、私は、横向きにダッシュして逃げようとした。
しかし、また、腕を掴まれ、元の壁際に押しつけられると、右手で首元を掴まれ、左手で口を塞がれてしまった。
「黙れ! それ以上、無駄口を叩かないように、あの中学生と同じようにしてやろうか!」
私は、両手でポカポカと則川さんを叩いた。
でも、全然、リーチが違うから、私のパンチは則川さんの体には届かなかったし、首元を掴まれていたから、自分が暴れるほど、首が締まってきて、息が苦しくなってきた。
「大人しくしろ!」
次第に、私の両手にも力が入らなくなってしまって、ほとんど、振り上げた手で軽くはたいているような状態になってしまった。
則川さんは、自分の顔を、左手で口を塞いでいる私の顔に近づけてきた。
「へへへへ。何なら俺の口でお前の口を塞いでやろうか? まだ、キスもしたことないんだろ?」
くそう! 気持ち悪いこの手を離せ!
私は体を捻らせて、精一杯の抵抗をしたけど、則川さんから逃れることはできなかった。
――気が遠くなりかけた時!
「痛っ!」
突然、則川さんが頭を抱えて、後ろにつんのめった。
同時に、カラカラと音を立てて、小石がアスファルトで舗装された地面に転がった。
私は、押さえつけられていた手から自由になると、大きく息を吐いた。
「私の妹に何しちゃってるわけ?」
則川さんの後ろには、姉が立っていた。
その後ろには、心配そうな顔をしたなまこがいた。
「お姉ちゃん! なまこ! どうして、ここに?」
「やっぱり、心配でさ! かすみの家に電話したら、ちょうど、お姉さんが出てくれたんだ」
姉は、つかつかと則川さんの近くに寄って行った。
「香澄があんたに会いに行ったって、この子から電話を受けて、ぴーんと来たんだ。助けに行かなきゃって」
「香織ちゃん。何か誤解してるよ」
「誤解? そうだね。誤解なら良いね。でも、あんたは、最初から、少しおかしいとは思ってたんだよ」
「そ、そんな」
「それに、あんた、暴行未遂もやってるんだってね?」
「う、嘘だよ。作り話だよ」
「あんた、大根だな! 目が泳いでるじゃないか!」
「……」
私もフラフラしながら、姉の近くに寄った。
「お姉ちゃん」
「香澄。何、やってるのよ?」
「敵討ち」
「友達の?」
「それと、お姉ちゃんの」
「ば~か。自分の体力値をちゃんと把握してから行動しなさい!」
「だって、……私、どうしても、そいつを殴りたいんだ!」
「あんたの手は、可愛い絵を描くための手だろ? こんな汚い男を殴っちゃ駄目だよ」
「お、お姉ちゃん」
「それに、殴ったとしても、あんたの力じゃあ、蚊に刺されたくらいの威力しかないだろうしね」
「……」
姉は、則川さんの真正面に仁王立ちした。
「……さよなら」
そう言うより早く、姉の右フックパンチが則川さんの左頬にヒットしていた。
そして、よろめきながら尻餅をついた則川さんの胸ぐらを掴んで、無理矢理、立たせた。
「これは、香澄の友達の分だ!」
今度は、姉の右ストレートパンチが、則川さんの顔の正面にめり込んだ。
仰向けに倒れた則川さんは、鼻血を大量に出しながら、恐れおののいた目で、仁王立ちしている姉を見ることしかできなかったようだ。
「顔に傷が付いたって支障が無い程度の役なんでしょ?」
そう言い放つと、姉は回れ右して、私となまこの近くにやって来た。
「さあ、帰ろう」
そう言うと、姉は早足で歩き出し、私となまこがそれに続いた。
「お姉ちゃん。ごめん」
「ったく! これで何度目だ?」
「えっ? かすみ、こんなこと、今までにも、やってるのか?」
「まあ、少しだけ」
「生田さんだっけ?」
姉が足を止めて、なまこを見た。
「はい」
「あなたも、もう分かってると思うけど、香澄はね、自分のお腹の中に怒りを溜め込むことができないのよ」
「あっ、それは知ってます」
「はははは、やっぱり!」
「お姉ちゃん、笑いすぎだ!」
「だって、友達にも、もうバレバレなんだからさ。まあ、隠しようがないよね」
「うるさい!」
「中学の時からは絵を描くのに夢中になっていたから、少しは大人しくなったけど、小学生の時なんか、一緒に遊ぶ友達とかはいないくせに、弱い者虐めとかされているのを見ると、すっ飛んで行ってたからね。そのたび、中学生だった私が尻拭いしてたのよ」
「そうなんですか。まあ、かすみらしいと言えば、かすみらしい。それに、やっぱり、姉妹なんだと納得してしまいました」
「なまこ! 変なところで納得するな!」
「ところで、……あいつ、まだ倒れているけど、大丈夫か?」
まだ仰向けで倒れている則川さんを見て、なまこが心配そうに言った。
「言い忘れてたけど、お姉ちゃんは、小さな頃から空手をやってて、今、二段なんだよね」
「……本当に大丈夫なのか?」
「ちゃんと手加減してるわよ」
姉は、なまこから私に視線を移した。
「でも、なんだかんだ言って、香澄の方が、男を見る目は確かなのかもしれないね」
「えっ?」
「私が高校二年の時につき合っていた男、香澄、一目見ただけで、私に『あんな男、止めときなよ』って言ったでしょ? 香澄の台詞なんて、全然、気にしてなかったけど、三日後には別れてたしね」
「……」
「今回も、実は、最初から、ちょっと、怪しいなって思っていたけど、私は、見て見ないふりをしていたんだよ。私が見つけた彼氏に、もう、ハズレはいないって信じたかったからさ」
「……」
「何か、すっきりした! よーし! みんな、何かおごってやるよ! 甘い物でも食べようぜ!」
「お金が無いって、言ってたじゃん!」
「買いたい洋服があって、食費を削ってたんだけど、洋服を買うのは来月にするよ」
「何それ? ……あっ、そう言えば、くらちゃんは?」
なまこが来てるということは、絶対、くらちゃんも来てるはずだ。
「くらちんも心配して、一緒に来たけど、あいつに会わせない方が良いと思って、劇場の前で待たせてる」
「なまこ! グッジョブだよ!」
「やる時にはやるんだよ、オレは」
その後、姉からパフェをご馳走になったくらちゃんとなまこが、姉に「お洒落番長」とあだ名を付けて、崇め奉り、お洒落な服とかメイクについて色々と教えてほしいなどと言って、その僕と化したことは言うまでもない。




