45.求職
「ど、れ、に、し、よ、う、か、な」
本日の宿の一室で、机に並べた数枚の紙の上をスウリの指が行き来する。
奇妙な行動に首を傾げたウィシェルは、彼女の背後からそれを覗き込んだ。
「……求人票じゃない!」
思わぬ大声に、スウリは肩をびくりと揺らして振り向いた。
「そうだけど……。どうしたの?」
「どうしたのって。それ、持って来ちゃったの?」
机の上に並べられた紙を指差して、ウィシェルは聞いた。
「うん。いらないのは戻してくれればいいって言ってくれたから」
「ああ、そういう事。勝手に持って来たのかと思ってびっくりしちゃったわ」
一息ついて、求人票の内容を覗き込む。左から順番に。
花屋の店番。
古書店の資料整理。
食堂の給仕。
酒場の給仕。
「…………」
そこでウィシェルの目は動きを止めた。
「スウリ……」
「なに?」
最後の一枚に指を突き刺して、ウィシェルは言う。
「これは?」
「酒場の給仕ね。お酒を運んだり、お会計したりするんでしょう?」
「そうね。でも、酒場よ?」
スウリとウィシェルの二人には酒場と言うと嫌な思い出がある。しこたまウィシェルの兄に叱られた、あの二時間が甦る。
……甦るが、ここは背に腹は変えられないのだ。
務めて軽く言う。
「給仕をするだけで、お酒を飲む訳じゃないわよ。それに、もう叱られる様な子どもじゃないわ、私たち」
確かにこの国の成人である十八歳を二人ともとっくに超えている。
だがしかし、このまま酒場で働く事を許す訳にはいかないだろうと、ウィシェルは説得方法を考えた。
ここで、黙って女性陣のやり取り聞いていたクゥセルが口を開いた。
「スウリ、スウリ」
ちょいちょい、と指を動かして彼女を招く。
席を立ったスウリは、クゥセルの座る寝台の傍まで歩み寄った。
「どうかした?」
不思議そうにする彼女に、クゥセルはにっこり笑って聞く。
「明日も城館に行く?」
「ええ」
普通に「明日も朝食はパンにする?」と言う様に聞かれたから、スウリも普通に答えてしまった。
頷いてしまってから、慌てて口を手で塞ぐ。
「……明日も城館に行くですって?」
今日だってあんなに心配したのに……?
耳に届いた台詞以外にも、何ともおどろおどろしい声が背後から聞こえてくる。ウィシェルの心の声だろう。
振り向いては危険だと、スウリの本能が言う。
反対に、能天気な声が前から聞こえた。
「城館の執務館にはでっかい図書室があるんだよな〜」
「……図書室ですって?」
「しかも、魔具に関する資料もたぁ〜っぷり。なにせ、チルダ・セルマンド大陸と交易をしている唯一の都市だもんなー」
「………………………………………………」
黙り込んでしまったウィシェルを背負って、スウリはクゥセルの時に軽すぎる口を塞ぎたくなる。しかし、彼女はそれを諦めざるを得なかった。
こんな時ばっかり騎士っぽくして、隙を作らないんだから!
スウリが内心で毒づいたのが聞こえたのか、クゥセルはあっさりと核心をついた。
「本に釣られて、明日も城館に行く約束しちゃったから、仕事は夜の方が都合がいいんだよ。なっ!」
同意を求められても、答えられるような状況では無かった。
続くクゥセルの「わー、夜の仕事って卑猥な響きだなあ」なんて言葉は右から左へ素通りだ。
おそるおそる振り返ると、その顔に凄まじく引きつった笑みをたたえたウィシェルがいた。
先ほどまでスウリが座っていた椅子をず、ず、ず、と音を立てて自分の前に持ってくる。
それから彼女は無言でそれを指差した。その指は力強く繰り返し「座れ」とアピールしていた。
二日前の晩とほぼ同じ光景が繰り広げられた事は、想像に難くないだろう。
違いは、クゥセルが不参加だという事だけだった。