第二十二話 突然の告白に赤面するイカ。 って、イカの顔ってどこ?
予定していた時間まで勉強すると自分で言い出せるほど、くらちゃんも落ち着いたので、私達は、閲覧室に戻り、勉強を再開した。
しかし、やり慣れないことは体が拒否するのか、喉が無性に渇いた私が、一人、ロビーのソファに座り、ジュースを飲んでいると、喜多君がやって来た。
「休憩中?」
「うん」
「僕も何か飲もう」
喜多君も自動販売機で缶コーヒーを買うと、私の前に立った。
「河合さん、隣に座って良い?」
「う、うん」
「それじゃあ、お邪魔します」
「……何か近くないか?」
「そうかい? 気のせいだよ」
「ま、まあ、良いけど。……喜多君」
「うん」
喜多君の方に顔を向けると、喜多君の顔がすぐ近くにあった。
「あっ! やっぱり近い!」
「はいはい」
喜多君は腰を浮かして、少しだけ離れた。
「これで良い?」
「う、うん」
しばらく無言のまま、お互いに飲み物を飲んでいたけど、私は、喜多君に言うべきことがあったことを思い出した。
「喜多君」
「うん?」
「……さっきは、ありがとう」
私は、喜多君の方を向くことができなくて、前を向いたまま話した。
「えっ? 河合さんからお礼を言われるようなこと、したっけ?」
「くらちゃんのこと。くらちゃんは、私が初めて守ってあげたいって思った人なの。初めての友達なの」
「うん」
「だから、私も接し方がよく分からなかった。くらちゃんが望むことをしてあげるのが友達だと思って、くらちゃんに男子が近寄って来るのを防いであげてた」
「……」
「でも、それって、くらちゃんにとって良いことなのかなって、今朝、疑問には思ったんだけど、よく分からなかった。だけど、さっき、喜多君が協力するって言ってくれたお陰で、私も吹っ切れた」
「そんなに言われると、ちょっと恐縮してしまうなあ」
「ど、どうして?」
「僕も下心があったからさ」
「下心?」
「倉下さんの男性恐怖症を治すのなら、生田さんが言ったみたいに、最初は、やっぱり、グループの中で男性に慣れていくことになると思うんだ」
「うん」
「そうするとさ、倉下さんの男性恐怖症克服に協力する僕は、倉下さんの友達である河合さんとも一緒にいられるってことでしょ?」
「……」
「僕は、自分のことを一番に考える利己的な偽善者かもしれないなあ」
きっと違う。それは後付けの照れ隠しのような気がした。
「喜多君」
「うん?」
「喜多君は、どうして、私なんかと一緒にいたいの?」
「一緒にいると楽しいから」
「……」
「河合さんは、僕といると楽しくない?」
「……楽しい時もある」
「良かった」
「……」
「河合さん」
「何?」
喜多君の方に向くと、喜多君は私の顔をじっと見つめていた。私は、恥ずかしくなって、すぐに目をそらし、前を向いた。
「さっき、倉下さんは,すごい勇気を振り絞って告白してくれたよね」
「うん」
「僕も負けられないと思った」
「……」
「だから、ちゃんと言っておく!」
踏ん切りを付けるためか、喜多君が大きくうなづいたのが目の端に入った。
「河合さん!」
「は、はい」
喜多君の決意がこもった呼び掛けに、私は思わず喜多君を見て返事をしてしまった。
「僕は河合さんが好きだ!」
「……!」
私は思わず周りを見渡したけど、近くには誰もいなかった。
「前に、いかすみさんが好きだって言ったけど、本当は、同級生の河合香澄さんが好きだ!」
――こんな時、どうすれば良いの?
私は、顔を見られるのが恥ずかしくて、また前を向いて、うつむいてしまった。
「好きになった理由が必要かい?」
「……できれば」
頭の中で喜多君の言葉が繰り返し再生されて思考停止状態になった私は、そう答えるのが精一杯だった。
「河合さんが、いかすみさんだったからということは大きな理由だけど、それだけじゃないからね」
「……」
「リアルの河合さんが、それまでネットでいっぱい絡んできた大好きな絵師さんの『いかすみさん』そのままの人だったから、ずっとつきあってたって錯覚してしまうほど、最初から自然に話すことができたし、出会ってからも,ずっと色んな話をしてきて、河合さんの考え方とか性格とか仕草とか、全部が好きになったんだ」
「……」
「河合さんはどう思ってる?」
「どうって?」
「僕のこと」
「……今、返事をしなきゃ、駄目か?」
「できる?」
「……」
「いや、返事は、河合さんがしたくなってからで良い」
「えっ?」
「今のは、僕の独り言だから。自分の気持ちを河合さんにちゃんと伝えておきたいって思いが抑えきれなくなったから言っただけ」
「……」
「だから、河合さんも僕に対する気持ちを伝えたくなったら返事をちょうだい。もちろん、好きになれないって返事だってかまわないし、ずっと返事をくれなくたってかまわない」
「……」
「でも、僕は、これからも自分の気持ちに正直に、河合さんとつき合っていくから。河合さんの邪魔はしないっていう約束も守るから」
「…………分かった」
「良かったあ」
喜多君は大きく息を吐いた。
「えっ?」
「いきなり告白して、嫌われたりしたらどうしようって、ちょっと心配だったんだ」
「嫌いになるはずがない」
自分でも意識せずにポツリと小さな声が出た。
「えっ?」
「……何でもない!」
先に喜多君が閲覧室に戻った後、少し時間を置いてから、私も閲覧室に戻った。
「河合! 長いトイレだな」
「ほっとけ!」
「かすみん、何だか顔が赤いような気がしますけど?」
「……慣れない勉強をしすぎて、ちょっと、のぼせちゃったからかな」
ふと目を上げると、微笑んでる喜多君と目が合った。
ちくしょー! 勉強どころじゃなくなったじゃねえか!
……って、最初から勉強どころじゃなかったっけ。
午後六時を過ぎた頃、私達は帰り支度を始めた。
「河合さん、もう帰るの?」
前の席から、喜多君が問い掛けてきた。
「うん。私的にはもう限界」
「はははは。それじゃあ、僕らも帰ろうか?」
谷君は、その言葉を待ちわびていたようだった。
「おう! そうしようぜ」
私達は、図書館から出ると、駅に向かって歩き出した。
「倉下さん。良かったら、僕と話をしながら歩かない?」
「えっ?」
喜多君が優しい笑顔で、くらちゃんに言った。
「河合さんに隣にいてもらえば心強いんじゃない? 河合さんも良い?」
「うん。くらちゃん、練習、練習!」
「は、はい」
私は、くらちゃんを喜多君の隣に押し出すと、くらちゃんと腕を組んだ。
くらちゃんの腕は少し震えていた。
「お、おい! オレは?」
「生田さんは、谷とは初めてだったでしょ。谷と一緒にどうぞ」
喜多君のむちゃぶりに、谷君も苦笑いをするしかなかったみたいだ。
「……分かったよ。今日は仕方ねえな。河合は必要以上に琥太郎にくっつくなよ!」
「し、しないよ!」
――今日は、恥ずかしくて近くに寄れないよ。
くらちゃんは、喜多君の話し掛けに、相槌を打ったり、短く返事をするくらいしかできなかった。
でも、喜多君の優しい雰囲気に包まれて、くらちゃんも慣れてきたみたいで、腕の震えは次第に収まってきていた。
「倉下さんも、今度、一緒にアニメックに行ってみない?」
「あっ、えっと……」
「もちろん、河合さんも一緒に来るよね?」
「う、うん。くらちゃんが心配だからな」
「かすみんが一緒に行ってくれるのなら」
「土曜日だと行けるんだっけ?」
「はい」
「河合さん、今週の土曜日にどう?」
「い、良いけど」
「オレも行くからな!」
生田さんもしっかりと私達の話を聞いていたようだ。
くらちゃん越しに喜多君を見つめていた私の視線に気がついた喜多君が、くらちゃんとの話を中断させることなく、私に微笑みを返してくれた。
その笑顔に胸がときめいた。
そうだ。私からイラストを描く時間を奪ってしまうかもしれない、喜多君の笑顔が、私は怖かった。イラストを描くことがすべてだった私がイラストを描かなくなることは、私が私ではなくなってしまう気がしたからだ。
確かに、喜多君は、私がイラストを描くことの邪魔はしないって言ってくれたし、その約束は守ってくれている。
でも、くらちゃんのような同性の友達ですら初めてできた私が、異性の友達である喜多君と、これ以上親しくなることで、自分がどう変わってしまうのかが分からなかった。私が喜多君に夢中になって、イラスト描きのモチベーションが下がってしまう恐れだってあるんだ。
そうなっても良いと思うほど、喜多君のことが好きだという自信も無かったし,絶対にそんなことにはならないと、自分で自分に言い聞かせることもできなかった。