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民の望んだ皇妃  作者: 界軌
本編
70/85

70.真実〜片端

 扉を開けた瞬間、スウリは随分久方ぶりに彼に会ったように感じた。


 目の前に立つノールディンは一昨日会った時とあまり変わらない簡素な服を身にまとい、腰には愛剣を下げている。


 そしてスウリは、まず会ったらこう言おうと思っていた事を口にした。


「……この間は危ないところを助けてくれて有り難う。それから、帝都に帰って、ノール」


 ノールディンはその台詞に唖然とした。


 呼び出されてからこの方、開口一番何を言われるかと、柄にも無く緊張していたのだ。


 それなのに、彼女の口から発せられたのは、感謝の言葉と拒絶の言葉だ。


 しばしの沈黙の後、ノールディンはゆっくり首を振った。


「それは今は出来ない」


「じゃあ、何時なら? 帝都を空けるなんて……。私が何かやり残した事があったの?」


 スウリは少しだけ眉間に皺を寄せて話す。


「違う。そうじゃない」


「だったら、すぐに帰るべきだわ。もちろん、貴方も分かっているとは思うけれど……」


 どう話し出すべきか、ノールディンには分からなかった。


 自分の行いをどう説明するべきなのか。


 僅かに厳しい表情を浮かべて、ノールディンは口を開いた。


「それはわかっている。だが、それでも時間が必要だった。俺は、お前と話すべきだと思ったんだ」


「私にはもう話すことなんて無いわ」


 間髪淹れずにスウリは言って、「それで終わりなら、帰って」と、扉を閉めようとした。


 けれどノールディンはそれを遮って扉に手を掛けた。


「待て」


「…………っ」


 目を見開いたスウリは、ぎくりと体を強張らせた。


「お前は確かに素晴らしい皇妃だった」


 ノールディンの言葉に彼を見上げたスウリだったが、その瞳には困惑がある。


「俺や父上が出来なかったことを次々に成し遂げてくれた。間違い無くそれは、皇妃フェリシエの功績だ。……だが、婚姻の儀から、俺たちは夫婦であろうとした事があったか?」


 戸惑いが驚愕に変わっていくのが、ノールディンにははっきりと分かった。


「俺は皇帝であることに懸命だった。お前は皇妃となることに懸命だった」


「それは……、それはっ」


 彼女の叫びの様な声を、ノールディンは遮った。


「俺たちは夫婦として始まっているとは思えない。それなのに、終わらせられると言うのか?」


 スウリの口は何かを言おうと幾度か動いた。


 けれど結局何も口にする事は出来なかった。


 一歩室内に引いて、扉を大きく開く。


 同時に大きく息を吸った。


「わかったわ。ここから始めましょう」


 見上げるスウリと見下ろすノールディンの視線が交わる。 


「そして、……これで終わらせましょう」


 見つめ合ったのは短い時間。


 やがてノールディンはスウリの空けた隙間を抜けて室内へと足を踏み入れた。


 背後でその攻防を見ていたハインセルも主の後に続こうとしたが、その前にスウリは立ちはだかる。


「ハインセル、貴方は遠慮して頂戴」


 彼女の台詞に、ハインセルは表情を険しくする。


「何故です。私は陛下の護衛です。共にあることが務めです」


「私たちがノールに危害を加えると……?」


 そうスウリが尋ねると、目に見えてハインセルは怯んだ。


「いえ、そのような事は思ってはいません。しかし、私も使命なれば……」


 真摯な瞳を見ていれば、彼が職務に忠実であろうとしているだけだとわかる。


 けれどスウリにも引けない一線がある。


「それでもお願いするわ。どうか同席しないで」


 僅かに迷いを見せた後、ハインセルは後ろに下がった。


 その様子にスウリは胸の内でだけ、ほっと安堵する。


「この建物の斜め向かいに小さな食堂があるわ。そこで時間を潰していて。……貴方の仕事の邪魔をしてしまって本当にごめんなさい」


 眉を下げてスウリがそう言えば、ハインセルはほんの少し口角を上げて瞳を細めた。


 何処か苦しそうにさえ見えるその表情で、彼は拳を胸に当てて騎士の礼をした。


 それは仕える相手にする正式な礼だ。


 彼のその動作に驚くスウリを置いて、ハインセルは「失礼致します」と囁いてから彼女に背を向けた。


 皇帝付き近衛騎士団長の大きな背中を見送ったスウリは、室内へと戻る。


 見れば、食卓テーブルの椅子にクゥセルがだらしなく腰掛け、その近くにノールディンが立っている。


 ウィシェルは流し台の傍に立って、仏頂面でノールディンを睨んでいた。


 今にも噛み付きそうな目だ。


 スウリは小さく嘆息して、ノールディンに椅子を指差した。


「そこに座っていて。今、お茶を淹れるから」


「スウリ、お茶なんてっ」


 淹れなくて良いでしょう。そう言いたげにウィシェルがスウリに近づいた。


 けれどスウリはそれに首を振る。


「お茶を、淹れるの」


 自分の心とウィシェルの心を落ち着かせる為だ。


 始めて終わらせる、なんてノールディンには言ったけれど、このままでは何を話していいのやらさっぱりわからなかった。


 だから、それを整理する為にも、お茶を淹れるくらいの時間が必要だった。


 不満そうな顔をしながらも、ウィシェルは戸棚から茶器を出してスウリを手伝ってくれた。


 こちらに背を向ける二人を見ながら、ノールディンは木の椅子に腰を下ろす。


 それから直ぐにテーブルの下でクゥセルの足を踏みつけた。


「……ぎぃっ?!」


 完全に油断していたクゥセルは奇妙な悲鳴をあげる。


「どうしたの?」


 台所に立つスウリとウィシェルが不思議そうな顔でこちらを見るから、クゥセルは歪んでいた顔を急いで戻して「何でも無い」と手を振った。


 無表情のノールディンに顔を寄せて小声で文句を言う。


「何すんだよ!」


 対する幼馴染みは彼に冷たい視線を送る。


「あんな訳の分からん伝言を寄越すからだ」


 スウリに頼まれて、クゥセルが城館に送った内容はこうだ。


『スウリがお前の悪行の数々を知ってお怒りだ。近く出頭せよ』


 ノールディンはその悪行とは彼女を襲った者達のアジトを潰しに行った件の事かと思った。


 あんな卑劣なやり方で邪魔者を排除しようとする者達を許しておく程寛容では無いから、彼としては当然の事をしたつもりだった。悪行には入らない、というのがノールディンの見解だ。


 まあ、彼の見解はどうあれ、クゥセルがその件を知っている訳は無い。よもや梟が余計な事を漏らすはずも無い。


 考えて出た結論は、これがクゥセルの質の悪い悪戯だという事だった。


 しかし意味も無く伝言を送って来る必要は無い。


 つまり、スウリ或いはクゥセルがノールディンを呼んでいるのは事実なのだろう。


 伝言を貰った時間も時間だった為、『明日、行く』と返事したのだが、実際に来てみれば、スウリの台詞は先の通りだ。


 いかにクゥセルの伝言がいい加減なものだったかがよく知れた。


 踏まれたクゥセルはいつも通りの態度で「お〜、痛っ」とか言っている。


「自覚が無いようだから言っておくが、お前は馬鹿だ」


 ノールディンの台詞に、クゥセルは鼻を鳴らす。


「ここに至るまで手を打たなかったお前の方が馬鹿だよ」


 くしゃり、とノールディンの顔が歪む。


「でも、俺も、お前やスウリにさっさと『馬鹿』って言ってやらなかったから、馬鹿だな」


 そう呟くクゥセルの顔はいつもよりずっと真剣で、彼にしては珍しい悔恨の色が浮かんでいる。


 それを横目で見て、ノールディンは何も言えなくなって口を噤んだ。


 押し黙る男二人の元に、スウリとウィシェルが湯気をあげるカップを持って戻って来た。


「どうぞ」


 スウリが二人の前にカップを並べ、ウィシェルが自分達の席にそれぞれのカップを置く。


 そしてクゥセルの隣にスウリが、その隣にウィシェルが座り、スウリとノールディンは相対する形となった。


 細く息を吸い込んだスウリは、口を開いた。


 結局頭の中はまとまらなかったが、それでも始めなくてはいけないだろう。


「……始めるって、どうやって始めるというの?」


 どうしても、最初の言葉は問いの形になってしまった。


 対するノールディンも、城を出ると決めてからずっと『始める』方法を考えて来たが、どう始めればいいのか、答えは出ていなかった。


 だから、自分の心の内をただ口にした。


「俺は、お前が何を考えているのかわからない。わからないならわからないままで良いと、日々の忙しさを理由に勝手に納得していた。今はそれが大きな過ちだったと思っている」


 考え込む様に伏せていた瞳を徐々に開いて、ノールディンはスウリの瞳をしっかりと見た。


「だからこそ聞きたい。……お前は一体何を考えて皇妃でいた?」


 告げられた言葉に、返された問いに、スウリは目を見張った。


 ぐるぐると心の中に閉じ込めて来たものが動き出す。


 ノールディンの言葉はひたむきだ。


 嘘を吐くでも、自分を取り繕うでも無い。


 それに応えるには、スウリは内に閉じ込めて来たものを曝け出すしか無いと、必死で冷静な表情を保ちながら思った。


 ぽつり、と想いが言葉になる。


「私は、最初を間違えてしまったのよ……」


 それは、ノールディンの問いに答えるものには聞こえず、彼も、クゥセルやウィシェルも疑問の色をその顔に浮かべた。


「最初……?」


 元よりクゥセルは口を挟む気が無いし、ウィシェルも咄嗟に言葉が出ず、それを口にしたのはノールディンだった。


「そう。一番最初」


 小さくスウリは頷く。


 彼女が浮かべるには似つかわしく無い、すとんと感情の消えた表情で、スウリは言った。


 ノールディンを真っ直ぐに見つめて。


「ノール。私は、貴方が皇太子だったから求婚を受け入れたのよ……」


 ぎしり、と椅子の軋む音が室内に響いた。









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