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民の望んだ皇妃  作者: 界軌
本編
31/85

31.追憶〜祈願

「う〜ん。忙しくなるなあ!」


 スウリの身分を作る為に色々書類を作成しなければならないし、帝都への報告書だって書かなくてはいけない。


 今日は徹夜かな、と両腕を上げて伸びをしたイエンヤールに、ロッドが声を掛ける。


「しかし、あちらの方は宜しかったのですか?」


 既に室内にウィシェルとスウリの姿は無い。一度に全て話しても大変だろうからと、今日のところはここまでにしようと言うイエンヤールの提案に皆が納得した。そしてまだ話があるというロッドを残して、彼女たちは庭園へと向かったのだ。


「あちら? ……ああ、うん」


 泳ぐ視線が、怪しい。『あちら』の用事を忘れていた訳ではない。つまりは、イエンヤールは『あちら』の用事にあまり関わりたくは無かったのだ。面倒だから。


 今回の『界渡り』の一件で、『あちら』には少し待ってもらう事になるだろう。


「まあ、さ。ほら、『界渡り』については法律があるけどさ、『あちら』の方って慣例じゃない? こっち優先しちゃっていいと思うんだよね〜」


 どこまでもお気楽にイエンヤールは言う。


 孫たちが散策しているだろう庭園の方に視線を送って、ロッドは深い溜め息をつく。


 この方は『あちら』の用事が皇族の、いや、皇太子にとって重要な案件だと知らないはずが無い。それでもこういう態度をとるのだから、大物なのか、ただ暢気なのかわからない。


 長い付き合いでも計り知れない領主の心中を想像するが、結局今回もお手上げだと思うしかなかった。


「いや〜、それにしても、女の子か〜。うちの奥さんが喜ぶなあ」


 ほくほくとイエンヤールは言う。


 アンジェロの領主夫妻は幼馴染みのオシドリ夫婦として良く知られている。


 しかし子どもたちは三人とも男の子で、懐妊の度に奥方が「今度こそ女の子を!」と願っているのも良く知られていたりした。




 そんなロッドと領主のやりとりを知らぬウィシェルとスウリは、夏らしい強い色の花が絶妙に配された庭園を歩いていた。


 ベンチを見つけたウィシェルはスウリに声を掛けた。


「この辺に座ってみようか?」


 スウリが頷いたのを見て、そちらに向かう。


 ベンチの頭上には木で組まれた幅の広いアーチが置かれ、白や淡い赤の蔓薔薇が絡み付いて花を咲かせていた。


 腰を下ろした二人は薔薇の天井を見上げて、二人同時に溜め息をついた。


「綺麗ね……」


「うん」


 同意を示すスウリを見れば、首を反らしてじっと薔薇を見ている。


 もしかしたら、その先に広がる空を見ているのかもしれない。そう思わせる程、遠くを見る目をしていた。


 その様子に、ウィシェルは掛ける言葉を見失った。


 しばしの沈黙を破り口を開いたのはスウリだった。


「ねえ、ウィシェル」


「な、なに?」


 動揺が声に出てしまって、不思議に思ったのだろう、スウリがこちらを振り返る。


 何でも無いと首を振れば、彼女は続きを口にした。


「この本では、この世界に神様はいないって言ってたよね」


 そう言って、膝の上に置いた本に手をのせる。


 先ほどイエンヤールが語り聞かせた『約束の指輪』の絵本だ。部屋を出る前に、彼はスウリにこの本を差し出して、照れくさそうに「僕が挿絵を描いたんだ。良かったらもらってくれないかな?」と言ってプレゼントしたのだ。


 スウリの質問に瞬いて、ウィシェルは逆に質問を返した。


「そうよ。……それがどうかした?」


「うん。あのね、神様がいないのに、お願い事やお祈りって一体誰にするの?」


 思わずふっと吐息を漏らしてしまった。


「いやだわ、スウリ。願い事は自分で叶えるものよ?」


「え」


 少女はその瞳を大きく見開く。


「そして、祈りは捧げるものだわ。捧げる相手がどこにいようとも、その事は何も変わらない」


 幼い頃、父や母からそう聞かされた。成人した今でもウィシェルはそれを信じているし、そういうものだと感じていた。


「それにね。神々がこの世界を去ろうとも、彼らが残した恩恵は私たちを育み続けているのよ」


「……恩恵?」


「ええ。ほら、『約束の指輪』に四帝が登場するでしょう」


「うん」


 頷いてスウリはページをめくる。イエンヤールが見せてくれたそのページを開く。


 四人の皇帝が大地に立つ絵だ。


「この世界には初め、大地しか無かったの。炎帝は炎にまつわるもの、氷帝は水にまつわるもの、碧帝は植物にまつわるもの、そして闇帝は闇にまつわるものを残してくれたのよ。それは神であった彼らが去っても、変わらず私たちに恵みをもたらしてくれる。ね、これも、なんにも変わらないのよ」


 ウィシェルやウィシェルの家族は医師と言う職業柄、人の力の敵わない事があると良く知っていた。それでも神がいない以上、人智を超えた存在に頼ることが出来ない以上、自らの手で模索し、胸に宿る願いを叶える為に努力することの大切さも良く知っていた。


 両親は子どもたちにそれを教える努力を惜しまず、子どもたちもまた同じ職に就く事でその教えを身を以て体験していた。


 だからこの教えはウィシェルにとって当然の現実で、大きな誇りなのだ。


 確信に満ちたその笑顔を、ひたと見つめていたスウリは、「そっか」と呟いた。


「そっか。祈りは、ここにいない誰かの為のもの……。そして、……願いは、自分で叶える、もの……!」


 胸の前で祈る様に手を重ねて、瞳を閉じた。


 あまり間をおかずに瞳を開いたスウリは、空を見上げて微笑んだ。


「ここでなら、きっと……」


 勢いをつけてその場に立ち上がる。


 振り返って、ウィシェルに笑いかける。


「目から鱗が落ちた気分。ありがとう、ウィシェル」





 それからウィシェルが帝都へ帰っても、二人は頻繁に手紙のやり取りをした。長期休暇をとれればウィシェルはアンジェロへと赴むきスウリと共に時を過ごした。


 一ヶ月以上手紙で喧嘩し続けたこともあったし、うっかり酒場で遊んでしまい兄夫婦に散々に叱られたこともあった。


 この頃のウィシェルは、スウリが独り立ちをしてもこの関係は続いていくのだと信じていた。


 彼女が、あの二人と出会うその日までは……。




 



 クゥセルとの会話が途絶えて部屋に戻ったウィシェルは、ベッドに横になっていたスウリの寝顔を見ながらほんの数年前の事を思い返していた。


 そう、スウリがこの世界に現れてから、まだ大した時間は経っていないのだ。


 それなのに次から次と彼女を襲う苦難を思うと、腹の底にどろどろとしたものが落とし込まれる気がした。同時に、頑張ってばかりのスウリを労りたいという願いも生まれる。


 指先でそっと彼女の髪を撫でる。


「おやすみ、スウリ」


 囁いて、ウィシェルも自分のベッドに潜り込んだ。









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