20.改進
爽やかな朝の光が差し込む部屋の中で、スウリは立っていた。腰に手を当てて、仁王立ちだ。
「よし!」
掛け声一つ吐き出して、目の前のベッドにある布団を掴んだ。
一気に引きはがす。
「……ふぇっ?!」
引きはがされた布団の下で、丸くなって眠っていたウィシェルが悲鳴をあげて目を開けた。
がばり、と飛び起きる。
「え、え、え、え?」
寝ぼけたまま辺りを見回す彼女の顔をスウリは覗き込んだ。
「おはよう、ウィシェル!」
「あ……。おは、よう」
すぐ目の前の満面の笑みに、ウィシェルは挨拶を返す。
次はクゥセルを起こしに行こうかな。と楽しそうに言う背中に、ウィシェルの唇から溜め息が溢れた。
寝起きのぼんやりとした頭で、それでもこう思う。
そうだった、こういう子だった、と。
辛い事があっても次の日には苦しみを笑顔で隠してしまうのだ。
床に足を下ろしながら呟く。
「ほんと、仕方ない子だわ。まったく。とことんまで付き合うしかないじゃない」
彼女が自分たちの前で泣けるようになるまで。そして、その後も。
スウリが寝室を出ると、クゥセルは既に身支度を整えて椅子に座っていた。
「よ。おはよう」
彼女をみとめて軽く手を上げる。
「おはよう。まさか昨日からずっとそこにいた訳じゃないわよね?」
昨晩と同じ椅子に座る彼にわざと怪しんでいる視線を投げてみる。
クゥセルは軽い笑い声をたてた。
「まさか! ちゃんと足の飛び出ないベッドで寝ましたとも。ちょっと狸と飲んだけどね」
「狸? クゥセルは動物と話ができるの?」
「いやいや。向こうが古狸だから一応人語を解すんだよ。あんまり会話が成り立たないけどね」
その言葉にスウリは俄然興味を抱いた。
「私も会いたい!」
「あ〜。まあ、そのうち?」
「でも、この街にいるのでしょう?出発したら会えなくなってしまうじゃない!」
机に両手をついて身を乗り出すスウリに、クゥセルはぽりぽりと指先で頬を掻きながらあらぬ方向を眺めた。
「いやあ、神出鬼没の狸だから、どっかで会えるんじゃないかな?」
「ん〜? 本当?」
半眼になって疑うスウリに、一方はお気楽に答える。
「ほんと、ほんと」
着替えを済ませて扉を開いたウィシェルはそのどうでも良い内容の会話に肩を落とした。
昨晩、あんな話をしたというのに、どうしてこの二人は昨日の今日でこんな会話ができるのか……。それとも自分の切り替えが遅いのだろうか?
首を捻る彼女に気づいたクゥセルが声を掛ける。
「お。起きたな。おはよう」
「……おはようございます」
ウィシェルの視線に気づいているだろうに、何を問うでも無くクゥセルは立ち上がる。
「さて、朝食に行こうか」
「食堂?」
「そう」
指先でくるくると鍵を回しながら先に出て扉を押さえる。
「どうぞ、レディ?」
騎士の仕草で、二人を室外に促す。
噴き出したスウリが言う。
「とってもお似合いね!」
騎士に言う台詞ではないと思いつつも、ついウィシェルも笑ってしまった。
朝食を済ませると、馬車の出発までそれほど時間が残っていなかった。
部屋に戻ったスウリは、朝開いた窓を閉じる。
背後ではウィシェルが「おかしい、入らないわ」と言いながらバッグに洋服を詰めている。医療道具の入った四角い鞄の方はきちんと収まっているというのに、不思議だ。
「大丈夫?」
心配して覗き込むスウリに、ウィシェルは頷いてみせる。
「大丈夫よ! 入れて持ってきたのだから必ず閉まるわ!」
寝室の扉が叩かれ、スウリがそれを開けるとやはりクゥセルだった。
「もう行かないと、席がとれなくなるが……。なにやってんだ?」
唸っているウィシェルの背中を見て、聞いてくる。
スウリは肩を竦める他ない。
「バッグの口が閉じないって、さっきからああなの」
「なるほどね」
状況を把握したクゥセルは「ちょっと失礼」そう言って部屋に入ってきた。大股で部屋を横切ると、ひょい、とウィシェルが苦戦しているバッグを取り上げた。
「あ」
「悪いね、時間がないんだ」
その後は瞬く間だった。擬音語で言えば、ぐい、パチン。こんなもので、あんなに苦労したバッグの口はあっさり閉じた。
そのままそれを持ってクゥセルは部屋を出て行く。
慌てて医療器具の入った鞄を掴んだウィシェルが続く。
自分で持ちます、いやいいからいいから、な口論を寝室で聞きながら、スウリは自分のずしりと重いバッグを持ち上げる。『約束の指輪』計四冊は死守したから重さは昨日と変わりない。
「あれは、『けんかする程仲がいい』に入れてもいいのかな?」
ウィシェルが聞けば、断固否定する台詞を呟きながら部屋を出た。
二人は既に口論しながら階段を下っていた。スウリもそれに続く。
と、玄関の扉で声を掛けられた。
「お嬢ちゃん」
振り向くと、宿屋の女将が布のかかった籠を持っていた。
「あ、お世話になりました」
ぺこっ、と彼女が頭を下げると、穏やかな笑みでその籠を差し出してきた。
「うちは昼食付きなんだ。持ってお行き」
「ありがとうございます」
礼を言って受け取るスウリに、「気をつけてね」と言って頭を撫でていった。完全に子ども扱いだ。
「う〜ん。幼く見えるのかな?」
自分でも撫でられた場所をさすりながら不満げに呟き、ウィシェルとクゥセルに近づく。
ところが、女将が先に彼らと接触していた。何事かクゥセルに言うと、そのまま宿に帰って行った。
「女将さん、なんて?」
聞けば、彼は眉をあげた。
「昨日はああ言ってたけど、まだ盗賊はいるってさ。だからちゃんと女性陣を守れって。なんか説教っぽかったなあ。あ〜、やだやだ。俺ってそんなに不真面目にみえるかなぁ」
「見えます」
クゥセルのぼやきに打てば響くような速さでウィシェルの返事が返る。
「……けんかは程々にね」
付き合っていられないとスウリは二人を置いて先に馬車へと向かった。
その背中を見守りながらクゥセルが笑いを漏らす。
「ほんとに、ウィシェルって俺の事嫌いだよね」
「嫌いなのではありません。信用ならないんです」
「男嫌い?」
「違いますっ」
そう云うところだ!と憤慨するウィシェルに彼はケタケタと笑うばかりだ。
「あなたは一体なぜスウリと来たんですっ?」
もちろんウィシェルだって彼がスウリを大切に思っているのは知っている。皇妃になる前は友人として、なった後は護るべき貴人として傍に居続けたのだから。
それでも、親友をここまで追い込んだ皇帝の幼馴染みとして何らかの含みが、秘事があるのではとの疑いは消えない。
ところが彼の返事は、いや、返事でさえない言葉を彼は口にした。
「ウィシェル、聞いてくれる? 俺、一応あいつに仕掛けてはみたんだよ」
「仕掛けた……? 何をです?」
「そうだなあ、う〜ん、思い出すきっかけ、かな」
「昨日のお話の、ですか?」
「そ。だから、それでも動かないんじゃ、あいつもうほんとに駄目だと思うよ。」
人間的にね、と楽しそうに言う。
「動かないって、それじゃあ、まさか、あなたはあの方が追ってくると思っているのですか?!」
動揺するウィシェルに、クゥセルはあっさり答える。
「うん。だから、来ないようじゃおしまいだって」
高い位置で頷く首をウィシェルは締めてやりたくなった。
「な、な、な、なんてことするんですか!」
ああ、鞄の中には何があっただろうか。この人の口を永遠に閉じさせる薬はあっただろうか? それとも直接縫い付けてやった方がスウリの為かもしれない……!
そんな風に考えているウィシェルを見下ろしながらクゥセルは片眉を上げた。
「なんか、殺気っぽいのを感じるんだけど?」
「出してますもの!」
「そう、怒るなって。君にしてみればスウリが一番だろうけど、俺にとってはあいつもそこそこ大事なんだよ」
あいつ扱いだの、悪友だの、散々な言い方しかしていなかった幼馴染みの台詞とは思えず、ウィシェルは耳を疑った。
「じゃあ、本当に、どうしてスウリと来たんです?」
にんまりとクゥセルは笑う。
「やっぱり味方するなら、可愛くない弟より可愛い妹だろ!」
「……あなたと陛下は同い年では?」
「そういうところは気にしないの」
もう、だんだんと腹立ちと呆れが臨界点を超えそうだった。
「わかりました」
「……なにが?」
頭一つ半近く違う長身を見上げて、ウィシェルは宣言する。
「あなたに敬語を使う事の無意味さがよくわかりました。そう言う訳で、金輪際あなたに敬語は使わないわ!!」
踵を返した彼女の後ろで、クゥセルは「今頃か!」と腹を抱えて笑った。