第二十六話 新しい恋人と昔の恋人と!
「里香!」
喜多君が「里香」と呼んだ女の子は、サラサラの黒髪ロングヘアで、くらちゃんと同じくらいのモデル体型に、見慣れぬ制服を着ていた。
そして、驚いている喜多君に涼やかな笑顔を返しながら、その後ろに並んだ。
「ここのバウムクーヘンを買いに?」
「ああ」
「お父様の好物だったんだっけ?」
「ああ」
いつも優しく微笑んでいる喜多君の不機嫌そうな顔を初めて見た。
「新しい彼女?」
里香さんが私と喜多君を交互に見ながら訊いた。
「残念ながら、まだ違うよ。同級生」
「まだ?」
「里香には、もう関係無いだろ! そう言う里香は、どうしてここにいるんだよ?」
「私もここのバウムクーヘンを買いに来たの。お母様から頼まれて」
「そう」
喜多君は行列の前の方を向いて、里香さんの顔を見ないようにした。
「こんにちは」
里香さんは、首を傾げるようにして、喜多君越しに、私に話し掛けてきた。
「こ、こんにちは」
私も無視する訳にはいかず、憮然とした表情で立っている喜多君越しに挨拶を返した。
「私、海星里香と申します」
「あ、あの、河合香澄です」
「琥太郎とは中学の時の同級生だったんです。よろしくお願いします」
「ど、どうも」
私と里香さんの間に立っている喜多君の不機嫌そうな顔を見ると、話を続けることもはばかられ、私も里香さんに会釈をすると、そのまま前を向いて無言になった。
こんなに気まずい行列も初めてで、後で時計を見たら、そんなに長い時間ではなかったのに、その時は、すごく長く感じられた。
私に続いて、お目当てのバウムクーヘンを買った喜多君は、私に手招きすると、早足でその場を立ち去った。
私が喜多君の後を追い掛けるようにして付いて行くと、喜多君は、デパートから出て、バウムクーヘン屋さんが見渡せる場所にある、駅の大きな柱の影で立ち止まった。
「どうしたの?」
「ごめん。不愉快な思いをさせちゃったかな?」
「と言うより、何なのか、よく分からなかったんだけど」
「うん。さっきの子は、中学の時の元カノだよ」
「…………そうだったんだ」
「こんな所で会うとは思わなかったから、僕もちょっと焦ってしまったけど」
「里香さんだったっけ? 里香さんの家も近くなの?」
「いや、貝塚の近くのはずなんだ」
貝塚学園は、池梟からは離れたターミナル駅の近くにある。だから、池梟駅で会うとは思ってなかったのだろう。
「でも、すごく綺麗な人だね」
くらちゃんも綺麗だけど、どちらかと言うと、萌え要素が多い感じなのに対して、里香さんは、何と言うか、隙間の無い綺麗さというか、クールビューティと言う感じだ。
「まあ、綺麗なのは認めるけど、僕にとっては、嫌な思い出しか残ってないから」
――そうだった。
里香さんは、喜多君の好きなアニメやラノベを否定して、喜多君の元を去って行ったんだった。
「さっき、河合さんのことを彼女かって訊かれた時に、彼女だって答えたかったけどね」
「そ、それって、返事の催促?」
「違う! 違う! 僕の気持ちを言っただけだよ」
「……そう」
「河合さん。今日は、もう帰るの?」
「うん。バウムクーヘンを持って帰らなきゃいけないし」
「そうか。……そうだね。時間があったら、少し話もしたかったんだけどね」
「話?」
「そんな重要な話って訳じゃなくて、単に、おしゃべりをしたかっただけ。僕は、自分の気持ちに正直に行動するって宣言したでしょ。だから、少しでも、河合さんと一緒にいたいんだ」
「……う、うん。また、今度ね」
「そうだね。でも、せっかくだから、改札まで一緒に行くよ」
「べ、別に良いけど」
私達は改札口に向かって歩き出した。
「河合さん」
「何?」
「雷撃大賞一次通過の時の約束、憶えてる?」
「う、うん」
「レアチーズケーキの美味しいお店はもう調査済みだよ」
「そ、そうなの?」
「それと、河合さんと一緒に遊びに行こうと思ってる場所も決めているんだ」
「ど、どこ?」
「東京ドリームランドなんてどう?」
「あっ! そ、そこは、くらちゃんとなまこと一緒に行くことにしたんだ」
「えっ、そうなの。じゃあ、別の所が良いよね?」
「あ、あのさ、くらちゃんとなまこと一緒じゃ駄目か?」
「う~ん。彼女達が一緒だと、それはそれで面白いけど、僕は、できれば、河合さんと二人で行きたいんだよね」
「……まあ、通ったらね。捕らぬ狸の面の皮って言うくらいだから」
「捕らぬ狸の皮算用じゃない?」
「……私の教科書には、そう載ってたの!」
「はははは! 河合さんと話していると本当に面白いよ」
「そこ! うるさい!」
「はははは、ところで、一次の発表は、来週の木曜日の午後一時からだったでしょ?」
「時間までは知らないけど」
「ホームページに載っていたよ」
「ちゃんと確認したんだ?」
「もちろん。それでさ、その日なんだけど、放課後に、二人で一緒に確認しない」
「えっ? どうして?」
「もし、二人とも通ってたら、一緒に喜びたいし、もし、河合さんが落ちていたら慰めたいし、僕が落ちていたら、次に向けて、河合さんに活を入れてほしいからさ」
「い、良いけど」
「河合さんは、その日も、倉下さん達と一緒に池梟駅に行くよね?」
「たぶん」
「じゃあ、その後で。できれば、二人だけで確認したいから」
「わ、分かった」
あっという間に改札口に着いた。
「じゃあ、また、明日ね」
「う、うん。さよなら」
「さよなら」
改札を入り、振り返ると、喜多君が手を振ってくれた。
私は、何となく恥ずかしくて、手を振り返すことができずに、軽くうなづくと、ホームに上る階段を駆け上がった。
その日の夜。
来客があるというので、普段よりも早く夕食を食べて自分の部屋にこもっていると、母親に呼ばれた。
リビングに行くと、応接セットのソファに並んで座っている父親と母親の前に、姉と見知らぬ男性が座っていた。
「あっ、香澄! こちらは、お姉ちゃんのお友達の則川真吾さんよ」
私は、リビングの入口で立ったまま、軽く頭を下げた。
「妹の香澄よ。漫画とかアニメが好きなヲタ女で、愛想は無いけどさ」
もっとマシな紹介はできないのかと姉をにらんだけど、姉の視線は、すぐに隣の男性に注がれた。
背が高くて、清潔そうにカットされた黒髪に、健康的と形容される程度に焼けた肌で、笑顔にも嫌味が無かった。
「初めまして。香織ちゃんとはあまり似てないね」
それも褒め言葉じゃないよね。
「香澄もそこに座りなさい」
私は、母親の指示に従い、向かい合っているみんなの横に置かれた、背もたれのないキューブ型のソファに座った。
応接セットのテーブルの上には、私が買ってきたバウムクーヘンが六等分されて、紅茶とともに置いてあった。残る一切れは、母親が自分で食べるために、どこかに隠しているのだろう。
まあ、私としても、レアチーズケーキほどではないけど、ここのバウムクーヘンは好きなので、「愛想がない」と紹介されたことだし、遠慮無く、ご相伴に預かることにしよう。
「則川さんは、香織の大学の先輩なんですって?」
「はい。大学時代も演劇部に在籍していました。今、所属しているのは小さな劇団ですが、定期的に公演もしています」
「そうなんですか。でも、俳優さんも売れっ子になるまでは大変だそうですが?」
昔から美人でモテまくりの姉は、母親のお気に入りでもあるから、ひょっとしたら結婚相手になるかもしれない彼氏には、当然、母親の厳しいチェックが入る。
「まあ、そうですね。確かに、まだ贅沢ができるような身分ではないですけど、とりあえず生活はできるくらいの収入はあります。今度、映画にも出演することが決まっているので、それで注目されたら良いのですが」
「まあ! 何と言う映画なんですか?」
「それが、まだ、題名が決まってないんですよ。シナリオと撮影スケジュールはほぼ決まっているので、今年の冬には公開できるはずなんですけど」
「主演なんですか?」
「いえ、まだ、そんな身分じゃないです。でも、演技力が試される重要な役だと、自分では思っています」
「そうですか。公開日とか決まったら、ぜひ教えてくださいね。絶対、見に行きますから」
「はい」
見た目は爽やかなのに、言っていることは胡散臭いって思うのは、私だけなのかな?
自分が見たいテレビ番組があったからだと思われるが、父親が「もう二人きりにしてあげなさい」と宣言してくれたので、姉は、出て行ってからもそのままにしている姉の部屋に彼氏と一緒に入り、私もバウムクーヘンを食べたことの代償を求められることなく、自分の部屋に戻った。
イラストを描こうと思ったけど、せっかく集中していても、則川さんのお見送りだなんて言われて、作業を中断される可能性もあったから、とりあえず、ツイッターに入った。
タコ太郎さんも、くらげちゃんも、なまこもいなかったので、そのまま離脱しようとした時、リプが飛んで来た。
「いかすみさん、こんばんは!」
少し前にフォローされた「タニシ」さんだった。
「こんばんは、タニシさん」
「最近、知ったんですけど、タコ太郎って人が書いてる小説の挿絵を描いてるのも、いかすみさんだったんですね?」
「そうですよ」
「お二人は、リアルでも知り合いなんですか?」
何なの、こいつ?
どうして、いつも、リアルの私の情報を聞き出そうとするんだろう?
もっとも、最近は、タコ太郎さんともリアルで会っていることを前提にしたツイートをしてるから、今さら隠し立てをする必要もない。
「はい、リアルでも知ってますよ」
「そうなんすか。俺もいかすみさんに会ってみたいすよ」
「私は、基本的に、フォロワーさんとはお会いしてないんです」
これは本当のことだ。リアルに出会うと、色々と面倒なことができそうだから。
「タコ太郎さんだけ、特別ってことですか?」
「タコ太郎さんとは、『フェアリー・ブレード』で協同作業している仲間ですから」
本当は会うつもりはなくて、運命の悪戯だったんだけどね。
「残念です。じゃあ、俺の中で、いかすみさんの姿を妄想しておきます」
「妄想されるほどのもんじゃないですから」
「いかすみさんって、眼鏡を掛けてますか?」
「コンタクトですけど」
「俺、眼鏡っ娘が好きなんですよね」
あんたの趣味なんて知らないわよ!
「そろそろ、イラスト描く時間なので離脱しますね」
「はい、頑張ってください」
「どうもありがとうございます」
「おやすみなさい」
そもそも、私がツイッターを始めたのは、ピクピクにアップしているイラストの宣伝のためで、最近こそ、くらげちゃんやなまこといったリア友のフォロワーさんができたから、再々、ツイッターにインするようになったけど、基本的には、フォロワーさんと積極的に絡むことはなかったし、イラストを描く時間が少なくなるほど、長い時間インしていることもなかった。
だから、リプが来ること自体が少なかったけど、久しぶりだったので、ちょっと貯まっていたリプを確認していたら、新しくフォローされた人からリプが来ていたことに気がついた。
それが誰か分かった時、私は、背中に羽が生えて、天に向かって昇るくらいの幸福感に包まれた。




