第十四話 見られたのは寝顔だけ?
白い天井と蛍光灯が見えた。
私はベッドに横になっており、胸から下には薄い布団が掛けられていて、布団から出ている左腕には、制服の袖がまくり上げられて、点滴用のチューブがテープで貼り付けられていた。
「気がついた?」
右を向くと、枕元の椅子に喜多君が座って、私の顔を見下ろしていた。
「ここは?」
「うちの病院だよ」
「うちの病院?」
「僕の家だよ。母親が医者をしてるんだ」
「……どうして、ここに?」
「河合さん、アニメックで突然、倒れてしまって……。僕もびっくりしちゃったんだけど、タクシーで、うちまで運んで来たんだ」
そう言えば、アニメックで喜多君の熱弁を聞いている途中から記憶が無い。
「ちょっと、待ってて」
そう言うと、喜多君は部屋から出て行った。
部屋を見渡してみると、学校の保健室のように、壁際に置かれたベッドの反対側には、診察台のような机が置かれていて、病室と言うよりは診察室のようだった。
喜多君と一緒に白衣を着た女性が入って来た。
入学式の日に、喜多君と一緒に写真に収まっていた上品な女性だった。
「こんにちは」
にこやかな顔で私を見下ろした女性は、喜多君が座っていた枕元の丸椅子に座ると、私の右手首を軽く握り、自分の腕時計をしばらく眺めた。
「脈は正常ね。気分はどう?」
「……悪くないです」
「そう。良かった」
改めて、女性を近くで見ると、昔はすごい美人だったのだろうと思われた。今だって、すごく綺麗だ。そして、喜多君はこの人の息子なんだなって納得できた。
「ママ、もう大丈夫なの?」
母親のすぐ近くに立っていた喜多君が訊いた。
「ええ、顔色も良くなっているし、……点滴が終われば、帰れるでしょう」
「あ、あの、私、いったい?」
「精密検査をした訳じゃないから正確なことは言えないけど、過労だと思うわ。イラストの描きすぎかしら?」
「えっ?」
私は喜多君の顔を見つめた。
「ママには、河合さんが、いかすみさんだって、前から話しているんだよ」
「……」
「可愛い絵を描いている人だから、どんな人かと琥太郎と話していたんですよ。琥太郎の言うとおり、可愛い人でした」
「……」
「琥太郎ちゃん、点滴が終わったら知らせてくれる。ママは、まだ診察が残っているから」
「うん、分かった」
喜多君の母親は、笑顔で私にうなづくと、部屋から出て行った。
「河合さん、もう大丈夫だと思うけど、気分が悪くなったら、すぐに言ってね」
「う、うん」
喜多君は、さっきまで母親が座っていた枕元の丸椅子に座った。
「喜多君」
「うん?」
「さっき、アニメックで倒れたって言ってたけど、全然、記憶が無いの。私、……どうなったの?」
「急にフラフラしだして、僕が慌てて側に寄ると、そのまま僕の方に倒れてきたんだ。最初は、ふざけているのかと思って、ちょっと嬉しかったんだけど」
「う、嬉しかった?」
「僕に抱きついてきたみたいに思っちゃってさ」
「……」
「でも、意識が無いのが、すぐに分かって、救急車を呼ぼうかと思ったけど、うちもすぐ近くだったから、タクシーに乗せて、連れて来たんだ」
「どうやって?」
「どうやってって、そのまま抱っこして、アニメックから外に出たら、ちょうど、タクシーが来たんだよ」
「抱っこって?」
「お姫様抱っこ」
私は急に恥ずかしくなってしまった。
「へ、変なこと、してないでしょうね?」
「えっ?」
「だから、私の意識が無いことを良いことに、あちこち触りまくったとか?」
「信用が無いなあ。そんなことしないよ」
「本当に?」
「本当に! ママが診察する時も、ちゃんと外で待機していたよ」
「そ、それは当然でしょ!」
「はははは。一応、これでも紳士のつもりなんだよ」
「…………信用する」
「それはどうも」
気が動転して、変なこと言ってしまったけど、よく考えると、喜多君は、そんなことをする人じゃないって分かっていた。
「ごめんなさい。変なこと言って。それで、……その、……ありがとう」
「うん。……でも、良かったよ。大したことなさそうで」
私は、もう一度、ゆっくりと部屋を見渡した。
「でも、喜多君のお母さんって、お医者様だったんだ」
「うん」
「お父さんも?」
「うちには母親しかいないよ」
「えっ?」
「父親は、僕が小さい時に死んでしまったんだ」
「そ、そうなの」
「父親も医者で、この病院は父親が設立したんだけど、父親が死んだ後、母親が跡を継いでいるんだ」
「喜多君って兄弟は?」
「いない。一人っ子」
「そう、……じゃあ、ずっと、お母さんと二人で」
「うん」
喜多君が母親から大事に思われるのも当然だ。
「喜多君も将来はお医者様になるの?」
「う~ん、……そうだね。小説家になりたいってことは、ママにも言ってるし、反対もされてない。でも、僕も将来はママを養わなければいけないけど、小説家で食べていけるかどうかなんて分からない。だから、医者の資格を取ることは考えている」
「……ちゃんと自分の将来のことも考えているんだ」
「勉強もちゃんとしてるだろ?」
確かに、喜多君は、最初の学力テストも学年で二位とかだった。
点滴が終わったことを確認した喜多君が部屋を出て行くと、すぐに母親と一緒に戻って来た。
母親は点滴のチューブを外すと、再度、脈を測った。
「いかすみさん、上半身を起こしてくれるかな」
私はゆっくりと起き上がった。
「気分は?」
「大丈夫です」
「うん、じゃあ、帰って良いわよ」
「あ、ありがとうございました」
「はい。無理して体を壊したら、元も子もないわよ」
「は、はい」
「じゃあ、琥太郎ちゃん、後はお願いね」
「うん、分かった」
母親は、私に笑顔でうなづくと、また部屋を出て行った。
「立てる?」
「もう大丈夫」
足をベッドから降ろすと、目の前に喜多君の手が差し伸べられた。
「はい。ふらつくと危ないから」
私は、少し躊躇したけど、喜多君の手を取った。大きくて暖かい手だった。
腰をずらして床に置いてあったスリッパを履き、ゆっくりと立った。
「喜多君、ありがとう。ふらつきもないし、気分も平気」
「うん」
喜多君は残念そうに私の手を離した。
「駅まで送って行くよ」