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民の望んだ皇妃  作者: 界軌
本編
68/85

68.決心

 予定よりずっと早く仕事を終える事になったスウリは、近くの食堂のテラスに座っていた。


 夏の暑さは大分弱まり、陽射しが強い割に風の涼しさを感じる。


 目の前には先程買った暖かいお茶がある。


 ゆるゆる揺れる湯気を見つめながら、スウリは店主に言われた事を考えていた。


 昨日ノールディンに会ってから、彼女は『何故』、『どうして』、そればかり考えていた。


 そして、今日『皇妃様を陰ながら見守る会』の会員名簿を見てからは、会員となってくれた人たちの事も。


 瞳を閉じて、店主の台詞を思い起こす。


『考えが過ぎちまう前に行動に移してしまう』


 その通りだ。


 皇帝陛下と離縁すると決めた時も、城を出ると決めた時も、彼女は考えて考えて、考え過ぎてしまう前に行動したのだ。


 今は考えて考えて、考え過ぎて、どうしていいのか分からなくなってしまっている。


 ぱちり、と瞳を開いて、彼女は決めた。


 お茶を口に運びながら、今後の動向を考える。


 まずはクゥセルだ。


 彼はとんだ大嘘吐きだ。


 絶対にノールディンがオンドバルに来ていた事を知っていたのだ。


 けれどクゥセルはそういう人だ。自分の為では無く、人の為に、さらりと嘘を吐く。


 そんな彼が、スウリはどうしようも無く好きだ。


 今回の事だって、スウリが衝撃を受けないように、ウィシェルが興奮し過ぎ無いように、そう考えて吐いた嘘なのだろう。兄のようで、時折父親気分を味わってさえいるのではないかと思う程、彼は世話焼きなのだ。


 まずはクゥセルを説き伏せる事が必要になるだろう。


 そこまで考えて、スウリはぽつりと呟いた。


「嘘つき、か……」


「誰の話?」


 背後からそう声を掛けられた。


 驚いたスウリが振り向くと、クゥセルが笑いながら立っていた。 


 彼はスウリの前にあるお茶を見て、「俺も買って来るよ」と店の中へ入っていた。


 直ぐに出て来たクゥセルの手には湯気の立つカップがある。それをテーブルに置いて、彼はスウリの正面に腰掛けた。


「早かったんだな、今日は」


「ええ。色々失敗しちゃった」


 少し視線を落として、スウリは言った。


 その様子に、クゥセルはからからと笑う。


「たまにはいんじゃない? スウリは働き者過ぎるんだからさ」


「じゃあ、今日はクゥセルとデートの日にするわ」


 冗談めかしてそう言うと、彼はにやりと唇の端を引き上げる。


「今日なんて、素敵なデート日和だな。いやー、すっかり暑さも納まっちゃって」


 晴れた空と過ごし易い気温に、クゥセルは嬉しそうにする。


「こないだなんて、すっごい暑くて、俺死ぬかと思ったんだよ」


 思わずスウリは呟いていた。


「ああ、……その時ね」


 目の前に座るクゥセルはきょとんと瞬いた。そして首を傾げる。


「何の話?」


 そんな彼に、にっこり笑ってスウリは切り出した。


「知っていたのでしょう? ノールが来ている事」


 その言葉に、クゥセルは思案した。


 まず誤魔化すのは無理だ。スウリは既にノールディンと会ってしまっている。


 ここは素直に認めておくのが無難だ。そう結論付けて、「降参」とばかりに両手を上げた。


「ご明察! 昨日、会ったんだろ?」


 彼の質問に、スウリは頷いた。


「ええ。危ないところを助けてもらったわ」


「そりゃー……。えーと、良かったね?」


 巫山戯ているのか本気なのかよくわからない言動は聞き流して、スウリはふうっと溜め息を吐いた。


「ノールが来ている事。ウィシェルに黙っているなら分からないでも無いけれど、どうして私にまで教えてくれなかったの?」


 クゥセルは一瞬はぐらかす様に笑った。


 けれどその笑みは直ぐさま消し去って、ぽりぽりと頭を掻いた。


「俺があいつに協力してやる義理は無いんだよ」


 スウリはそれと良く似た台詞を幾度か聞いた事があった。クゥセルが時折独り言の様に呟くのだ。


『この国や家には育ててもらった恩義はあるし、騎士である事は好きだよ。性に合っているんだ。だけど、俺があいつやこの国に忠誠を誓う義理は無いんだよ』


 幼馴染みであるノールディンや帝国を嫌うとかでは無く、クゥセルはいつか、それら以上に大切にしたいものと出会うのだろう、とスウリは漠然と思っていた。


 大らかで自由な心を持つのが、スウリの知る『クゥセル・タクティカス』という人間だ。


 だから、彼は彼の好きに生きるべきだと、彼女はいつも考えている。


 それなのに、クゥセルは何年もノールやスウリ、そして『皇帝ノールディン』や『皇妃フェリシエ』に付き合ってくれていた。


 そういう義理堅さも持ち合わせているのだ。


「ありがとう、クゥセル」


 そう言うと、かくっとクゥセルの肩が落ちた。


「なんでそこでお礼言うかなあ?」


「なんとなく」


 どうせ問い詰めたって真実が彼の口から出て来る事は無いのだから、たまにはこちらがはぐらかしたって良いだろう。


 そんな風に考えながらスウリは笑った。


 それから真面目な表情に戻って、クゥセルに向き直る。


「お願いがあるの」


 彼女の真剣な眼差しに、クゥセルも困った様に緩ませていた唇を引き締めた。


「なに?」


 一拍置いて、スウリは切り出した。


「……ノールにこちらに来てもらえる様に伝えて欲しいの」


 唖然、とクゥセルは口をぽっかり開いた。


 しばらくそのままだったが、やがて自分の間抜けな口に気が付いて、それを手の平で覆う。


「……本気で言って、いるんだな?」


 一瞬「本気で言っているのか?」と聞こうとして、彼は直ぐに確認を取る言葉に置き換えた。スウリがこういう表情をしている時に冗談を言う訳無いことくらい知っている。


 予想通り、こくり、と彼女は首を縦に振る。


 その仕草を見たクゥセルは眉間に小さな皺を作った。口を覆う手の平を拳に変えて、大きく息を吐く。


「何の為にか、聞いてもいいだろう?」


 少なくとも、ノールディンに対して恨み言を連ねる為じゃないということはわかっている。そういう子では無いのだ。


 ただし、クゥセルの予想を超える様な事を平気でやらかす、ということもよくわかっている。因みに、それを面白く思っている自分がいるのもよく知っている。


 スウリは「勿論」と言い置いてから、先を続けた。


「第一の目的は彼を帝都に帰らせる事よ」


 むんっ、と唇をへの字の形にして、彼女はそう宣言した。


「……………………」


 何だか頭痛がするのは気のせいだろうか。


 クゥセルは拳を開いて、今度はそれを額に乗せて天を仰ぐ。


「ごめん。それ、本気で言ってるんだよな?」


 憤慨した様に、スウリは腰に手を当てた。


「当たり前でしょうっ。皇帝陛下がこんな時期に城を空けるなんて、前代未聞よ。幾ら宰相殿が優秀でも、政務は当然の如く滞っているでしょう。そんなの駄目。問題外だわ!」


 うう。本格的に頭が痛くなって来た……。


 クゥセルは鈍く呻いた。


「ウィシェルー、ウィシェルー。暴走スウリの取り扱い説明書をくれー!」


 ウィシェルの務める診療所の方に向かって彼はそう叫んだ。


 スウリはあからさまに唇を尖らせる。


「失礼ね、暴走なんてしていないわっ。ちゃんと考えた結果よ」


「聞いてもいいー?」


 少し投げやりにクゥセルは言った。


「どうぞ」


 許可を得て、彼は質問を口にする。


「スウリさ、なんであいつがここに来たかとか、考えた?」


「考えたけれど……。考え過ぎて分からなくなったから、直接聞く事にしたわ」


 クゥセルは「あいたたた……」と両手で頭を抱えた。


 そんな彼に構う事無くスウリは言う。


「この時期にオンドバルにお忍びで来る必要なんて無いでしょう。だから、皇妃としての務めに何か不足があったのかもしれないわ。きちんと処理して来たつもりだけれど、やっぱり抜ける事くらいあるものね」


 うんうん、と頷きながら、彼女は考えている事を口にした。


「第二の目的は、そうね……。そう……」


 急に言い淀んだスウリに、クゥセルは顔を上げた。


「どうした?」


 彼女は僅かに俯いて、迷う様に視線を揺らせていた。


 クゥセルは席を立ち、スウリの隣の椅子をずらして、そこに腰掛けた。彼女のすぐ隣、体が触れる程近くだ。


 スウリの頭を大きな手でゆっくりと撫でると、彼女はそっとクゥセルの肩に額を寄せた。


「……私に分かっているのは、このままではいけないと言う事」


 皇帝が帝都を空けているという事実、ノールディンがオンドバルにいるという事実、皇妃フェリシエに向けられていた優しい感情、スウリが秘めているもの。その全てが自分の背中に伸し掛かって来る様に感じられた。


 こんな前にも進めず、後ろにも下がれないような膠着状態をいつまでも続けられはしないのだ。


「どうにかしないといけないわ。でも、でもね、クゥセル、私は怖いの……。ノールに会えば、彼と話さなくてはいけない。それが、怖いの……」


 ノールディン自身や彼と会う事では無く、彼と『話す事』こそが怖い、とスウリは言う。


 それは、彼女が決して口にしようとしない心の奥底に理由があるのだと、クゥセルは直感した。


 小さな頭を撫でていた手をずらして、クゥセルはスウリの肩を柔らかく抱いた。


「スウリはこっちが驚く程勇敢だよ、いつだって。だから、無理しなくていい」


 軽く揺すってやると、スウリはその不思議な感触に笑いを漏らした。


 父親のいない彼女にとって、異性にこんな風に親愛の情を示されるのは慣れない事なのだ。


 ただ一人、『父』と呼ばせてくれた人ももういない。


 クゥセルは兄の様に、父親の様にスウリに接してくれる、もはや唯一の人なのだ。


 そう言ったら、彼は怒るだろうか。


 なんにしろ大切な、大切な友人だ。


「ううん。会うわ。……クゥセル、城館に連絡を取って。お願い」


 クゥセルに肩を抱かれたまま、スウリは彼を見上げて言った。


 どちらにしろ、決着を付けなくてはいけないのだ。


 スウリの言葉にクゥセルは頷いた。


 それから、しばし視線を泳がせた後、あらぬ方向を見てぽつりと呟く。


「……頼むから、これは報告しないで欲しいなぁ」


 よく聞こえなくて、「何?」と首を傾げるスウリに、彼は曖昧に微笑んだ。









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