21.乱入〜困惑
時は少し遡る。
皇妃フェリシエが城を出て、その件について重臣会議が開かれたその後の事だ。
副総長ノエル・レオンに連行、もとい、付き添われて執務室に戻った騎士団総長ゴールゼンは、渡された決済をなんとか終わらせて、執務机の椅子に腰掛けて船を漕いでいた。晴れた日の午後だ。うだるような暑さから解放され、冬が来るまでの憩いと言ってもいい日よりだった。
そこに乱入者が現れた。
「ちょっ、取り次ぎくらい待ってくださいよ!」
名目上は秘書官だが、実質は雑用係の、マイルという青年の声が扉の向こうから聞こえた。
騎士団総長の執務室には二枚の扉がある。一枚は副総長の執務室に通じ、もう一枚はマイルのいる応接室兼秘書官室に通じていた。
乱入者はそちらにいるらしい。
「だから今取り次げと言って……、いや、いい!」
どかどかと大きな足音が聞こえたかと思うと、扉が激しく叩かれた。
「総長、いますね!」
声に聞き覚えのあったゴールゼンは、瞳こそ開いたが椅子に座ったままでいた。
蹴破らん勢いで開かれた扉の先に立っていたのは、皇妃付き近衛騎士団の副団長アーノルド・セネガンだった。
「よお、アーノルド・セネガン。立派なご挨拶だな」
片手を上げてみせると、アーノルドは柳眉を上げて大股で近づいてきた。
「なんですかっこれは!」
右手で潰しそうな程握りしめていた羊皮紙を広げてゴールゼンに突きつける。
今朝サインした記憶のあるゴールゼンは軽く答える。
「ん? 任命証。っていうか、辞令?」
「見ればわかりますよ!私が騎士団長代理とは、どういうことかと聞いているのです!」
ちょうどその部分を指差して叫ぶ。
「団長は、タクティカス団長はどうしたのです!」
「おう、あいつな。辞職したぞ」
「じ……」
「ええっ!!」
開かれたままだった扉を閉めようとしたマイルが、アーノルドより激しく反応した。
「なんでですかっ」
「とりあえずお前には関係ない。しっしっ」
手の甲をひらひらと動かしてマイルを追い払う。
渋々と彼が部屋を出て行くと、ゴールゼンはちらりとアーノルドを見上げた。彼の持つ辞令を取り上げてせっせと伸ばしてやった。
「お前なあ、今じゃ羊皮紙は紙より高いんだぞ。なんだって副団長以上の辞令は羊皮紙って決まってるんだか……。経費の無駄だ、無駄」
「皇妃様が、城を出られたと噂になっています」
クゥセルが出仕してこない理由を知ったアーノルドは、どこか呆然としながら言った。
自分がわかりきったことを聞こうとしていると、思いながらも口にする。
「団長は、共に行かれたのですか……?」
「さぁて?」
はぐらかすようなゴールゼンの返事に苛立ちを覚えながらも、自制を保とうと努力する。
「戻ってこられるのですか?」
誰が、とは言いがたかった。
「俺に聞かれても困るんだがなあ……」
がしがしと頭を掻くゴールゼンだったが、ふと、にやりと笑った。
その表情が言っている。「面白いことを思いついた」と。
おもわず踵を返しそうになったアーノルドの背中に太い腕が回る。肩を組まれた姿勢で、逃れる事は難しそうだ。
「まあまあ。お前の不満とか、不安とか、よくわかるぜ? あの連中をこれからまとめていかなきゃならんかと思うと、なあ?」
猫なで声でそう言われて、正直な話、気持ちが悪かった。
だが、同時に近衛騎士団の面々の顔が浮かぶ。クゥセルに対しては従順な彼らも、アーノルドの言う事は話半分しか聞いていない。実は半分も聞けばいい方なのだが、団長不在の件で頭に血が上っていたアーノルドはそれを失念していた。
「そ、それは、そうなのですが……」
うっかり同意を示してしまった。
得たり、とゴールゼンは更に畳み掛ける。
「俺が直々にお前の相談に乗ってやるぜ? ほら、頑張ればお前も『団長代理』から『団長』になれるかもしれないだろ? その辺とかを、な?」
アーノルドにだって人並みに出世欲くらいある。巧みとは言えないが、ゴールゼンは彼の弱いところを突いていった。
二人の足は段々と出口へと向かう。書類仕事から逃れようという、騎士団総長の姑息な作戦だった。
だがそんな使い古された作戦はノエル・レオンにあっさりと阻止された。
隣の扉が開かれたのだ。
「おや、勤務中だと言うのにどちらへ?」
「ノエル!お前、あと一時間は戻らんはずではっ」
さも残念そうに叫ぶゴールゼンに送られる視線に熱は無い。
「その予定でしたが、書類に不備を発見しまして。修正が必要になりました。机へどうぞ?」
台詞としては促しているが、口調は完全にそれを強制していた。
「ふ、副総長……」
顔を引きつらせるアーノルドに、ノエル・レオンは頷いてやる。
「もちろん貴方が悪いとは思っていませんよ。ですが、総長室に殴り込むなら時間を考えてくださいね」
「はっ。申し訳ありません!」
胸に拳を当てて、腰を倒して礼をする。
「…………せっかくサボれそうだったのになぁ」
こそこそと執務机に戻ったゴールゼンはがっかりと肩を落とした。
「では、私はこれで」
取り敢えず出直そう、とアーノルドが扉の前で二人に退室の挨拶をした。
が、背後からマイルの声が聞こえた。
「な、何やっているんですかっ! やめてくださ……、うわっ」
本能でアーノルドは扉の前から飛び退いた。
次の瞬間、今度こそ総長室の扉は蹴破られた。