第三十話 デート前日のコスプレ・ショッピング
喜多君がノートパソコンの電源を入れて、パソコンの画面でも結果を確認してみたけど、二人の名前は、ちゃんとあった。
自分の目から、こんなに涙が出るなんて思ってもいなかったけど、体中の水分が出尽くしたくらい泣いて、やっと落ち着いた私は、椅子に座って、その画面を見つめた。
「やったね。河合さん」
私のすぐ隣に立っていた喜多君が言った。
「うん。ありがとう。喜多君もおめでとう」
「うん。……まだ、一次が通っただけなのに、こんなに嬉しいって感じるなんて思わなかったよ」
「……一次が通ったってことは、とりあえず、プロの人が認めてくれたってことでしょ? やっぱり、ネットで褒められることとは違う嬉しさがある気がする」
「そうだね」
その時、ドアがノックされた。
「どうぞ」
喜多君が返事をすると、喜多君のお母さんが入って来た。
「こんにちは、いかすみさん」
私は、すぐに立ち上がり、お辞儀をした。
「こんにちは。お邪魔してます」
「……通過したみたいね」
「えっ?」
「だって、二人とも嬉しそうだもの。でしょ? 琥太郎ちゃん」
「うん!」
「良かったわね! 二人ともおめでとう!」
「ありがとうございます」
私は、深々と頭を下げた。
「二人のそんな顔が見られて良かった」
喜多君のお母さんも、緊張の糸が切れたように、ほっとした表情を見せた。
「琥太郎ちゃん。ママは、すぐ病院に戻らなければいけないけど、リビングに、ささやかなお祝いを用意しているから、いかすみちゃんと二人で行ってみなさい」
「ありがとう、ママ!」
「ごめんなさいね。また、後日、ゆっくりとお話させてね」
喜多君のお母さんは、にっこりと微笑むと、部屋から出て行った。
「せっかくだから、リビングに行ってみよう!」
喜多君の部屋から出て、一階のリビングに行った。
ここも二十畳はありそうな大きな部屋で、応接セットのテーブルの上に、ティーカップとティーポット、そして、ケーキ屋さんの紙箱が置かれていた。
「河合さんは、そこに座って」
二人掛けのソファに私を座らせると、前に座った喜多君は、ポットから紅茶をカップに注いだ。
「あっ、私がやるよ」
「河合さんは、お客様なんだから、座ってて。はい」
ソーサーに乗せたカップの一つを、私の前に差し出した喜多君は、ケーキの箱を開けて、レアチーズケーキを二つの皿に乗せた。
「ここのレアチーズケーキも美味しいんだよ」
ケーキ皿もそれぞれの前にセットすると、喜多君が自分のカップを持って、胸の高さに掲げた。
「じゃあ、二人の一次通過を祝して、乾杯!」
「う、うん」
私もカップを掲げた。
すごく美味しい紅茶だった。
「でも、これ、準備してたの?」
「うん。もし、落ちてても、河合さんの大好きなレアチーズケーキで復活してもらえるかなって思ってね」
「……あ、ありがとう」
レアチーズケーキも美味しかった。
もし、落ちてたら、どんな味がしたんだろう?
きっと、今と同じ、甘くて美味しいと感じていたはずだ。
「あっ、そうだ! くらちゃんとなまこに知らせないと!」
「ああ、そうだね。二人とも心配してるだろうから」
私が、くらちゃんとなまこにメールを送ると、すぐに、二人から返信があった。
『かすみん! おめでとうございます! 私もすごく嬉しいです! 本当は駄目なんですけど、携帯を制服に入れて、まだかまだかと待ちかねてました! 今は、トイレで嬉し泣き中です!』
『おめでとう! かすみ! オレの応援のお陰だろうけど、礼はいらないぜ』
二人らしいお祝いの言葉に、目尻にちょっとだけ汗が溜まった。
「それはそうと、河合さん。約束、憶えてる?」
私が二人からのメールを何度も読み返す時間をくれてから、喜多君が話し掛けてきた。
「……一応」
「どこに行く?」
「……任せる」
「東京ドリームランドは、またの機会に行くとして」
「またの機会って?」
「はははは、そこは聞き逃さないんだね」
「悪の計画は、事前に潰しておかないとね」
「いつもの河合さんに戻ってきたね」
「河合なのに可愛くない河合だよ」
「はははは、じゃあさ、……映画とかどう?」
「映画?」
「うん。今、『非番戦士ヒバンゲリオン』の劇場版を上映してるはずなんだ。一緒に見に行こうよ」
「い、良いよ」
「その後、レアチーズケーキの美味しいお店でお茶をして、映画の感想をガチで話し合うというメニューにしよう!」
「う、うん」
「今度の日曜日は行ける?」
「う、うん」
「じゃあ、決まり!」
「あ、あのさ」
計画が決定した後も困惑していた私の顔を見て、喜多君も困惑した顔をした。
「どうしたの?」
「何を着て行けば良い?」
「えっ?」
「休日に、男の子と出掛けることなんて、今まで無かったから、……何を着ていけば良い?」
「僕に訊かれても、……でも、どんな服を着ても、河合さんは河合さんなんだから、そんなに悩まなくても良いよ。普段着でも良いじゃない?」
いや、さすがにジャージで行く訳にはいかんだろ!
「でも、そうやって、着る物に悩んでもらえるなんて、男としては嬉しいな」
「うっ! ……私がどんな服を着て来ようと怒るなよ!」
「もちろんだよ。でも、せっかくだから、希望を言わせてもらうと、ミニスカートにニーハイソックス姿を見てみたいな」
「あんたが履け! エッチ大魔王!」
翌々日の土曜日の午後。
私は、くらちゃんとなまこと一緒に、池梟駅に隣接してあるデパートに入った。
明日の日曜日に着ていく服を買うためだ。
木曜日の発表の後、家に帰り、服を買いたいと母親に言うと、すぐにお金を出してくれた。
「あんたもやっとお洒落に関心が出て来たのねえ」
まさか、こんなことで母親に泣かれるとは思わなかった。
そして、金曜日に、くらちゃんに相談をした。
休日に何度か会った時のくらちゃんが着ていた服が、すごく趣味が良くて、可愛かったことと、バイトもしているくらちゃんが、値段の高い服を買っているはずがなく、私にも手が届くお店で買っているはずだと考えたからだ。
と言うことで、くらちゃんにお店を紹介してもらおうと思って、デパートの二階と三階にある婦人服売り場を、用も無いのについて来たなまこと一緒に彷徨いているのだ。
「かすみん、どんな感じの服が良いんですか?」
「……よく分からない。くらちゃんの美的センスを信頼しているから、くらちゃんが私に似合うって思う服を選んでもらって良いよ」
「えっ! 良いんですか?」
――何、その嬉しそうな顔は?
「オレの意見は訊かないのかよ?」
「もちろん訊くさ」
「そ、そうこなくっちゃ!」
「なまこが良いという服と反対のイメージを服を買えば良いんだからな」
「てめえ! 包丁で切り刻んで、いか刺にしてやるぞ!」
「物騒なこと言うな!」
などと、なまこと言い争っているうちに、くらちゃんが案内してくれた売り場に着いた。
「かすみんは、ちっちゃくて、可愛いから、ここのブランドの服なんかが似合うと思いますよ」
「えっ?」
連れて行かれたのは、ゴシックロリータ風の衣装がディスプレイされているブティックだった。
「……私のイメージとは違うような気がするけど」
「私のセンスを信頼してくれるんじゃなかったんですか?」
頬を膨らませて、拗ねるくらちゃんの萌え攻撃に、私が敵う訳もなかった。
「……まあ、ちょっと、試着してみるよ」
試着室のカーテンを開けると、くらちゃんの嬉しそうな顔が輝いた。
「可愛い~! かすみん、可愛すぎです!」
――なまこ! そこで、何、笑いをかみ殺してるんだよ!
黒のゴスロリドレスを着て、フリルの付いたナイトキャップのような帽子を被った自分の姿は、趣味の悪い着せ替え人形にしか見えなかった。
「これで街中を歩くのは、ちょっと恥ずかしいよ」
「え~、大丈夫ですよ!」
「オレも推薦するぜ! みんなの注目の的だぜ!」
「どの辺りが注目されるんだよ?」
「そりゃあ、……ぷっ!」
――体を振るわせながら、うつむいてるんじゃねえよ!
「この前の日曜日に、くらちゃんが着ていた服がすごく可愛かったけど。あれはどこで買ったの?」
「やっぱり、このデパートの中のお店ですよ」
「そこで探してみようよ」
「そうですかあ。それがすごく良いのになあ」
こらあ! 二人して写メを撮るなあ!
次に行ったお店で、くらちゃんのアドバイスに従って、「ショタっぽいところが可愛い」という喜多君の趣味にあわせて、ビビッドな色合いの半袖シャツに、膝丈のサロペットデニムというボーイッシュな感じの服を買った。
その後、私達は、近くのコーヒーショップに入った。
「琥太郎と映画かあ。良いなあ」
私の前に、くらちゃんと並んで座ったなまこが、本当に羨ましそうに言った。
「代わってやろうか?」
「かすみ!」
「な、何だよ?」
いつも冗談を言っているなまこの顔が真剣に怒っていることが分かった。
「まだ、そんなこと言ってるのかよ?」
「……」
「そろそろ、かすみも琥太郎に対する気持ちを、ちゃんと整理すべきじゃないのか?」
「……」
「嫌いじゃないんだろ?」
「う、うん」
「だったらさ!」
「なまこさん!」
くらちゃんがなまこの肩に手を置いて、なまこの体を揺さぶった。
「そんなに急がなくても良いんじゃないですか? 喜多君だって、返事は先で良いって言ってくれている訳ですから」
「そうだけどさ。かすみは、いったい、何を悩んでいるんだろうって思ってさ」
「……私は、イラストを描きたいんだ。喜多君とつき合うことで、イラストを描けなくなるかもしれないことが怖いんだ」
「でも、琥太郎は、かすみの邪魔はしないって言ってくれてるんだろ?」
「喜多君を信じてない訳ではなくて、自分が信じられないんだ。喜多君とつき合うようになると、私が喜多君に夢中になって、イラストを描くことを止めてしまうんじゃないかって思ってしまうんだよ」
「琥太郎とイラストは、同じ天秤に乗ってしまうのか?」
「……分からない」
「喜多君とは、同じ創作クラスタとして、お互いに刺激し合って、今よりもイラスト描きに没頭できるかもしれませんよ」
「そうだと良いけど」
「とにかく、今度、デートもするんだから、とりあえず、琥太郎とつき合ってみて、琥太郎とイラストを同じ天秤に乗せて考えなきゃいけないようになったら別れるとか、そんなやり方もあるんじゃねえか?」
「そんな簡単に、くっついたり、別れたりできるのかな?」
「知らねえよ! オレだって、男とつき合ったことないし」
「何だよ! その無責任発言は!」
「そもそも、オレとくらちんに恋愛の相談をすること自体、無謀なんだよ」
「いや、あんたらに相談したのは、どんな服にしようかってことだけだから。……でも、ありがとう」
――私のこと、本気で心配してくれて。




