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民の望んだ皇妃  作者: 界軌
本編
34/85

34.明示

 夜が明け、日が昇る。


 目を覚ましたスウリはまぶたにぼんやりとした熱を感じ、視界を覆う布地に気がついた。


 そっと触れると、その布はまだ湿っていた。


 濡れた布を取払い身を起こすと、すぐ隣にウィシェルが丸くなっている。


 ぱちぱちと瞬いて、昨夜のことを思い出した。


 あの夢のように霞がかった記憶だったが、自分が酷く取り乱して泣きじゃくっていたことはぼんやりと記憶していた。


 ウィシェルには心配を掛けたことだろう。


 ベッドから下りて、ゆっくりと窓辺に歩み寄る。


 窓を開けながら、深呼吸を繰り返す。


 スウリは、夜がどんなに辛くても朝になったら笑うと決めていた。


 幼い頃、母の為にそう決めたのだ。


 スウリの母親は意思が強いくせに、心の弱い人だった。


 娘の父親には何も告げずに彼女を産んで、たった一人で育ててくれた。


 しかし、母が幼いスウリと暮らす事を決めた土地は、彼女たちに優しい場所では無かった。少し閉鎖的で、好意的な人間の少ないところだったのだ。その事に傷ついたスウリが母親の胸に飛び込んで泣いた事は少なく無い。


 彼女は涙をこぼす娘を抱き締めて、「ごめんね、ごめんね、スウリ」と言っていつも一緒に泣いた。


 他に頼れる人間のいなかったスウリにとって母は唯一の存在だ。その母を泣かせたく無くて、泣くより笑う方を選んだ。


 後悔や悲しみで歩みを止めるのは夜だけにするのだ。そうじゃないと前に進めないと彼女は既に知っていた。


 胸の痛みをほんの少し忘れた振りをして、そうして前を向く。この世界に来る前も後も、そうやって彼女は両手に大切な物を一つ一つ増やしてきた。


 今この手にあるものが零れ落ちても、諦めなければ、挫けなければ、この手に確かに何かが掴めるはずだから。たとえそれが、前と同じものでは無くても……。


「スウリ……?」


 目を覚ましたウィシェルがスウリに寝ぼけた声を掛けてきた。


「ウィシェル、昨日はごめんね。……それから、ありがとう」


 振り向いたスウリは、手を差し伸べ続けてくれる大切な親友に心からの感謝を込めて微笑んで言った。


 そして、もう一人、そう言わなければいけない人がいた。




 

 身支度を整えたクゥセルが隣室の二人を朝食に誘おうと立ち上がった時、扉がノックされた。


 扉を開いた先に立っていたのは予想通りスウリだった。


「おはよう、クゥセル」


 彼女は少しだけ腫れの残る目元で、クゥセルを見上げて言った。


「おはよう」


 昨夜のスウリの泣き声は壁を隔てていても、うっすらとクゥセルの耳に届いて来た。だからまぶたが腫れているのはその為だと彼は気づいていた。ウィシェルが色々対処しても、それでも腫れが残ってしまうくらい彼女が泣いただろうという事にも。


 スウリは一瞬視線を床に落とすが、すぐにクゥセルに戻して遠慮がちに微笑んだ。


 クゥセルの問い掛けに逃げてしまったのは、自分が悪かったと思ったから、きちんと謝罪をしようとここに来たのだ。


「昨日はごめんなさい」


 その言葉は、問いに答えなかった事とこれからも答える気がないという事の両方についてだとクゥセルは気がついた。


 だから、無言で手を伸ばす。


 くしゃくしゃとスウリの頭頂部の髪を乱して、にやりと笑った。


 それは彼なりの謝罪であり、許しだった。


 いつも通りの笑みにほっとしたスウリも、今度はにっこりと微笑んだ。


「ありがとう、クゥセル」





 その光景を廊下から見ていたウィシェルは不満だった。


 言いたい事を口にするのはいいだろう。彼にも思う事はあるだろうし、この旅に同行するからにはスウリに話を聞く権利だってあるはずだ。


 けれど昨日の発言は許せない。スウリの心を傷つけて、傷を暴き立てたのだ。


 それなのにあの二人はあの程度で水に流してしまうのだ。唇が勝手に尖り始める。


 そこで、何か引っかかりを感じた。


 ……暴き立てた?


 憤然とした気持ちで組んでいた腕をほどいて、拳を口元に当てていた。


 わざとああしたというの?スウリの心を解放する為?泣かせてあげる為?


 全く彼の行動の真意が分からない。昨夜の言葉さえ本当だったのだろうか?


「眉間に皺が寄ってるよ、ウィシェル」


 いつの間にか近づいて来ていたスウリがウィシェルの眉間を人差し指で揉んだ。


 その横をクゥセルが悠々と通り過ぎていく。


 その背中を見送って、ウィシェルはどうしても拭えない不信感をスウリに訴えた。


「スウリ、私はクゥセルが信用できないわ」


 その言葉に、スウリは軽く小首を傾げた。


 少し黙っていたが、そのうちくすりと笑いを漏らした。


 冗談で言ったのでは無い、とウィシェルが言おうとすると、スウリが先んじた。


「クゥセルは色んな事を考えているし、悪巧みも得意だから、ウィシェルがそう思うのも分からないでも無いわ」


 くすくすと楽しそうに笑いながら、スウリは続ける。


「でもね、彼はもっと単純よ」


「どこが……?」


 彼の内心を想像して迷宮に陥った様な心地のウィシェルは再び眉間に皺を寄せる。


「考えて、行動するだけだもの。今のクゥセルの行動が、彼の今の本当の気持ちだわ」


 少し誇らしげにスウリは微笑んだ。









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