第十二話 イカの初めての友達は心美しいクラゲちゃん!
翌朝。
池梟駅の改札口を出ると、倉下さんが待ち伏せしていた。
「河合さん、おはようございます!」
「お、おはよう」
倉下さんは、昨日までしていたツインテールじゃなくて、ポニーテールにしていて、血反吐を吐くくらいの可愛さだった。
「河合さん、お陰様で、バイト、受かりました!」
「私は何もしてないから」
「でも、健闘を祈るって言ってくれたじゃないですか。河合さんのあの言葉、すごく勇気づけられました」
「う、うん、……まあ、良かったね」
「はい、ありがとうございます! うふふふ」
倉下さんは、喜びを噛みしめるように笑った。
「バイト受かったことが、そんなに嬉しかったの?」
「いえ、もっと嬉しいことがあって」
「へえ~、何?」
「昨日、話していた、いかすみさんが私をフォローバックしてくれたんです!」
――しっかりとチェックされていた。
「今朝、お礼のツイートを送ったんです。夜にはリプくれているかもって思うと、今からワクワクしてます」
そもそも、慢性的に寝不足な私は、毎朝、一刻一秒を争う困難な登校ミッションを遂行しなければならないから、朝にはツイッターに入る暇は無かった。
「そうなんだ。それは良かったね」
「はい」
「ところで、倉下さん」
「はい」
「倉下さんは、アニメは好きなの?」
「はい! 人並みには」
人並みって、基準をどこに置いて言っているんだろう?
「どんなアニメが好き?」
「夕方にやっているアニメも深夜アニメも好きですよ。でも、あれこれと見る時間は無いので、ツイッターで面白いアニメを訊いて、それを録画して見ています。今は、火曜日の深夜にやっている『ベルベット・クラウン・オンライン』というアニメがお気に入りです」
「あっ! それ、私も好き!」
「ふふふふふ」
「何か、おかしかった?」
「だって、すごい勢いで食いついてきたから」
「ああ、……ま、まあ、それだけ好きってこと」
「私も大好きです」
「でも、倉下さんが深夜アニメ見てるイメージじゃなかったな」
「えっ、それじゃあ、どんなイメージですか?」
「何か、テレビは某国営放送しか見てないって感じがしてた」
「ふふふふふ、某国営放送は大晦日以外、ほとんど見ないです」
「ははは、私もそうだ」
思っていたより、倉下さんとの話が弾んでいるような気がした。
でも、嫌じゃなかった。
「おはよう!」
交差点で信号待ちをしていた私達の後ろから喜多君の声がした。
振り向くと、喜多君と、自転車を押している谷君が並んで立っていた。
「おはよう」
私は、喜多君達の方に体を向けて挨拶を返した。
すると、倉下さんが慌てたように、私の背後に回り込んだ。まるで喜多君達を避けているようだった。
「おはよう、倉下さん!」
「お、おはようございます」
喜多君は、いつものにこやかな笑顔で倉下さんに挨拶をしたけど、倉下さんは緊張しているように、私の背中に密着していた。
「今日は、朝からついてるな」
喜多君の笑顔が少し眩しくて、視線を谷君に移すと、谷君は倉下さんを嬉しそうに見つめていた。
「本当だよ。倉下さんとは席が近いけど、なかなか話してくれないからさあ。喜多が一緒だと、倉下さんも話してくれそうだし」
どうやら、喜多君と谷君の「出会えてラッキー」の対象は違っているようだ。
――まあ、谷君のラッキー対象が普通だと思うけど。
「何でだよ?」
「いつものキラースマイルで雰囲気を和らげてくれるだろ?」
「誰がキラースマイルだよ?」
喜多君と谷君が話している間、倉下さんは、ずっと私の背中に張り付いていた。少し震えているようにも感じた。
「河合さん、一緒に学校に行こうよ」
喜多君のその言葉に反応したかのように、倉下さんが、ぎゅっと私の腕を握った。
それは「断って」と言っていた。
「ごめん。私、倉下さんとちょっと内緒の話があるから」
「えっ、そうなの。それは残念だ。じゃあ!」
揃って残念そうな顔をした喜多君と谷君は、青信号になった横断歩道を渡って行った。
「倉下さん、谷君から何かされたの?」
私は、背中に張り付いたまま、去り行く喜多君達を見つめていた倉下さんに、肩越しに訊いた。
「えっ? い、いいえ、何も」
倉下さんは、慌てて、私の背中から離れた。
「谷君のこと、すごく怖がっているみたいに見えたんだけど?」
「あ、あの……」
倉下さんは、体をもじもじとくねらせるだけで、私の問いには答えなかった。
「まあ、言いたくないのなら言わなくても良いよ。もう訊かないから」
「あっ、河合さん! 待ってください」
私が横断歩道を渡り始めると、すぐに倉下さんが追いかけてきて、隣を歩き出した。
「ご、ごめんなさい。隠すつもりはないんですけど」
「別に、無理に言う必要はないよ」
「いえ、河合さんには嘘なんて吐けません!」
横断歩道を渡りきって、立ち止まって見た倉下さんの瞳には、また決意の現れの炎が燃えていた。
「どうして?」
「だって、河合さんとは、本音で語り合える友達になれると思いますから。……いえ、なりたいんです!」
「……まあ、それは倉下さんが決めることだけどね」
「はい、……実は」
うつむき加減だった倉下さんは、大きくうなづいてから、私の顔をしっかりと見た。
「私、男性が苦手で」
「はい?」
「だから、……男性恐怖症って言うんでしょうか? 男性に近寄られると、何だか体が震えてしまって」
ボーイフレンドが二・三人いてもおかしくない容姿なのに……。
「後ろの席の谷君は、よく話し掛けてきてくれるんですけど、私、ちゃんとお話ができなくて……」
「谷君に限らず、男子はみんな、倉下さんと話をしたがってると思うけど?」
「よく声を掛けられます」
「どうしてるの?」
「ちょっと用事があるからとか言って、逃げ回ってます」
「これからもずっと、そうするつもり?」
「あ、あの、……だから、登下校の時も休憩時間も河合さんの近くにいさせてほしいんです」
「何それ? 私と一緒にいることで、男子が寄って来ないようにしたいの?」
どうやら、私の方が遮蔽シールドとして使われていたみたいだ。
「正直に言うと、それは期待していました。でも、私は、河合さんをそのための道具として側にいてほしいと思ってなんていません! 河合さんと本音で語り合える友達になりたいという言葉は嘘じゃないです!」
倉下さんの瞳に燃えさかる炎は、その言葉に十分な信憑性を与えてくれた。
「分かった。私が勘ぐりすぎたね」
「い、いえ」
「でもさ、お芝居していたら、男性が近寄って来るシーンって、いくらでもあるんじゃない?」
「お芝居だと良いんです。だって、相手の男性は台本どおりの行動しか取らないじゃないですか。でも、リアルだと、どんな行動を取ってくるか分からないから……」
「それは、そうだね」
「中学時代に、ちょっとトラウマがあって……」
倉下さんは苦しそうに顔を歪めて、うつむいてしまった。
――本当に辛いことがあったみたいだ。
でも、倉下さんは勇気を振り絞るように顔を上げると、私を見つめた。
「実は」
「待って!」
私には、倉下さんに辛い思いをさせてまで、男性が怖くなった理由を聞く権利も資格もないはずだ。
でも、倉下さんは、そんな私に、全てを話そうとしてくれた。
「倉下さん。倉下さんが男性を苦手にしていることは、もう分かったから。それ以上は話す必要は無いよ」
「……河合さん」
倉下さんが、こんなにも私を信頼してくれていることが分かった。
私は、倉下さんに隠し事をしていることが恥ずかしくなってきた。
「倉下さん」
「はい」
「私ね、昨日、ツイッターを止めているって言ったの、あれ、嘘なの」
「えっ?」
「ネットでの私のことを知られるのが恥ずかしくて、嘘を吐いた。ごめんなさい」
「い、いえ。でも、ネットでの私って?」
私は、自分の鞄からスマホを出して、ツイッターに入ると、画面を倉下さんに向けて差し出した。
「…………いかすみさん?」
「うん。これが、ネットでの私」
「河合さんが、いかすみさんだったなんて! ……あっ、ひょっとして自分の名前を?」
「そう」
「何か信じられません。いかすみさんが、こんなに身近にいたなんて」
「倉下さん」
「はい」
「私が嘘を吐いていたこと、怒らないの?」
「いいえ! だって、私も正直に話していないことが、まだ、いっぱいありますから、河合さんを責めることなんてできません」
「……倉下さん」
「でも、いつか、……絶対! 河合さんには正直に何でも話ができるようになりたいです!」
倉下さんと、もっと話したい! いっぱい話したい! 一緒に笑いたい! 一緒に泣きたい!
そんな思いが突然、溢れてきた。
「ちょっと、待ってて!」
私は、スマホを操作して、くらげさんにリプを返した。
言葉で言い慣れないことも、ネットなら簡単に言える。
私は、スマホの画面を再度、倉下さんに向けて差し出した。
『くらげさん、フォローありがとうございます。くらげさんとは、初めての友達になれそうな気がします。これからもよろしく!』
「はい! よろしくお願いします!」
倉下さんの泣き笑いの顔が、日照り続きだった私の目にも、少しだけ雨を降らせた。




