第十九話 オレ、綺麗だろ? 美しく変身してるだろ?
「病気?」
「うん。腹が立つと、感情を抑えきれないのよ」
「腹が立つと?」
「自分の友達を侮辱されたら、誰だって腹が立つでしょ?」
「……オレのこと、友達って、思ってくれているのか?」
――あれっ、そうだったのかな?
くらちゃんの時みたいに、友達になりたいという感情は溢れてこなかったけど、少なくとも、生田さんは同じ学校の生徒で、今は私の連れだ。
「まあ、少なくとも赤の他人じゃないから」
「……」
「でも、生田さん。さっきの女の子は?」
「中学の時の同級生だ」
「……虐められていたの?」
「……虐めというより、馬鹿にされていた」
「馬鹿にされて?」
生田さんはジャケットの胸ポケットから定期入れを出し、その中から小さな写真を取り出した。
ぶ厚い黒縁眼鏡を掛けた男の子が、大きな犬と一緒にソファに座っていた。
「これが中学時代のオレだ」
えっ! どう見ても男の子にしか見えない。
だって、髪も刈り上げているし、服も男物のような気がした。
「去年の写真だ。隣にいるのはイモウトだ」
……ネタを振ってるのか? ここ笑うとこ?
「毛深い妹なんだな」
「兄弟は兄貴が二人いるだけで妹はいないぜ」
「さっき、妹って?」
「妹じゃなくて、イモウトという名前の愛犬だ。珍獣ハンターから取った」
紛らわしい名前を付けるな!
「オレ、小さな頃からずっと勉強一筋でさ。とにかく、ずっと勉強ばかりしてた。父親も母親も教師で、オレがテストで一番を取るとすごく喜んでくれて、また一番を取るぞって、勉強漬けの毎日だった」
「すごいじゃない」
「でも、そのお陰で、友達だと胸を張って言えるような人はできなかったけどな」
――私と似ている。
「だから、小さい頃は、いつも兄貴と遊んでいて、女の子らしい遊びはしたことなかったし、洋服もほとんど兄貴のお下がりだったから、小学生の頃までは、自分でも男だと思っていたくらいだ」
自分のことを「オレ」って言っているのも、だからなのだろう。
「中学生になっても、お洒落には興味無くて、勉強の成績が上がることだけが楽しみだった」
「……」
「二年生の時に、同級生の陰口が聞こえてきたんだ。ガリ勉ロイドだって」
「ガリ勉ロイド?」
「テレビもほとんど見なかったし、ゲームもしたことなかったから、同級生と話しても話題についていけなかったし、そもそも、人づき合いの仕方なんて分からなかったから、私と話していると、ロボットと話しているみたいだったらしい」
「……」
「三年生になって、初めて好きな男の子ができた。同級生の男の子で、格好良いのにオレよりも勉強ができて、尊敬してたら、いつの間にか好きになっていた」
「……」
「もちろん、ずっと、オレの片思いだったけど、ある時、その男の子もオレのことをガリ勉ロイドって呼んでいることを人づてに知った」
「……」
「それからの中学生活は灰色だった。友達もおらず、毎日一人で塾に行って勉強して、家に帰ってからも勉強して、それまでの生活と何も変わっていないのに、すごく毎日が虚しくなった」
誰かを好きになって、それが壊れてしまうと、それまで当たり前だった生活が当たり前じゃなくなるのかもしれない。
「勉強にも身が入らなくなって、成績も落ちてしまって、進学先のレベルを下げて、海老原高校を受験したんだ」
私は、アニメックに近い海老原高校に入りたくて、必死で勉強して何とか受かったんだけど……。
「進路指導の先生と話をしている時に、オレの中学から海老原高校に進学するのはオレしかいないって聞いて、オレは変わってやるって思い立ったんだ。中学時代のオレを知らないクラスメイトには、昔のオレを知られたくないって思った」
「変わるって、……その髪とか、眼鏡とか?」
「ああ、その男の子が好きになってから髪を伸ばし始めて、そのままにしてたんだけど、入学式の前に、思い切って髪を染めて、コンタクトにして、化粧も憶えた」
「親はびっくりしたんじゃない?」
「まあ、今も喧嘩中。テストで一番取ったから、ちょっとはマシになったけど」
「どうして、そこまで?」
「『彼氏もいない、ダサいガリ勉女』というイメージから抜け出したかったんだよ!」
「何のために?」
「何のためにって……」
「さっきの同級生達を見返してやりたかったの?」
「……」
「……ねえ、生田さん」
「何だよ?」
「ひょっとして、喜多君に告白したのもそのためなの?」
「えっ?」
「つまり、生まれ変わった自分に相応しい、イケメンの喜多君を彼氏にして、中学の同級生達に見せびらかしたかったの?」
「ち、違う! 琥太郎のことは本当に好きになったんだ!」
「そう、……まあ、考え方は人それぞれだから、私がとやかく言うことじゃないとは思うけど、私は、見かけを変えれば、その中身も簡単に変われるとは思えないんだけどな」
「……」
「ごめん。ちょっと偉そうなこと言った」
「……」
「でもさ、どうして、私に昔の話をしてくれたの?」
「……怒ってくれたから」
「えっ?」
小さな声でよく聞き取れなかった。
「話の流れから何となくだよ!」
生田さんは、横を向いたまま、既に無くなっているアイスカフェラテのストローをズーズーと鳴らしながら、空気を飲んでいた。
三個目のレアチーズケーキも三口で食べ終えた私は、くらちゃんに手を振りながら店から出た。
「生田さん」
「何だよ?」
「ご馳走様」
「……お、おう」
「これで、一応、お互いの約束は果たしたってことで良いかな?」
「あ、ああ」
「それじゃあ、私、帰るから」
「か、河合!」
駅に向けて歩き出していた私が立ち止まって振り向くと、生田さんが何となく恥ずかしげにもじもじとしていた。
――キャラ違ってるんだけど?
「あ、あのさ、河合は塾とは行っているのか?」
「いや、行ってないけど。でも、何でそんなこと訊くの?」
「い、いや、そ、その、……さっき、アニメックで同級生と話してたけど、お前のクラス、テストが近いんだろ? 勉強はどうしているのかなって思ってさ」
「ああ、まあ、なるようにしかならないよ」
「何だよ、そのいい加減な姿勢は!」
「あんたに言われる筋合いは無いだろ!」
「い、いや、だからさ、……テスト勉強を一緒にしないか?」
「どうして?」
「ど、どうしてって?」
「だから、私と一緒に勉強したい理由は何? 別のクラスのあんたには何のメリットも無いと思うけど」
「理由は必要か?」
――あれっ、こんな、やり取り、前にもあったな?
「まあ、強いて言えば、アニメのこととか、もうちょっと訊きたいし、そ、その、もうちょっと話をしてやっても良いかなって思ってさ」
「何だよ、話をしてやっても良いって? 相変わらずの上から目線なんだな」
私は、また駅の方に振り返り歩き出そうとした。
「河合! 勉強、教えてやるぞ!」
「…………いくらで?」
「えっ?」
「何か裏がありそうなんだけど。レアチーズケーキ三個に匹敵する貢ぎ物を要求してくるとか?」
「人を悪徳代官みたいに言うな! 只だよ、只!」
「ふ~ん」
「えっと~、まあ、なんだ。オレもたまには違った環境で勉強がしたくなったんだよ」
「私は、あんたの成績アップのためのBGMか?」
「お前の声がBGMになる訳無いだろ! ま、まあ、オレと一緒に勉強すれば、河合の成績もアップするぜ」
「本当に?」
「ちっとは人の言うことを信じろよ! じゃあ、こんどのテストで河合の成績がアップしなかったら、また、レアチーズケーキを奢ってやるよ」
「今度は四個で」
「てめえ! 何で教えを請う方が強気なんだよ!」
「請うてないし」
「……分かったよ。その条件で飲もう」
「でも、夕食までには家に帰りたいから、それまでであれば」
正確に言うと、「夕食後のイラスト描きの時間を確保できるのであれば」ということだ。
「そんなに遅くまでやるつもりはないぜ。一時間半もやれば十分さ」
「それは、あんたは頭が良いからでしょ?」
「コツってもんがあるんだよ」
「ふ~ん。まあ、よろしくお願いするわ」
「まかしとけって!」
今まで友達がいなかった私の周りに、同じく友達がいなかった、くらちゃんや生田さんが寄り付くようになったのは何故だろう?
自分では分からないけど、私も高校生になって、何かが変わったのだろうか?
何も変わってないはずだ。喜多君と出会ったこと以外は……。