22.乱入〜焔焔
トーバルの街を出発して、港湾都市オンドバル行きの馬車は街道を進んでいた。
ふと、スウリは今朝のことを思い出してぼやく。
「宿屋の女将さんに頭を撫でられてしまったわ。心配してくれるのは嬉しかったけれど、そんなに幼く見えるのかしら?」
唇もわずかに尖らせて不満を示す。
彼女を挟んで座るクゥセルとウィシェルは苦笑を漏らした。
「まあ、今度二十歳になるようには見えないわよね」
「へ? あ、うん。まあ……。」
いつもそうだが、年齢と外見の食い違いについて指摘されるとスウリは目を泳がせる。返事はいつでも曖昧だ。
「それはウィシェルにも言えると思うんだけどね、俺は」
クゥセルが言うと、ウィシェルは彼を睨む。
「ペディセラ家は代々童顔なのよ。私のせいじゃないわ」
「お兄様も、とても三十代には見えなかったものね……」
要塞都市アンジェロに住むウィシェルの兄の顔を思い出してスウリは小首を傾げた。現在三十四歳で、ウィシェルとは九歳違いの彼は二十代半ばにしか見えなかった。
「というか、祖父君が……。あれは絶対に八十代では無い!」
断言するクゥセルに、スウリとウィシェルもこく、こくと頷いた。
「でも、そうね。できればローリィ様みたいに大人っぽくなりたいものだわ」
スウリの口から出てきた名前に、クゥセルがまず「ええ〜」と顔を顰めた。
面識は無いが、その武勇伝を色々と聞いていたウィシェルも「それは、ちょっと……」と言葉を濁す。
「どうして?素敵な女性だわ」
そう言って瞬くスウリの大きな瞳とあどけない顔に、『ローリィ』の雰囲気は微塵も感じられず、クゥセルは内心で胸を撫で下ろした。
時は戻る。
帝都の騎士団総長の執務室の、蹴破られた扉は勢い余って壁にぶつかった。マイルが慌ててそれを押さえる。二枚扉なので反対側をアーノルドが押さえた。
彼らの中心には、扉をけり飛ばした姿勢のままで、その犯人がいた。
ゆっくりと右足を下ろすその人は、燃え盛る炎のような印象を残す女性だった。
鮮やかにドレスの裾をさばき、ハイヒールの音も高らかに彼女は執務机のゴールゼンに近づいてきた。
両手を机に叩き付けたところで、ゴールゼンは口を開いた。
「ローリィ!」
呼ばれた女は赤い唇の端を引き上げる。
「ご機嫌麗しゅう。あ、な、た」
次の瞬間、目を吊り上げて深く息を吸った。もちろん、彼を怒鳴りつける為だ。
「皇妃様が城を出られたと聞きましたわ! どういうことです! さあ、きりきりとお答えになって!!」
机の上に片膝を乗り上げて、夫の胸ぐらを掴み、ぐいぐいと締め上げる。
「はんっで、おっはえてっ……、ぐぇ」
襟を絞められた上に、がくんがくんと揺らされて、ゴールゼンの言っていることを聞き取るのは難しかった。
もちろんそうなる前に彼女の手を掴み返す事も振り払う事も彼には可能だったが、毎度のことすぎて、もはや成すがままにさせる方が得策だと心得ていた。後々根に持つから。
「落ち着いて下さい。奥方様」
穏やかな声でノエル・レオンが口を挟む。
「これが落ち着いていられますか! 屋敷に来た副官に聞いたのだから信憑性の高い話だわ! まして、この人はまたクゥセルに賭けで負けたのでしょう?!」
「いや、それは……」
ローリィがノエル・レオンの方を向いた為に襟元の締め付けが緩んだ。そのおかげでゴールゼンは彼女に反論することができるようになった。
しかしそれを許さないのがノエル・レオンだ。
「ええ。その通りです」
あっさり肯定してしまった。
「お前っ! ……はぎっ」
ノエル・レオンに文句を言おうとするが、再び妻に締められて言葉は途中でうめき声に変わってしまった。
「んまあ!あれほど次は負けるなと……! いえ、この際そんな事はどうでもよろしいわっ」
皇妃様、フェリシエ様のことよっ、と彼女は自分が持ち出した賭けの話題を切り捨てた。
「ユーシャナ様に伺っても泣いてばかりで埒が明かないんですもの! さあ、あなたがきりきりとお吐きなさい!!」
唐突に出てきた皇帝の側妃の名前にゴールゼンは目を見張った。
思わずローリィの手を自身の手で握り、襟元から引き剥がしていた。
「なぜお前がユーシャナ様に会いにいくんだ!」
あら、口が滑ったわ。そう言ってローリィは夫の手から逃げ出した。
右の手の平を口元に添えて、少しばかり思案する。やがて腹を決めると、くるりとゴールゼンに向き合った。
「ま、言ってしまったものは仕方が無いわね。会員番号三十三番と十二番の縁よ」
「会員番号……?」
彼女の言っていることがわからない。
しかし理解した人間が一人だけこの場にいた。
「ああ。『皇妃様を陰ながら見守る会』の会員番号ですね」
そう言ったのはノエル・レオンだ。
「何だそれっ」
「何ですかそれはっ」
逆に、全く理解出来なかったゴールゼンとアーノルドは叫んだ。
「話には聞いていましたが、まさかユーシャナ様まで会員だったとは……」
感心したようにノエル・レオンは続ける。
「き、聞いた事も無かった……」
扉を押さえたままアーノルドが呆然と呟く。
空気も読まずに喜色の声を上げたのはマイルだった。
「あっ! はいっはいっ。自分は知っています! というか、『皇妃様を陰からお守りする会』の会員番号百三十五番です!」
一瞬、室内が静まり返る。
「…………『皇妃様を陰からお守りする会』?」
ゴールゼンが疑問系で呟けば、ノエル・レオンが口を開いた。
「『見守る会』が女性限定で、『お守りする会』が男性限定という話だったと思いますが?」
ローリィとマイルが肯定する。
「その通りよ。ちなみに会の発起人は秘密ね」
ローリィは唇の前で人差し指を立てて言う。
「そう言えば『お守りする会』の発起人って誰だったかな……?」
マイルが本気で覚えていないようで、首を傾げる。
「な、なぜそんな会があるんです?」
少し立ち直ってアーノルドが問えば、ローリィが流し目を送りながら答える。
「ふふ。皇妃様は貴族の子弟にさりげな〜く人気があるのよ?」
「ええと? それは、あまり聞いた事が無いのですが」
「それはそうよ。ちょっと、扉閉めてちょうだい」
全開のままだった扉を閉めろと彼女は指を閃かせる。
マイルとアーノルドは急いで両扉を閉じた。
「一応、言いふらさない様にお願いするわ。なぜって、会員たちのご両親が皇妃様を良く思っていない事が多いから」
「ご両親っていうと〜、あれか」
「あれよ」
ゴールゼン夫妻は視線を交わし、頷き合った。