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民の望んだ皇妃  作者: 界軌
本編
61/85

61.思案

 あっちにふらふら、こっちにふらふらして、夕日が鮮やかになった頃、ようやくクゥセルは借家に帰って来た。


 そこで、彼は大変珍しい光景を見た。


 がっしゃーん、と派手な音を立てて一枚の皿が床で割れたのだ。


 その皿を持っていたのはスウリで、彼女は目を見開いて固まっていた。


「…………スウリ」


 腰に手を当てて、眉間に皺を寄せたウィシェルが名前を呼ぶと、彼女はのろのろと顔を上げた。


「ごめんなさい……」


 皿を落とした手の形のままで謝るスウリに、ウィシェルは小さく溜め息を吐いた。


 それから箒とちり取りを持って来て、さっさと床の破片を片付け始めた。


「あ、私がやるわ」


 道具を受け取ったスウリが残りの破片を掃き取り終えると、ウィシェルは「じゃあ、それを捨てて来て」と声を掛けた。


 素直に頷く親友に、更に続ける。


「それから、寝室に行って。ベッドのシーツでも替えていてちょうだい」


「えっ。でも、夕食の支度は……?」


 驚くスウリに、ウィシェルは腕を組んで首を傾げた。


「本日、何枚目?」


 その問いに、スウリは小さくなって答えた。


「うう……。さんまいめ、です」


 完全に傍観していたクゥセルは、耳を疑った。彼女の回答は、つまり、スウリが今日一日で割った皿の枚数を指しているのだろう。


 家事の得意なスウリが皿を三枚も割っただって!?


 口には出さずに、クゥセルは驚愕していた。


 そして、ウィシェルは静かに怒っていた。


「そんな人をこれ以上台所に立たせられるとでも?」


 彼女の実家であるペディセラ家は資産家だが、『使うべき時に使い、それ以外は倹約に務めるべし』という教育方針がある。


 無駄に皿を割ったスウリは叱られても仕方が無いし、ウィシェルの言い分は正しい。数年をペディセラ家で過ごした当人もそれは重々に承知している。


 だから、スウリは渋々でも納得する他無かった。


「……わかったわ」


 そう言って、しょんぼりと居間を出て行った。


 玄関で立ち尽くしていたクゥセルを見上げて「お帰り」と言ったその声に、覇気は全く無かった。


 スウリが立ち去った後、クゥセルは怒れる医師に駆け寄った。


「ちょちょちょ、スウリが皿割ったのを目撃してびっくりだけどさ。今日で三枚割ったって、マジで?」


 ウィシェルは横目で彼を見上げると、声に出さずにぶつくさと何か言った。多分帰りが遅かった事についての小言だろう。


 しかしクゥセルはそんな事を一々気にしたりしない。


「マジ?」


 再度聞けば、ようやくウィシェルは肯定した。


「そうよ。なんだか帰って来てからやたらとぼんやりして。……何かあったのかしら」


 思案げに、スウリの立ち去った扉を見やるウィシェルに、クゥセルは心中で呟いた。


 はーい。ありましたー。追って来たあの馬鹿と遭遇しましたー。


 なんて声に出して言えば、ウィシェルは準備をし始めてしまうだろう。……なんの準備かは考えたくも無い。


 だから彼は、とぼけた。


「さあ〜?」


 そんなクゥセルを疑いの眼で見据えたウィシェルは、そのうち諦めて視線を外した。


 彼の本音はどこを突けば出てくるのか知れないのだ。


 代わりに、スウリの奇行を見ているうちに考えついた事を口にしてみた。


「もしかして、スウリ、誰か好きな人が出来たんじゃないかしら。……そうね、よく名前を聞く様になったラズリード様とか」


 クゥセルは返答に困った。


「え〜と……」


 ぽりぽりと頭を掻く彼を見上げて、ウィシェルは言う。


「馬鹿ね、冗談よ」


「ウィシェルの冗談は想像通り、面白く無いね」


「……貴方がいつもどんな想像をしているのかを垣間見れて良かった、と言うべきかしらねぇ?」


 はあぁっ、とこれ見よがしに溜め息を吐いてやっても、クゥセルの方は「俺のことを少し理解してもらえたみたいで良かったよ」と、読めない表情で笑うばかりだ。


「わかっているわ、そういう事じゃないのでしょうね。……あの子、一人で抱え込んでばっかり」


 唇を尖らせるウィシェルの肩をクゥセルはぽんぽんと叩いた。


「まあ、スゥリの頑固さを考えると、向こうから言い出すのを待つしか無いんじゃない?」


「それもわかっているわ」


 うんうんと頷いた後、ウィシェルは少しばかり思案した。


「ねえ……」


 ぽつりと、クゥセルに話しかける。


「もしも、あの方が、ここに来たとするわよ」


「ふぅん」


 うわ、鋭い! とか思いつつも、いい加減な返事を彼は口にする。


「貴方、闘って、勝てる?」


「……はいぃ?」


 さしものクゥセルも、その質問の飛び具合に語尾が跳ね上がった。


 しかし彼を見上げるウィシェルの目は真剣そのものだ。


「陛下に発破を掛けて来たって、以前言っていたでしょう? もしもあの方がそれに呼応するなら、それは『皇妃フェリシエ様』を求めてのことでしょう。この国の民がフェリシエ様を慕う気持ちは本物だもの。必要と思われるのは当然だわ。でもそうじゃなくたって、どんな理由で来たとしたって、私はあの子の心の自由を守りたい。あの城であの子は自由では無かった。決してね」


「……………………」


「だから、私はこのままあの子には、望む道を進ませてあげたいの」


 ぎゅっとウィシェルは自分の胸元を握りしめる。


 強い決意を示す様に。


「もう一度聞くわ。貴方、あの方を実力行使で追い返す自信はある?」


 小柄な体躯に漲る力を前にして巫山戯ることは流石に出来ず、クゥセルは苦く笑った。


 右手が腰の剣の柄をさする。


「……そうだな。純粋に剣での勝負をするなら、勝つよ」


「純粋に?」


「そう。問題は『何でもあり』の場合さ。あいつ、剣はそこそこだけど、喧嘩強いんだよ」


「……皇帝陛下の話よね、それ」


「うん」


 こっくりと素直に頷くクゥセルに対して、ウィシェルは不審げな表情を露わにする。


「……何故?」


「俺らのお師匠様はさ、今でこそ騎士団総長なんてやってるけど、本当は貧困街の出身なわけ。まあ、没落貴族の行き着く最悪の所まで行っちゃったって感じ。それで、餓鬼の頃から俺らも何度か連れて行かれてるんだよ」


 ロクな思い出ないけどねー。とクゥセルは頭を掻く。


「中でも最悪なのは、十、いや、十一歳だったかな。騎士養成学校に行く前だから。あの人、貧困街でこう言ったんだよ。『よーし。お前ら、今からここの餓鬼共を全員舎弟にしてこい!』ってさ」


「……舎弟?」


 みるみるうちにウィシェルの顔は引きつった。


 話しているクゥセル自身も、実に面白く無さそうな顔をしている。


「帝王学の一貫とか実践型戦闘訓練とか言ってたけど、ありゃ絶対面白がってただけだよ」


「過分に不適切な訓練もあったものね」


「同意してくれて有り難う。それで、まあ。当時は純朴だった俺らは師匠の言う事に従って、そこら中の餓鬼に喧嘩を売って歩いた訳だよ」


 クゥセルは両手を広げて、肩を竦める。


 それから、「今でも頭とか腕とかにそん時の傷残ってるよー」と言いながらウィシェルの目前に頭を下ろしてきた。


 確かに、髪の分け目に、縫う程では無いが大きめの傷跡がうっすらと残っていた。


「俺はその頃からそこそこ剣が使えたから棒っ切れで切り抜けたんだけど、あいつはまだチビでさ。貧困街の餓鬼共の使う奇襲だの不意打ちだのを見よう見真似で覚えちゃったんだよ。……まあ、それはそれは上手くなっちまって。それを駆使されると、剣だけじゃ、ちょっと分が悪いなー」


 珍しくも、彼は遠い目をした。


「それ、スゥリは知っているの?」


「んん? どうだろう。割とノールが好戦的なのは知ってると思うけど」


 俺、しょっちゅうあいつにどつかれてたからさ。そう言って笑うクゥセルを見上げて、ウィシェルは難しい顔をした。


「……ともかく、もしもここに来るような事があったら、剣で対処して頂戴。私も何か考えておくから」


「やる気満々だね〜、ウィシェル」


 当たり前でしょう、と答える代わりに、ウィシェルはふんっと鼻を鳴らして、クゥセルに背中を向けた。


「……さて、料理しちゃおうかしら」


 台所に並べられた食材を手に取るウィシェルの後ろで、今度はクゥセルが顔を引きつらせた。


「…………もしかして、今日、ウィシェルがご飯作るの?」


 振り返った彼女は、肩を竦める。


「スウリがあんな状態なんだもの、仕方が無いじゃない」


「あぁ〜。…………どっかに食べに行くという選択肢は?」


 とても言い難いが、クゥセルは何とかその台詞を口にした。


 ウィシェルは首を振る。


「スウリったら、魚を買って来ちゃったのよ。氷室も無いのだから、腐っちゃうでしょう? 今日調理しないと」


 早速ナイフを手に取りながら、彼女は言った。


 額に手を置いたクゥセルは懇願した。


「頼むから、そのナイフの持ち方は止めてくれよ……」


 スウリとクゥセルがウィシェルの料理を好まないのは、それが美味しく無いからでは無い。むしろ良いお嫁さんになれる、と言われるくらいに美味しい。


 問題は彼女が料理している最中のことだ。


 ナイフをメス(手術器具)と呼び、調理用ハサミをうっかり剪刀(手術器具)と呼ぶその姿が、段々と手術中の医師に見えてきて食欲を無くしてしまうのだ。


「……癖なのよ」


 苦い顔で言う本人も、それを自覚していたりする。









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