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民の望んだ皇妃  作者: 界軌
本編
56/85

56.鮮明

 オンドバルの城館にある図書室は、実は執務館の方にある。


 執務館の西翼に大きく場所をとり、地上は二階、地下にも一階分の広さがあるのだ。


 その日、エルディーザから厳命を受けたラズリードが足を踏み入れたのは、二階部分の最奥にある書棚だった。魔具や聖域、いわゆる伝承や古い神話の本が納められたその場所がスウリのお気に入りだと教えられたのだ。


 この図書室のどこでもそうなのだが、見上げれば首が痛む程高い天井まで書棚は続いている。本の厚さや高さ、タイトルごとに並べられた本がぎっしりと詰まっている様は壮観だ。


 そして、彼女はそこにいた。


 明かり取りの丸窓から差し込む光の下に置かれた脚立の上に座って、可憐なドレス姿のスウリは真剣な表情で本のページを捲っていた。


 この様子では、声を掛けるまでは気がつかないのだろうな、とラズリードは察する。


「スウリ」


 何かを書き付ける様に空中で指を動かしていた彼女は、柔らかく呼び掛けられた自分の名前に、ふっと顔を上げた。


 それから声の聞こえた方へと首を巡らせ、彼に気がつくと微笑んだ。


「ラズリード様。おはようございます」


「ええ。おはようございます」


 そこでスウリは不自然な状況に、内心で首を傾げた。


 何故自分はラズリードを『見下ろしている』のだろう?


 はっとその理由に気がついて、彼女は頬を赤らめた。


「も、申し訳ありません。はしたないところをお見せしてっ……」


 そう。淑女ならば、本を手に取ったら、脚立を降りて椅子に座って読んでいるべきなのだ。いや、そもそも淑女と呼ばれるような女性ならば自分で脚立に上がったりはしないかもしれないが……。


 慌ててスウリは読みかけの本を小脇に抱えて床に降りた。軽くドレスの裾を持ち上げて動いていたが、そこに見苦しさは欠片も無い。


 手を貸そうとラズリードが差し出しかけた手の平は、全く役に立たずに虚しく元に戻された。


「お見事ですね」


 心の底から感心してラズリードがそう言うも、言われた当人は何の事だかわからずに目を瞬かせる。


 その様子に目を細めたラズリードは、「いえ、お気になさらず」と言って含み笑った。


 そして、彼の本来の目的を彼女に告げる。


「義母上から、そろそろお茶の時間だから貴女を呼んでくるように命じられました。お付き合い願えますか?」


「まあ、もうそんな時間でしたか。わざわざお運び頂いて申し訳ありません」


 恐縮するスウリに、ラズリードは首を振る。


「お客様である貴女をエスコートする事は私の特権ですよ。喜びこそすれ、手間などにはなりません」


 変わらぬ穏やかな空気を保って、彼はスウリの傍らを指差す。


「そちらの本は借りていくものですか?」


 脚立の横に置かれたワゴンには、数冊の本が積まれていた。どれもスウリが今日本棚から嬉々として取り出したものばかりだ。


「ええ。ちょっと多くなってしまいましたが、お借り出来ればと思っています」


「では後で運ばせましょう」


「いえ、自分で持って行きます。皆さんお忙しいのですから、このくらいは自分でやります」


 たかだか数冊である。わざわざスザイや侍女たちの手を煩わせる事も無いだろうと、至極当たり前にスウリは考えていた。


 ところが彼女のその考え方は、ラズリードの知る淑女の考え方とは違った。


 貴族女性にとってそういった雑事は侍女や侍従といった自分に仕える者たちに割り振るのが当然の事だ。義母であるエルディーザは、多分文鎮以上に重いもの等持った事は無いだろう。彼女の場合は本人の性格云々では無く、スザイによって、という事情もありそうだが。まあ、高貴な身分の女性程その傾向が強いのは事実だ。


 だからスウリのその言葉はとても新鮮に響いた。


「では、これ全てで宜しいですね?」


 ラズリードはその数冊の本を持ち上げて、スウリに確認をとった。 


 彼女はその行動に驚いた。自分で持って行こうと思っていたのだから。


「ラズリード様っ、自分で持ちますよ」


 傍らに並んだ彼を見上げて言うが、ラズリードは笑ってこう答えた。


「ラズ。そう呼んで下さいと言いましたよ」


 つい昨日そう呼ぶ事を了承していたのに一夜明けると元に戻っていた事を思い出して、スウリはうっと詰まる。


「申し訳ありません、ラズ様。……本は、自分で持ちますわ」


 言い直して手を差し出すが、ラズリードは柔らかに笑うばかりだ。


「では、そちらをお願いします」


 そう言って指差したのは、彼女が小脇に抱えた本。


 目を丸くするスウリに、彼は「行きましょう」と声を掛けて先を歩き始めた。


 執務館から居館に渉るには、西翼と東翼にある二つの渡り廊下のどちらかを使う必要がある。


 図書室が西翼にある故に、スウリとラズリードは西翼の渡り廊下を並んで歩いていた。


 二本の渡り廊下の間にも見事な中庭があるのだが、スウリはそこの東屋がかなり気に入っていた。アンジェロの城館にあった蔦薔薇を這わせた東屋に良く似ているのだ。


 渡り廊下を通る際にはいつも横目で眺めているのだが、今日はラズリードが隣を歩いている為によく見えない。


 半歩彼より歩みを遅らせようとした時、ラズリードが口を開いた。


「ああ、そろそろ温室の月下香が咲く頃ですよ」


 見上げると、彼の視線はスウリの頭の上を通り越して、窓の外へと向けられている。


 つられて彼女もそちらに目をやれば、燦々と降り注ぐ陽光の下で、温室のガラスがきらきらと輝いていた。


「月下香、ですか?」


 確か、蘭の一種にそんな名前の品種があったような、と思いながら尋ねる。


「ええ。と言っても薔薇の一種です。義父上が義母上の為に夜も楽しめる薔薇を、と改良したそうです。主に夜に開花する事と、青白い花弁の色から『月下香』と名付けたとか」


「先代伯爵様がご自身で改良を? ……本当に、ご夫妻は仲がよろしかったのですね」


 しみじみと言うスウリに、ラズリードも大きく頷いた。


「私は義母上と義父上の惚気話を聞きながら育ったくらいですからね。逸話は沢山ありますよ。月下香をご覧になりたければ、お茶の時間を早めに切り上げてご案内しましょう。数輪の花と件の惚気話をご披露できると思いますよ」


 ラズリードの親切な申し出に、スウリは顔を綻ばせた。


「是非お願い致します」


 まるで『約束の指輪』の英雄王バルスとその妃のように甘い恋物語は、彼女の心をときめかせる。珍しい薔薇にも興味を引かれる。


 だから彼女は、ほんの少し感じたちくりとした痛みは、胸の奥にしまい込んだ。


 

 因みに、ラズリードに下されたエルディーザの厳命とはスウリを徹底的に居館の東翼から遠ざける事であった。


 東翼には皇帝が滞在していたからだ。


 ラズリードはその命を忠実に遂行していた。









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