第二十七話 眼鏡を掛けて現実を見ろ! 萌えるだろ?
「どうしたんだよ?」
朝、なまこが私の顔を見るなり言った。
高校生になってから初めて、黒縁眼鏡を掛けて来ていたからだ。
「ちょっと、昨日、眠れなくてさ。目が痛くて、コンタクトを入れられなかった」
「何か、悩み事でもあったんですか?」
くらちゃんが心配そうな顔をして訊いてくれた。
「いや、逆だな」
なまこは、訝しむような顔をして、私を見た。
「何か、良いことがあったんじゃないか?」
――変なところで鋭い!
「べ、別に何も無いよ」
「でも、ネジが緩んでいるような顔してるぜ」
どうやら、私の顔は嘘を吐くことができないみたいだ。
「そ、そう?」
「ああ、いつも以上に締まりが無いぜ」
「そんなに……。って、こらっ!」
「かすみん! 何か、良いことがあったのなら、私達にもお裾分けしてくださいよぉ」
「昨日、眠れなかったのは、イラストを描いてて、思いのほか、筆が進んで、自分でも良いと思うイラストが描けたからだよ」
「本当ですか?」
「本当だよ。それに、もし、私が嬉しそうな顔をしてるとしたら、それは、今日もこうして、くらちゃんと一緒に登校できることが嬉しいからかな」
「そ、そんな~。私もかすみんと一緒で嬉しいです!」
「おい、待て! そこは『くらちんとなまこと一緒』と言うべきじゃないのか! 何で、オレが除外されているんだよ?」
「ああ、ごめん、ごめん。ほらっ、私って、正直者だから」
「てめえ!」
「なまこさん! これは、かすみんの照れ隠しですよぉ~」
私となまこのレクリエーションとしての罵り合いに、真面目なくらちゃんがハラハラしながらフォローしてくるという、いつもの三人が一緒にいることは、それはそれで嬉しいことだ。
教室に入ると、くらちゃんと別れて、私は自分の席に向かった。
いつもどおり、既に席に着いていた喜多君が笑顔で挨拶をしてくれた。
「おはよう」
「おはよ~」
「眼鏡、どうしたの?」
「うん、昨日、ちょっと、眠れなくて」
「何か、嬉しいことでもあった?」
「……やっぱり、そんな顔してる?」
「うん。すごく顔がにやけているよ。眠れないほど嬉しいことって何?」
自分の顔の馬鹿正直さに呆れながらも、私は、自然と、喜多君の方に体を乗り出していた。
「実はさ、昨日、すごい人にフォローバックされたんだ!」
「すごい人?」
「うん! 誰だと思う?」
「分からないよ」
「ごとうのいず先生!」
「えっ! 本当に?」
「しかも、リプまでくれてた!」
「何て?」
「自分のイラストを付けてリプ送ってたら、可愛い絵だって言ってくれた! ピクピクのイラストも見てくれたみたい!」
「本当にすごいじゃない! のいず先生から褒められるなんて!」
「もう、失神しそうになったよ!」
「気持ち、分かるなあ」
喜多君が、自分のことのように喜んでくれているのが分かった。
そんな喜多君の笑顔を見て、嬉しさの利息を受け取った気持ちになった私は、人気イラストレーターのごとうのいず先生からフォローバックされたことを、最初に、喜多君に伝えたいと思っていたことに、今、気づいた。
確かに、くらちゃんやなまこは友達ではあるけど、創作という分野で言えば、二人は専門外で、のいず先生が絵師を目指している者にとって、どれだけ憧れの人なのかは、きっと分からないはずだ。
でも、同じ創作クラスタである喜多君なら、それを分かってくれるはずだし、実際、分かってくれた。
だから、喜多君に一番最初に伝えたかったんだ。
告白されていたこととは関係無い……と思う。
「幸せすぎて怖いくらい」
「これで雷撃も通ってたら、幸せの二乗だね」
「あ~、何か、幸せポイントを使い果たしたような気がする」
私は、本当にそんな気がして、ちょっと、うなだれてしまった。
「じゃあ、僕が補充しておくよ」
「えっ! どうやって?」
「毎晩お祈りするよ。絶対、河合さんと二人でお出掛けしたいってね」
「そ、それは、喜多君の幸せポイントを貯めているんじゃないの?」
「ははは、そうかも。でも……」
喜多君は、マジマジと私の顔を見つめた。
「眼鏡っ娘の河合さんも可愛いね」
「そ、そんなこと、朝から、さらりと言うな!」
「あれっ、河合?」
喜多君との話に夢中になっていて、谷君がすぐ側に立つまで気がつかなかった。
「河合って、コンタクトだったの?」
「うん。そうだよ」
「今日は、どうしたんだよ?」
「ちょっと、目が痛かったから」
「そ、そうなのか」
谷君は、恥ずかしくなるくらいに、じっと、私を見つめていた。
「な、何?」
「あっ! い、いや、何でもない!」
谷君は、少し焦ったように、私から目線をそらせると、自分の席に向かった。
「谷はね、昔から、眼鏡っ娘が好きなんだよ。谷が、これまで好きになった女の子は、みんな眼鏡を掛けていたからね」
谷君の後ろ姿を見つめながら、喜多君が少し冗談めかして言った。
「そうなの? でも、谷君は、くらちゃんのファンなんでしょ?」
「倉下さんは美人だもんね。僕以外の男子は、ほとんど、ファンなんじゃない?」
「僕以外のって」
「僕が誰のファンかは知ってるでしょ?」
「……谷君だって、眼鏡を掛けている女の子だったら、誰でも良いって訳じゃないでしょ?」
「そりゃあ、そうだろうね。だから、谷も河合さんの可愛さに気づいたんだよ」
「名前は河合だけど、全然、可愛くないから!」
「そんなことはないよ」
「そんなことある! だって、前にも言ったけど、私は、今まで、男子から声を掛けられたこともないんだからね!」
「それはさ、河合さんがバリアを張っていたからじゃないの?」
「バリア?」
「自分に近づいてくるなって」
「……」
中学に入学して間もなく、ピクピクへの投稿を始めた頃の私は、とにかく、自分のイラストを認めてほしくて、毎日、がむしゃらに描いていた。
イラストを描くことが、自分の中の、トップワンであって、オンリーワンでもあった。
そんなイラスト描きを邪魔されたくなかった私は、特に意識した訳ではなかったけど、無愛想かつ無口なキャラで中学時代を過ごした。同級生達に、バリアを張っていると思われていたとしても不思議じゃない。
「本当は、河合さんって可愛いなあって思っていた男子がいたかもしれないけど、近寄りがたかったんだよ」
「そんな男子なんているはずない」
「目の前に一人いるけどね」
「……私って、やっぱり、近寄りがたかった?」
「僕は、そうは思わなかったよ」
そう言えば、喜多君は、最初から馴れ馴れしく近寄って来てた。
「高校生になって、河合さんも丸くなったのかな?」
「まあ、中学時代にトゲトゲしていたことは否定できない。イラストを描いていたいって、いつも思ってたから」
「イラストを描く時間って、高校に入ってから減った?」
「減ってはないと思う」
「じゃあ、余裕ができたのかな?」
「……余裕」
――そうだ。思い出した。
自分が書いている小説の挿絵を描いてほしいって言われた時のことを。
それまで、私は、何かに追い立てられているような恐怖感に迫られて、イラストを描いていた。
でも、私のイラストが好きと言うだけじゃなく、必要だと言ってくれる人がいたことで、嬉しいというより、すごく安心した記憶がある。
それからは、イラストを描くことが、すごく楽しくなった。
それは、誰に媚びることも、誰に遠慮することもなく、私は、私の好きなイラストを描けば良いんだって考えることができるようになったからだ。
もし、私のバリアが破れたとすれば、その時だ。
「……余裕はもらったんだ」
「もらった?」
「あっ! ……えっと、……と、とにかく、私は、一部の物好きを除いて、可愛くないということで、この話は強制終了!」
お昼休み。
日直の谷君が職員室に行っていて、喜多君がその帰りを待っている間に、くらちゃんが自分のお弁当を持って、私の席までやって来た。
お弁当箱を開くと、喜多君が立ち上がって、私の席の近くに立った。
「それが河合さんの手作り弁当か。美味しそうだね」
「み、見るな!」
私は、お弁当箱を抱えるようにして、喜多君に背中を見せた。
「見るのも駄目なの?」
「そもそも、人に見せるために作ってる訳じゃないから!」
「それは残念。……あれっ、倉下さん。それは?」
喜多君は、くらちゃんが机の上に置いていたA4サイズの紙に描かれていた絵に注目していた。
「これは、今朝、かすみんにもらったんです。私のイメージだって」
「へえ~」
「嬉しくて、授業中もこっそり見てたんですけど、今も見てたくて」
「そこまで喜んでくれたら、私も嬉しいよ。でも、くらちゃんは、元々、可愛いから、すぐに絵にできたけどね」
「そ、そんな~」
くらちゃんが照れていると、谷君が教室に戻って来た。
「お待たせ、喜多!」
谷君が喜多君の側にやって来ると、谷君の視線が、くらちゃんの絵に釘付けになっていた。
「倉下さん、その絵は?」
「あっ! こ、これは知り合いに描いてもらったんです」
私がいかすみだということを、クラスメイトには積極的に明かさないでほしいとの私の希望を、くらちゃんはちゃんと守ってくれた。
「いかすみさんの絵に似てるな?」
谷君の小さな呟きは、私達には大きく響いた。
「た、谷! いかすみさんを知ってるのか?」
目を点にして驚いている私達を代表して、喜多君が訊いた。
「あっ! そ、その、最近、たまたま、ピクピクを見てて、可愛い絵がいっぱいアップされてたから、誰の絵かなって思って見てみたら、いかすみという人の絵だったんだ」
――何で、そんなに汗をかいているんだろう?
「でも、谷がピクピクを見てるとは思わなかったな」
「ちょ、ちょっと、暇つぶしに見てて」
「そうなんだ。谷も、いかすみさんの絵の可愛さに気づいたのか?」
「ま、まあな」
「僕も大好きなんだよ。倉下さんも好きなんだって」
悪戯っ子ぽい笑顔を浮かべて、喜多君が言った。
「そ、そうなのか? まさか、倉下さんの知り合いって?」
「もちろん、いかすみさんですよ!」
くらちゃんが私の顔をちらっと見て、私が拒否の表情を出していないことを確認すると、嬉しそうに言った。
「倉下さんって、いかすみさんに会ったことあるの?」
「えっと」
――くらちゃん! 自分で言っておきながら、あからさまに私に救いを求めるな!
「倉下さんもネットでのおつきあいなんでしょ?」
「は、はい! そうです!」
喜多君が出してくれた助け船に、くらちゃんも飛び乗った。
「ネットでお話してたら、私のイメージを描いてくれることになったんです」
それは本当のことだ。
「そうなんだ。良いなあ。俺も描いてほしいな」
…………谷君には萌えイメージが湧かないんだけど。
「でも、あんな可愛い絵を描いているいかすみさんって、どんな人なんだろうって、興味があるんだよな」
喜多君とくらちゃんが顔を見合わせて、笑いをかみ殺していた。
「な、何だよ?」
「い、いや、谷は、いかすみさんをどんな人だと思ってるんだよ?」
「髪はショートカットで、コンタクトをしているみたいだな」
「けっこう詳しいんだな」
「あ、ああ。いかすみさんがツイッターで呟いていたから」
「あれっ! 谷もツイッターをやってるの?」
「えっ? と言うことは、喜多もやってるのか?」
「あっ、えっと、そ、そうだね」
「ふ~ん、そうなんだ」
「と、とりあえず、飯に行くか?」
「そ、そうだな」
お互いに自分のハンドルを知られたくなかったのか、何となくうやむやのうちに、喜多君と谷君は、教室を出て行った。




