第十話 私はパセリ? 刺身のつま? ニンジンのグラッセ?
放課後。
倉下さんはニコニコと笑いながら、鞄を持って、私の側までやって来た。
「お待たせしました」
「全然待ってない」
私は、まだ鞄に教科書を詰め込んでいるところだった。
「私、同級生と一緒に帰るのって初めてです」
「まあ、私もそうだけどね」
倉下さんに「本当に変な奴」って言いたくなったけど、すかさず、「お前が言うな」とセルフ突っ込みを心の中でする。
私と倉下さんは、一緒に校門を出た。
――すれ違う人の視線を感じる。
みんな、倉下さんに見とれている訳だが、倉下さんと並んで歩いている私も視界の中に否応なく入っているはずだ。
美少女には、必ずと言っていいほど添付されている引き立て役の女の子、それが今の私だ。
「河合さん」
「何?」
「河合さんは、絵を描くのが好きって、おっしゃってましたけど、どんな絵を描かれるんですか?」
「えっと~、……漫画系かな」
「へえ~、河合さんの描いた絵、見てみたいです」
「いや、本当に暇つぶしで描いてて、人にお見せできるようなモノじゃないから」
「きっと、ご謙遜されているんですよね?」
「私の辞書には『謙遜』という言葉は無いから」
「ふふふふ。でも、良いですね~。私は、絵の才能はまったく無くて、女の子を描いたつもりなのに、ティラノザウルスかって言われるくらいで」
それはある意味すごいぞ。肉食系女子を的確に描写しているのではないだろうか?
「河合さんは、ピクピクというイラスト投稿サイトをご存じですか?」
「えっ! ……ま、まあ、知ってるけど」
「素敵で可愛い絵がいっぱい投稿されてて、見てるだけで楽しくなるんですよね」
「そ、そうだね」
「私、その中でも、いかすみさんと言う方の絵が大好きなんです!」
――ばれてる? いや、そんなはずはない。
「ふ~ん」
「河合さんは、いかすみさんをご存じないですか?」
「ピクピクは、それほど熱心に見ている訳ではないから」
「ぜひ、ご覧になってください! 本当に可愛いイラストなんですから!」
「う、うん」
「いかすみさんのツイッターを見てると、私達と同じ高校生みたいなんですけど、すごいなあって思って」
「そんな大したもんじゃないと思うけど」
「はい?」
「い、いや、何でもない! ……でも、倉下さんもツイッターしてるんだ」
「はい。河合さんは、されていないんですか?」
「えっと~、今、ちょっと事情があって休止中かな」
「そうなんですか」
「ちなみに、倉下さんは何と言うハンドルなの?」
「『くらげ』って言います」
――私と同じように名前から取っている訳ね。
「けっこう、フォロワーさんはいるの?」
「今、五千人くらいでしょうか?」
「そ、そんなにいるの? ひょっとして、素顔を晒しているとか?」
「そ、そんなこと、できませんよぉ!」
確かに、ネットで個人を特定される情報を晒すのは危険だ。もっとも、倉下さんの場合、素顔を晒したら、フォロワーさんは一気に十万人くらいにはなりそうだ。
「河合さんも、ツイッターをまた始められたら教えてください! すぐフォローします!」
「う、うん」
池梟駅に着き、面接での健闘を祈りつつ、倉下さんと別れた後、私は、駅の反対側にあるアニメックに向かった。
アニメックの入口に立っていた喜多君が、私を見つけると、ニコッと微笑みかけてきた。
私が喜多君の側に行くと、倉下さんの時と違う視線を感じた。
男性からは喜多君を哀れ見るような視線が注がれていた。「イケメンなのに連れがこれかよ。ご愁傷様」って感じ。
一方、女性からは「何でこのイケメンの連れがこれなの? 信じられない!」という驚き、あるいは妬みのような視線を感じた。
「行こうか」
「何を見るの?」
「とりあえず、DVDコーナーに行こうよ」
「また、エッチなDVDでも買うつもり?」
「買いたいDVDはあるけど、今日は資金不足だよ」
「ママに来てもらえば良かったね」
「はははは」
――こいつ! 私の皮肉も華麗にスルーかよ!
喜多君は、かなりの鈍感力と、高いスルースキルを持ち合わせているみたいだ。
アニメのDVDコーナーまで来ると、しばらく、DVDを手に取りながら、お互いの好きなアニメを紹介しあったりしたけど、そのほとんどが被っていた。
「この『僕は妹のペットに成り下がった!』も好きだな」
「ああ、これはちょっと……、エッチなシーンが多すぎ」
「河合さんは、エッチなシーンは嫌いなの?」
「萌えるシチュエーションでのエッチシーンだったら良いけど、これは、無理矢理、エッチなシーンにもっていってる気がする」
「僕はそうとは思わないけどな。ラノベらしきものを書いている身として言わせてもらうと、アニメやラノベには、ある程度はエッチなシーンも必要だと思うんだよ」
「例えば、どんな場合?」
「愛を語るシーンとかは、言葉だけじゃなくて、やっぱり、自然な流れとして、エッチなシーンに進むこともある訳じゃない」
「そ、そうかな?」
「あれっ、河合さんって、そんな経験って無い?」
「け、経験って?」
「恋愛の経験」
「…………無い」
「えーっ! 嘘! 今まで人を好きになったこと無いの?」
「声が大きい!」
「いや、初恋とかは?」
「……これと言って思い浮かばない」
「ある意味、希少価値だね」
「人をレアアイテムみたいに言うな!」
「はははは」
喜多君の笑いは、人を馬鹿にしているようには感じなかった。
「じゃあ、そう言う喜多君は、さぞかし恋愛経験が豊富なんでしょうね?」
「中学の時には、告白されて、つき合っていた彼女もいたよ」
「……過去形なんだ?」
――どうして気にしてるの、私?
「うん。その子とは、半年くらいで別れたよ」
「そう……なんだ」
「その子はすごく可愛くて、男子に人気のある同級生だったけど、一緒にいて、次第につまらなくなってきたんだ」
「飽きたってこと?」
「う~ん。……正直、そうなのかもしれない」
喜多君は、床を眺めるように目線を下げて、何かを考えていたみたいだけど、すぐに顔を上げて、隣にいる私の顔を見ることなく、真っ直ぐ前を向いたまま話し始めた。
「僕も、その頃には、もう、ラノベやアニメがすごく好きになっていて、自分で小説も書き始めていた頃だけど、その子は、そう言ったオタク的なことに、まったく興味が無かったみたいなんだよ」
「……」
「僕が、自分の好きなアニメの話とかしても、全然、反応が無くって、逆にどこが面白いのって訊かれちゃったりして」
「興味が無い人はそうなのかもね」
「うん。でも、自分から別れを切り出すことは、その子に悪いような気がして、できなかったけど、僕がどんどん無口になっていくのが分かったんだろうね。その子の方から別れを切り出してくれたよ」
「……」
「そんなことがあったからかな。中学の時には、学校でアニメの話とかをするのが、ちょっと怖くなってさ。思いっきり話せる相手もいなかったし」
「……」
「海老原高校に入学したのも、そんな雰囲気から逃げ出したかったからなんだ」
喜多君の出身中学である貝塚中学は中高一貫の私立校だった。喜多君の元カノは貝塚高校に進学しただろうから、その子と会いたくなかったのかもしれない。
「あっ、何か、勝手に自分のことをしゃべりまくってしまったね。ごめん」
「……別に、嫌じゃなかったから」
「うん」
喜多君は、いつものイケメンオーラを放つ笑顔を私に向けた。
「だから、河合さんがいてくれて嬉しかったんだ」
「えっ?」
「アニメやラノベのことを、ネットでとことん話していた河合さんが、リアルで目の前に現れてくれたからさ。今日だって、一緒に来てくれて、いっぱい話をしてくれた。こうやって、思い切り、アニメの話とかができるのが、何か嬉しくてさ」
喜多君に言われて、初めて気がついた。
リアルで男の子と話すことなんて、ほとんどなかった私だけど、今、喜多君との話が弾んでいたことを。
面倒臭がり屋の私が、喜多君と一緒にアニメックまで来て、こうやって話をしているということは、それが楽しいからに違いない。