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民の望んだ皇妃  作者: 界軌
本編
74/85

74.足音

 皇妃フェリシエを失った後の事を、帝国の歴史はこう語る。


 皇帝ノールディンは様々な政策を実行し成功した事から、民衆からの信頼と支持を勝ち取り、善政を続けた。


 その政策の発案者に『皇妃フェリシエ』の名が載る事は決して珍しい話では無かった。


 また、公的な場では必ず皇帝の席の隣に空の皇妃の席が設けられていた。一瞬、そこに微笑む皇妃フェリシエを見たと思った者は多かったと伝えられる。


 皇家には一年後に皇太子が、その翌年に皇女が誕生した。


 その二人の生みの母である皇帝ノールディン唯一の側妃ユーシャナは、万事において控えめで、表舞台立つ事は殆ど無かった。


 それでも女性を集めた茶会を開く事は多く、非公式な場での交流を持って皇帝を支えたと言われている。


 だが、歴史が語らぬ事実も勿論ある。


 例えば、皇妃フェリシエが消えた数ヶ月後、皇帝ノールディンは要塞都市アンジェロを密かに訪れていた。


 その際、彼はエダ・セアの森にも足を運び、一人の時間を過ごした。


 更にその帰りに、『土産』と称して、アンジェロの領主から大きな絵を一枚貰い受けている。


 その絵を寝室に飾ると、ノールディンは以前にも増して私室に人を入れなくなった。


 再び史実の話に戻るが、皇帝ノールディンの治世十五年に、遠く離れたチルダ=セルマンド大陸のバルス=セルマンドという国で、一冊の論文が発表された。


 魔具を系統立て、その用法や作用を詳しくまとめたその論文は、フォール大陸に渡ると真っ先に皇帝の手元に届けられた。


 彼はその論文に感銘を受け、写しを大量に作らせると、帝国内の様々な学術機関や工房に配布した。


 魔法としか思えなかった魔具の効果が、科学的に論理的に書かれているのだ。それを読んだ各方面の専門家が自分達の技術向上や効率改善に役立てて、測量技術の発達や新たな製品の開発などの目覚ましい結果を出した。


 そして、皇帝ノールディンはその返礼として、自身の資産の一部と帝国内にある魔具関連資料の写しをその論文の発表者達に贈った。


 発表者達とは、バルス=セルマンドの大学院に所属する『パラ=カナム』(白鹿の意)の称号を持つ研究者と、その教え子にあたる『パラ=カルナラ』(白椿の意)の称号を持つ研究者である。


 バルス=セルマンドでは、大学院や国王に研究の功績が認められると、称号を与えられる。論文の発表は基本的にその称号を持って行われるのだ。


 半年後、帝国に送られて来たのは、新たな論文と謝辞の手紙だった。


 その論文を元に、再び帝国の各地で様々な功績が現れる事となった経緯までは語らずとも良いだろう。









 時は流れ、地が変わる。


 帝国から遥か海を越えたチルダ=セルマンド大陸最大の国、バルス=セルマンドの首都にほど近い森の中。


 秋枯れの木々が落とす葉の上を、一人の男と彼に引かれた馬が歩いていた。


 やがて彼らは木々の切れ目を見つけた。


 そこにあったのは素朴な村だった。


 森との境には小さな広場があり、その周りを囲むように簡素な造りの家々がまばらな間隔を空けて並んでいる。


 もうじき夕暮れというこの時間に見える人影は二つ。どちらも広場に置かれた座面の長いブランコに腰掛けていた。


 男はゆったりとした足取りでそちらに近づいて行く。


 すると、徐々にブランコに座る二人の会話が耳に届くようになってきた。


「そうして、皇帝陛下は皇太子殿下に皇位を譲り、その後は帝国の隅々までを見て回りましたとさ。……おしまい」


 男に背中を見せる小柄な女性が、開いた本の内容を読んでいるようだ。


 すると、上半身を女性の膝に乗り上げる様にしていた幼い女の子が唇を尖らせた。


「え〜、それでおわり?」


 彼女は不満そうだ。


 けれど傍らの女性はにべも無く答える。


「そうよ。これでおしまい」


 少女は女性の膝の上に仰向けに身を投げ出すようにして、体を揺する。ブランコが彼女の動きで不規則にゆらゆら揺れた。


「皇妃様は〜? フェリシエ様は〜?」


 ふうっ、女性は肩で息を吐く。


「そんなの、もうずっと前にいなくなっちゃったでしょう」


 呆れた様な物言いに、少女は頬を膨らませて駄々をこねる。


「やだ! フェリシエ様が出てこなきゃ、やだ〜!」


「困った子ねぇ……」


 膝に広げた本の上で少女がじたばたする為に、女性は本を押さえたりブランコの揺れを押さえたりして両手が塞がってしまっていた。


 彼女の背後まで近づいていた男は、ブランコの背もたれに手を置いてその動きを止めた。


 ブランコの揺れが止まった事に気が付いた女性が、くるりと振り返る。


「あ……」


 男の顔を見て、彼女は目を見開いた。


 驚いた彼女の表情に、自然と男の口元が緩む。


「わあっ、王子様だあ!」


 叫んだのは、女性の膝の上でひっくり返った姿勢になっていた少女だ。


 その台詞に、男の、ノールディンの頬が微妙に引きつる。


「……王子と呼ばれる様な歳ではないんだがな」


 だが、少女は、こんなに綺麗な顔をした男の人を見たのは初めてだったのだ。王子様は綺麗な男の人、という思い込みを持っていた少女にとって、目の前に立つ背の高いその人は『王子様』に他ならなかった。


 頬を紅潮させる少女を見て、それから再びノールディンを見上げて、女性は呟いた。


「……ノール」


 変わらないその声に、ノールディンは言葉を返す。


「久しぶりだな、スゥリ……」


 記憶にあるよりも少しだけ嗄れた声が、彼女の名前を呼ぶ。


 あまり容色に変わりは無いというのに、声だけが変わっている。その事に、スウリは時の流れを感じた。


「ええ、久しぶりね……」


 暫く黙って視線を交わし合っていたが、唐突に、スウリの上に乗っかった少女がぴょこんっと体を起こした。


 その動きに、二人は瞳を瞬く。


 少女はブランコに座り直したものの、特に何をするでも無く、スウリとノールディンを見比べている。


 真っ直ぐな視線に決まりの悪さを感じながらも、ノールディンは胸に浮かんだ一つの問いを解消する事に決めた。


 少女の挙動に目を奪われているスウリに、表情を改めて口を開いた。


「スウリ、その、俺は遅かったのか……?」


「え?」


 ノールディンの問いの意味がわからなかったスウリは、きょとんとして、首を傾げながら顔を上げた。


 その時、広場に面した一軒の家の扉が開いて、少しふくよかな女性が姿を現した。


 彼女は口元に手を添えて、こちらに呼び掛けて来る。


「ウィーティ―、ご飯よ!」


「お母さん!」


 女性の呼び掛けに反応したのは、スウリの隣に座っていた少女だ。


 ブランコから飛び降りて、跳ねる様に駆けて行ってしまう。


 胸に飛び込んで来た少女を受け止めてから、その母親である女性は顔を上げた。


 ノールディンはその顔に見覚えがあった。


 スウリの親友、ウィシェル・ペディセラだ。


 彼女はブランコの背後に立つノールディンに目を止めると、一瞬、警戒心を露にした。見知らぬ人間が村に入り込んだと思ったのだろう。


 だが、直ぐに知っている人物である事に気が付いて、今度は両目を大きく見開いた。


 戸惑った様に瞳を揺らしてから、少し心配そうにスウリを見やる。


 親友の送って来る視線に、彼女は小さく頷いて見せた。「心配無い」と示す為に。


 その仕草に、どうするべきかウィシェルは迷いを見せた。


 けれど結局彼女は娘を家に入れて、小さく礼をしてから自分も入って行った。


「……あの少女は、ウィシェルの娘か」


 少し呆然とノールディンが呟くと、スウリは「ああ」と漏らした。


「私の子どもだと思ったのね」


 その言葉に、彼は素直に頷いた。


「……結婚をしたのかと思った」


 くすり、とスウリは笑いを零した。


「残念ながらそういうご縁には恵まれなかったわ。研究ばかりしていたからかしらね」


 彼女はチルダ=セルマンド大陸に渡った後、バルス=セルマンドで大学院に入り、そこで魔具研究の第一人者である『パラ=カナム』に師事した。師との共同研究の成果が認められて、国王から直々に研究者としての称号を与えられた。その称号を、『パラ=カルナラ』という。


 そして件の論文を発表するに至ったのだ。


 肩を揺らして笑う彼女の前に回り込んで、ノールディンは片膝を付いた。


 ブランコに座るスウリよりもノールディンの視線は低くなった。


「俺がここに来た理由が、わかるか?」


 唐突な問いに、スウリは首を振る。


 その声音が、昔よりも穏やかになった気がして、少し彼女を落ち着かなくさせる。


「俺は、もう一度スウリと共に生きる機会が欲しくてここに来た」


 とくん、とスウリの心臓が一つ大きく脈打った。


 ノールディンの瞳は真摯で、求婚された時や、あの別れの時と同じ色を帯びていた。


「共に、生きる?」


 小さく聞き返せば、彼はしっかりと頷いた。


「あの時、俺たちは多くを知らず、多くを見過ごし、そして多くを失うことを怖れた」


 その為に、あんな別れが必要になってしまった。


 結局、大きなものが失われてしまった。


 胸に空いた穴はそのままスウリの中にある。心に抱えた重いものも、変わり無い。


 それは、ノールディンとて同じだったと、彼の瞳が告げている。


 全く同じでは無い。けれど、それでも、二人の胸には穴があって、投げ出してはいけない大切なものを抱えているのだ。


「同じ過ちは繰り返さない努力をする。失敗も、あるだろう。だが、それでも……」


 切に願う、そんな色が彼の瞳にあった。


 すっ、と息を吸ったスウリは言った。


「言いたいことを言うわ」


 彼女の台詞に、ノールディンは目を見開く。


「……ああ」


「喧嘩もするだろうし」


「ああ」


「炊事も洗濯も、自分たちでするのよ?」


「……分かっている」


 自分で、では無く、自分たちで、と言われた事がノールディンには嬉しかった。


「四六時中一緒にいるはめになるのよ? ご飯も一緒に食べるし、寝たり、起きたりして、それで、ちゃんと喧嘩の仲直りもしなくてはいけないの」


「ああ」


 なんて、当たり前の事だろう。


 目を細めて、ノールディンは頷く。


「ああ。……それがしたい」


 スウリの瞳が少しだけ、揺れた。


 きゅっと唇を噛んで、小さく呟く。


「研究が進まなかったら、八つ当たり、するかも……」


 目の前の男はそんな事に臆したりはしない。


 むしろ、笑ってみせた。


「望むところだ」


 楽しそうな笑い方が、以前の彼と違う、とスウリは感じた。


 僅かに淋しさも感じながら、それでも、その変化に喜ばしいと感じる心がある。


 ただ、彼には帝国という背負うべきものがあったはずではないのか、という問いはどうしても残る。だからそれを直接ノールディンに質した。


「国のことはいいの? 息子さんはまだお若いのでしょう?」


 そう尋ねれば、ノールディンは苦虫を噛み潰した様な顔をした。


「先程の、あの本は何なのだ? やけに帝国の事情を詳細に書いてあったな……」


 そう。スウリが先程までウィシェルの娘に読んでいたのは、帝国の内情を正しく書き記した文章だったのだ。


 現在、帝国は二年前に即位したばかりの皇帝シエルディーンによって治められている。そして、ノールディンが譲位を行った後、国内の視察を行っていたのも事実だ。


「ああ、あれね」


 小さく頷いたスウリは、彼の疑問に答える。


「特殊な情報網を持つ友人が物語風にして帝国の情報を教えてくれるの。それをウィーティーが気に入って、いつも読み聞かせをさせられているのよ」


 少女の拗ねた様を思い出して、彼女はくすくすと笑った。


 大して重要な事では無し、と捉えているスウリに、ノールディンは嘆息を吐く他無かった。実際は国益に関わる重大事のはずなのだが、彼女はその情報網を持つ人物をとても信用しているようだ。


「それで、国の方は良いの?」


 再度尋ねれば、ノールディンは頷いた。


「元々譲位はシエルディーン本人が望んだのだ。それに、こちらに来るに当たって、課題が山のように出された。惚けている暇はそうそう無いだろうな」


「課題?」


 不思議に思ってスウリが瞬くと、彼は眉をひそめた。


「まず、バルス=セルマンドとの国交を開始する為の足がかり作りだ。その先のことまで頼まれた」


 人使いの荒い……、と人の事を言えない癖にノールディンはぼやく。


「私室の方はともかく、絵までとられて……」


「絵?」


 何の事だかわからずスウリが首を傾げると、ノールディンは視線を彷徨わせ、「何でも無い」と言った。


 けれど、そういう態度が良く無かったのだと思い出して、直ぐに前言を翻した。


「いや、そのうち話そう……」


 そんな彼に頷き返しながら、考えていたよりもずっと親子の仲は悪く無いようだ、とスウリは思った。


 少し意外な思いと、どこか複雑な思いを抱えながら、スウリは苦笑した。


「バルス=セルマンドとは全く国交が無かったのだから、簡単にはいかないわね」


 ふっ、と落としていた視線を上げたノールディンは、片眉をちらりと上げた。


「……スウリにも手伝って欲しい。出来れば、だが」


「私に?」


 驚く彼女に、彼は先を続ける。


「国王と懇意にしていると聞いた」


「ええ、そうね。良くして頂いているわ」


 事実である為、彼女は素直に肯定する。


 ところが、ノールディンのそれに対する反応はおかしかった。


「……………………」


 額に手を当てて暫く沈黙していたが、やがてぽつりと言った。


「いや、違う」


「……何が違うの?」


「そこは重要ではない。その前に、先程の返事を聞きたい」


 瞬くスウリを見上げて、ノールディンは真っ直ぐに告げる。


「スゥリ、俺と共に、もう一度生きては貰えないか? 国交がどうのは、全く別の話だ」


 つい、いつもの調子で混同して話してしまったが、ノールディンが彼女の前に現れた本来の目的はそちらだ。


 それを思い出して、はっきりとそのままに伝えた。


 懐から、あるものを取り出して、スウリの手に乗せる。


 それを見て、彼女は懐かしそうに目元を緩めた。


 手の平の上には、赤い石のネックレスがある。


 スウリはそれを撫でて、微笑んだ。


「言いたいことを言うし、喧嘩もするし、八つ当たりもするわ」


 ぎゅっ、と膝の上で赤い石を握って、彼女は泣き笑いの表情を浮かべた。


「それでもいいの?」


 ノールディンは、笑った。


「望むところだと、さっき言った通りだ……」


 懐かしい一方で、全く知らない人の様なその笑みに微笑みを返して、スウリは静かに立ち上がった。


 すぐ隣でノールディンも立ち上がる。


 首を逸らさなくてはいけない程の長身を見上げて、彼女は震えないように気を張って言葉を紡いだ。


「帰りましょう。……私の家に、だけれど、ね」


 始めは穏やかな表情を浮かべたノールディンだったが、スウリの最後の言葉に、「ぐっ」と言って、喉にものが詰まった様な表情に変わった。


 瞳を柔らかく細めたスウリは、そっと彼の手を握って続きを付け足す。


「これからは、二人の家だわ」


 ゆっくりと、小さな家に向かって歩き出す。


 繋いだ手の温もりが、優しく感じられた。









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