裕子-1
隣で眠る少女が衰弱していく。幼児ならではの目の輝きが失われていく。あぁ、この少女はここからいなくなる。肉の器だけを残して消えていく。
「お母さん、裕子が息してない」
「そう。」
目の前にいる女は今にも消えそうな少女を一瞬見やると煙草を少女に擦り付けた。数分前までは火の熱さに悶え苦しんでいた小さな身体も今では一ミリも動かなかった。
「裕子が嫌いなの?」
「裕子って誰よ?」
きっとこの女は少女を虐待死させた自覚が無いのだろう。少女が絶命して5分もたたない間に脳内から存在を消した。鬼畜極まりない女の言動に初めて怒りという感情が湧いた。
「お母さん・・・?裕子はあんたの娘でしょ・・・?私が一週間家を空けてる間に何が・・・」
「だから裕子って誰?」
仄暗いリビングの静けさが増した。この女は裕子を殺した。私の母親は妹を殺した殺人者なのだ。
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第1話【裕子】
誰もが夢の中にいるだろう真夜中に、民家にはそぐわぬ赤い光が辺りを照らしている。放心状態から無理矢理意識を引き戻し、気がついたら小さな携帯電話を片手に必死に助けを求めていた。母はお構いなしに煙草を吹かし続けている。
「高岡美穂さんですね?」
「・・・・・はい」
「この度は通報ありがとうございました。君は容疑者の娘・・・。そして被害者の姉ということで宜しいですか?」
「・・・はい」
正直警察の詰問なんかどうでもよかった。私が一週間、施設実習で家を空けてる間に何があったというのか。あんなに子煩悩で優しかった母が実娘を虐待していたなんて。母はブタ箱行きになるだろう。妹は死んだ。父親もいない。私はいったいどうすれば?
「美穂ちゃん?」
「え・・・あ・・はい」
「もう一度確認させてもらうね。君の名前は高岡美穂。間違い無いね。」
「はい」
「1990年5月6日生まれ・・・か。」
警察の男が何かの書類を見ながら首を左右に揺らしている。何か私の個人情報におかしなところがあったのか。初対面で出会って数時間しかたっていないがこの男が嫌いになった。舐めるような視線が気持ち悪い。
「君は里子か何かかい?」
「はい?」
男はにやりと口角をあげ、楽しい玩具を得た子供のようにそわそわしはじめた。
「いやぁ、不思議だなぁと思って。里子の方を虐待するんじゃなくて実娘を虐待するなんてなぁ・・・」
「は?え?」
「知らなかったの?書類上君と容疑者、被害者は血縁関係じゃあないよ。」
「なんで!?」
飲み込みの悪い私は何度も男の身体を揺さぶった。血縁関係が無い?ふざけんな!!!こっちは家族だと思って幸せに暮らして来たんだ!!!裕子が可愛らしく私の後をついてくる光景が浮かんだ。
「裕子は・・・お母さんは・・・私の家族です。例え血の繋がりが無くても家族だったんです・・・」
声が掠れる。男の姿形が歪んで見えた。
「まぁ血の繋がりが無くてよかったんじゃあないの?知らない地へ高跳びすれば殺人者の関係者だってバレない訳だし。」
この悪魔のような男が首を吊って死んだのは数日後の事だった。自信満々で何事にも楽観的に見えたあの警察官が自殺なんて。バチが当たったのだと思った。死んで当然の人間だったのだ。
私は家族を失い行く宛が無かった。21歳という年齢は児童養護施設の規定年齢から外れているため頼ることが出来ない。親戚一同も殺人者の娘が面倒事を呼び込む事を予想して受け入れてくれなかった。
保育系の大学には奨学金で賄っているが生活費に困る状態まで陥り明日も見えぬこの世界で絶望感を抱きながらひっそりと生きていた。