4.動揺
さて、皇妃から持ち上がった今回の一件について城内に敷かれた緘口令の内容はこうだ。
一つ、今回の件については城外に漏らすことを禁ず。
一つ、今回の件について皇帝陛下及びに皇妃陛下に直接問いただすことを禁ず。
最初の一項は、城に仕える者なら誰でも心得ている事である。城仕えが決まる前に、まず誓わされる事項だからだ。
そして、二項目に関しては、皇帝と皇妃に近しい者程努力を強いられた。
皇妃の侍女達はもちろんの事、皇妃付き近衛騎士団の面々さえ例外では無かった。
「副団長! 皇妃様が皇帝陛下とご離縁というのはどういう事ですか!?」
目前で喚く筋骨隆々とした騎士の姿に副団長アーノルド・セネガンは深い溜息をついた。
彼に迫ってきた騎士は今日で十四人目を数えた。騎士たちは噂を聞いて、当番が終わったその足でアーノルドの元に真偽を問いただしに来るのだ。五十人を超える近衛騎士が入れ替わり、立ち替わりだ。うんざりもする。
「団長に聞いてくれ……」
ずり落ちた眼鏡を直しながら言えば、「聞ける訳ないでしょう」ときっぱり言われた。この返答も、もう十回は聞いている。
じゃあ、何故私ならいいんだ、と胸倉を掴んで問いただしたい衝動を必死で我慢する。
「必要だと思えば、いずれどなたかから説明があるだろう。それまで大人しく役目をこなせ!」
突き飛ばすようにして、部屋から追い出してやった。
渋々と近衛騎士が部屋を出ていくと、がちゃり、と反対側の扉が開く。
「ご苦労」
「そう思うんなら、さっさと団長が対処して下さいよ」
扉の向こうの団長室で話を聞いていたらしいクゥセルに、ぐったりとしながらアーノルドが訴える。
「そうだな。そろそろ話すべきだろう。アーノルド、非番の者を全員集めろ」
「了解です」
そう言ったアーノルドの仕事は早かった。
三十分程で非番だったり、待機役だったりした近衛騎士の面々、総勢三十名が騎士団所有の大会議室に集合していた。
三つ並んだ長卓に騎士たちが思い思いに腰掛けている。
扉を開いて現れた団長、副団長の姿に彼らの視線が一斉に向けられる。
「今回城を騒がせている噂について、説明しよう」
静まり返った室内にクゥセルの声だけが響いた。
「皇妃様が皇帝陛下に離縁を申し出たというのは、事実だ」
「そんなっ」
「どうして!」
クゥセルの端的な言葉に数人が立ち上がり、声をあげた。
他の騎士たちも眉間に皺を寄せたり、拳を握り締めたりと苦い感情を露わにしていた。
「だまれっ」
アーノルドの鋭い叱責に、騒ぎだしていた者たちは渋々と口を閉じ、席についた。
一同を見渡して、クゥセルは再び口を開く。
「これから話すことは、皇妃様、ひいては皇室全体の名誉に関わることだ。だが、皇妃様ご自身が我ら近衛騎士団への信頼とこれまでの働きへの感謝を持って、真実を伝えてほしいと言われたのだ。改めて言う必要もないだろうが他言無用とする」
本来ならば、皇室の細かな事情など配下に知らせる必要など無い。むしろ今回のような件は秘するべきだろう。だが、それを押してフェリシエは自分の近衛騎士たちに全てを話したいと望んだのだ。
「皇妃様…………」
先程騒いだ者たちを叱責したアーノルドも思わず目を見張り呟いていた。
皇妃付き近衛騎士団は、フェリシエが皇妃の座に着く際に、他ならぬ皇帝自身とクゥセル、そして騎士団総長が厳選した騎士たちが揃っている。
中には他の騎士団に馴染めず、鼻つまみ者として追い出されそうだったところを拾われた者もいるという、ある意味異色の集団だ。我が強く扱いづらい彼らの数少ない共通点が、団長であるクゥセルに絶対服従であるという点と、皇妃フェリシエを慕っているという点に尽きるのだ。
クゥセルは、フェリシエが流産して子どもの産めない身体になり、それを理由に皇帝陛下に離縁を申し出た旨を包み隠さず彼らに話した。
「最後に、皇妃様からお言葉を頂いた。『新しい皇妃陛下にも私自身にそうしてくれた様に仕えて欲しい』と」
全てを知ってなお、彼ら騎士たちの中に皇妃フェリシエへの怒りなど沸きようがなかった。誰よりも、もしかしたら皇帝よりも余程近くで彼らはフェリシエを見てきたのだ。
拙くも懸命に公務をこなす姿を見て、高官たちに言われた嫌みをいなす笑顔を知り、自分たちを労う言葉を聞いて過ごしたのだ。その度に「この方をお守りしよう」と、強く心に刻みながら。
この結末は、自分たちが彼女を守れなかったという現実では無いのか?
そう思わない者はいなかった。
だからこそ、クゥセルのもたらした皇妃フェリシエの言葉には深い意味があった。
誰もが沈黙を保つ中、やがて啜り泣く声が僅かに漏れた。