第二十一話 友達だったらすべきこと?
手も洗わずにトイレから飛び出ると、くらちゃんが顔を両手で覆って、ソファの前にしゃがみこんでいた。
その近くに谷君が、少し離れて喜多君が、呆然とした表情で立ち尽くしていた。
私は、すぐに、くらちゃんの側に走り寄り、谷君の胸を両手で突いた。
「ちょっと! くらちゃんに何をした?」
「な、何もしてないよ」
谷君も驚いているようだった。
「何もしてないのに、くらちゃんがこんなになるはずないだろ!」
「河合さん!」
喜多君が割って入ってきた。
「谷の言うとおり、倉下さんがそんなに嫌がるようなことは、谷はしてないよ」
「でも」
「……かすみん」
私が振り返ると、くらちゃんがゆっくりと立ち上げり、私を見た。目には涙が一杯溜まっていた。
「谷君は何も悪くないです。私が勝手に……」
私は、もう一度、谷君を見た。
「谷君! 何をしたのかを教えて!」
「いや、後ろから肩に手を置いただけだけど……」
「あんたは、女の子の体にいきなり触る奴なのか? 女の子はみんな、男の子から触られることは嫌じゃないと思っているのか?」
私は谷君をにらみつけた。
「河合さん。谷もそんな下心を持って触ったんじゃなくて、何て言うか、軽い気持ちで、その、挨拶のつもりだったと思うんだ」
「軽い気持ちだあ? ふざけるな!」
「かすみん! ……も、もう、良いんです」
「くらちゃん」
私は、くらちゃんを正面から抱き締めた。
「大丈夫?」
「はい。もう大丈夫です。……私、かすみんがすごく怒ってくれたのが嬉しくて」
「……くらちゃん」
「何だ? 何だ? どうしたんだよ、倉下?」
今頃になって、慌ててトイレから出て来た生田さんが、抱き合っている私とくらちゃんを見て、目を丸くした。
「おお! 河合と倉下って、そう言う関係だったのか?」
「何、言ってるんだ、あんたは! くらちゃんの悲鳴が聞こえてからも、のんびりと用を足していたのか?」
「途中で止まらなかったんだよ」
「そんなこと聞いてない!」
「うふっ」
私と生田さんの掛け合いで、くらちゃんに少しだけ笑顔が戻った。
くらちゃんは、私から少し離れると、喜多君と谷君の方に向いて、頭を下げた。
「ごめんなさい。取り乱してしまって」
「いや、こちらこそ、ごめん。……ほらっ、谷!」
「あっ、……びっくりさせちゃって、ごめん」
「いいえ、……頭の中が嫌な思い出で一杯になってしまったので」
そう言えば、くらちゃんには中学校時代にトラウマがあると言っていた。
「倉下さん」
くらちゃんは、優しい声で呼び掛けた喜多君の顔を見つめた。
「もし、良ければだけど、その『嫌な思い出』とかを話してもらえないかな?」
「えっ?」
「僕も、中学時代に嫌な思い出があって、新しい高校生活に少し不安があったんだけど、河合さんがいてくれて、すごく救われたというか、その嫌な思い出を思い出さなくなったんだ」
「な、何を言ってるのよ? こんな時に!」
「河合さんは、倉下さんの『嫌な思い出』を聞いているの?」
「いや、全部は聞いてない。というか、それを今、聞き出す必要なんて無いだろ?」
「でも、同じ思いを持っていた僕としては、協力できることがあればしたいなって思ったんだよ」
「あっ!」
今朝、考えていたことを思い出した。
さっきみたいに、私だって、いつも、くらちゃんの側にいて、守ってあげられる訳ではない。そして、女優を目指しているくらちゃんにとって、男性恐怖症は大きな障害になるはずだ。
「くらちゃん」
私は、くらちゃんの両腕を握って、しっかりと目を見た。
「今まで、私は、くらちゃんを守ってあげてたと思っていたけど、結局、二人して逃げ回ってただけだった気がする」
「……かすみん」
「ちゃんと向き合おう! 私も協力する! 喜多君も、……信用して良いと思う」
「……」
「その嫌な思い出を話してくれる?」
「……はい。かすみんには、元々、話すつもりでしたから」
「僕達も一緒に聞いて良いかな?」
「……はい」
「くらちゃん、話せるところまでで良いよ」
くらちゃんは、大きくうなづくと静かに話し出した。
「私、……中学の時にレイプされそうになって」
「えっ!」
「あっ、もちろん抵抗して逃げましたけど、……それ以来、男の人が怖くて」
怖くなるのが当たり前だ!
「年上の男性だったんですけど、つき合いたいって言われて、何回かデートをしました。いつもすごく優しい人だったんですけど、何回目かのデートの帰りに、急に態度が変わったと思ったら……」
思い出したくもないシーンがフラッシュバックされたのか、くらちゃんは腕で胸を抱き、体を震わせながらうつむいてしまった。
「くらちゃん、もう良い! もう良いから!」
私は、思わず、くらちゃんを抱き締めた。
「もう良いよ」
くそ! くらちゃんを襲った奴! 今すぐ私の前に出て来い! ぶん殴ってやる!
「倉下さん」
少し時間を置いてくれてから、喜多君が口を開いた。
「僕と谷は、女の子に暴力を振るうような男じゃないし、むしろ、そんな奴は許さない! そうだろ、谷?」
「あ、ああ、もちろんだよ!」
「倉下さんが男性を苦手にしてるということは分かったから、僕と谷は、これからは必要以上に倉下さんには近づかないようにするよ。約束する」
「喜多君」
「それから、二人ともそんなに喧嘩は強い方じゃないけど、倉下さんを襲うような男がいたら、倉下さんを守るようにしたい」
「えっ?」
突然の喜多君の申し出に、くらちゃんも驚いていた。
「喜多君、どうして、くらちゃんにそんなこと言えるの?」
「あれっ、妬いてるの?」
「そ、そんな訳ないだろ!」
「僕が倉下さんを守ると言ったことには、ちゃんと理由があるんだよ」
「理由?」
「倉下さんが河合さんの友達だからさ。今、倉下さんが悲鳴を上げた時の河合さん、すごい勢いで怒ってたよね。それだけ河合さんは友達思いなんだよね」
「……」
「僕は、そんな河合さんの役に立ちたいし、河合さんを守りたいし、河合さんの友達も守りたいんだ」
「な、何を言ってるんだ?」
「友達の友達は、みんな友達って言うじゃない」
喜多君は、私に軽くウィンクをした後、くらちゃんに視線を戻した。
喜多君とくらちゃんは、お互いには、それほど親しい訳ではない。それなのに、いきなり「守る」なんて言われたら、男性恐怖症のくらちゃんは、反って警戒するはずだ。
でも、「私の友達だから」という理由は、くらちゃんを納得させるだろう。
喜多君は、そこまで考えてくれているのが分かった。
「なあ、倉下」
それまで黙って話を聞いていた生田さんが、くらちゃんを呼んだ。
「はい?」
「オレは、ずっと男の兄弟の中で育ったから、男に対して、そんな気持ちになったことはないんだ。倉下、兄弟は?」
「私は一人っ子です」
「男に対する免疫が無かったのかもしれないな。やっぱり、これも慣れだと思うんだよ。せっかく、琥太郎とこのちっこい奴が協力するって言ってくれているんだから、助けてもらえば良いんじゃね?」
「誰だよ? ちっこいのって!」
「名前、誰だっけ?」
「谷だよ! 谷! って、お前こそ誰なの?」
よく考えたら、谷君と生田さんは、アニメックで顔を見ているくらいで、ほぼ初対面だった。
「僕も生田さんの意見には賛成だよ。まずは、今みたいに、男子もいるグループで慣らしていくのが良いかもね」