15.目的
トマトソースで煮込んだ『コパトの煮付け』は結局スウリ一人の手には余り、三人で分け合って平らげた。
部屋に戻ってから、スウリはぽつりと呟いた。
「ノールって本当に凄い王様なのね」
ええ、そうね。と頷こうとしたウィシェルは固まった。
あんまり普通にスウリが皇帝ノールディンの愛称を口にしたからだ。
おそるおそる様子を伺うが、スウリの表情は乗合馬車の乗り方をウィシェルに教えられた時とあまり変わらないように見えた。
「王様って……。まあいいや。凄いってのは?」
四脚ある椅子の背もたれを掴んだクゥセルが聞く。
「私、確かに街道整備の企画を立てて概算を出して提出したけれど、実際に実行に移したのは彼だわ。それに、私、盗賊が出るなんて知らなかった……。巡回騎士なんて思いつきもしなかった」
あの後、『巡回騎士』についてクゥセルから聞き出したのだ。彼によると、街道に沿って各地を巡回し、警備に当たる騎士たちのことだと言う。
大陸最大の国とは言え、いや、だからこそ、帝国の広大な領土内は貧富の差が激しい。主要都市から離れれば離れるほど自給自足と言うしかない生活を余儀なくされている民が多くなる。彼らは何らかの理由で生活の糧が失われれば、いとも容易くその身を賊に落とした。
領土を治める貴族は、自身に直接の被害が無ければ賊の取締りなどはしない。そして賊もそれを知っているからこそ、貴族のものに手を出すことは滅多に無かった。弱者がほんの少し強いだけの弱者から財を奪われ、奪い返す。そんな止まることを知らない悪循環が生まれていたのだ。
皇妃フェリシエの提案した街道の整備はこの現状にある種の楔を刺した。
主要都市と主要都市の間に、舗装道路という原始的なネットワークを形成したのだ。
それにより、物と人の流れが出来た。淀んだ沼に川が掘り込まれるようなものだ。行き場を無くしたもの達が動き出す。それは『商品』という価値であったり、『労働力』という価値であった。
取るに足らなかった石が希少な鉱石だと知れたり、賊に落ちる前に他所に出稼ぎに出たりと、人々に選ぶ道が用意されたのだった。
「あいつに統治者としての才みたいなのがあるのは認めるけどね。そう言う報告を受けて、処理するのがあいつの仕事だよ。スウリのところまで来る方が不思議なんだ」
「……そう、ね」
何となく釈然としないが、それでもスウリは頷いた。
「じゃあ、気を取り直して、ここに座って」
ぺんぺん、とクゥセルは空いている椅子を叩いた。
いつの間にかウィシェルも椅子に座っていた。
クゥセルの示す席に腰を落ち着かせて、スウリは顔を上げる。
二脚ずつ向かい合わせに置いてあったはずなのに、何故か椅子が移動されて上座が出来上がっている。彼女が座っているのはそこだ。つまり、机がありながらも二人の間に挟まれている状態だった。
「まるで、尋問を受けるみたい……」
「なに、受けたことあるの?」
クゥセルに聞かれて、スウリは首を振った。
「話に聞いた尋問ってこんな感じかな、と」
「まあ、近いかな」
「それで、何?」
首を傾げるスウリにクゥセルは笑いかける。
「港湾都市オンドバル」
「うん。今向かってるわね」
左側ではにこやかなクゥセル。右側には真剣な表情のウィシェル。頷くスウリもどこかぎこちない。
「俺たちが聞きたいのはその先だ」
「先?」
そこでようやくウィシェルが口を開いた。
「そもそも、どうしてオンドバルなの? てっきりわたしはアンジェロに戻るのだとばかり思っていたわ」
要塞都市アンジェロはウィシェルの故郷で、スウリにとっても故郷のようなものだ。だから、城を出てからのスウリの行き先は当然そこだと彼女は思った。けれどスウリの先を読んだクゥセルに導かれて向かった乗合馬車の乗り場でスウリが買ったのはオンドバル行きの乗車券だったのだ。
少し眉尻を下げて、スウリは首を振った。
「今更、アンジェロのおじいさまにご迷惑はかけられないわ。それに、ご領主様だって。元皇妃が現れても困らせてしまうだけよ」
ウィシェルの祖父ロッド・ペディセラは、医師としての現役を退いた後はアンジェロの周囲に広がる森の『森番』という役目を担っている。
彼は一時スウリの保護者であったこともあり、彼女は『アンジェロのおじい様』と呼んで慕っているのだ。
また、要塞都市アンジェロの領主とも彼らは親しかった。気さくな領主は度々ロッドと共に彼女たちを城館に招いていた。
「おじい様はそんな事気になさらないわ。それに、ご領主様だってそんな方じゃないでしょう!」
そんな事はスウリも良く知っている。
「彼らがなんと言おうと迷惑な事に変わりはないのよ、ウィシェル」
スウリが彼らに心から信頼を寄せ、深く感謝の念を抱いていることを知っているウィシェルはそれ以上強く言う事はできなかった。
少し肩を落として、椅子の背もたれに背中を預ける。
「まあ、アンジェロについてはいいだろう、ウィシェル?」
クゥセルの問い掛けに、彼女は不承不承頷いてみせた。
「俺としてはオンドバルに行くのは構わないんだ。ただそこから先、どうするのかが聞きたい」
「その先……。そうよね、ちゃんと話しておかないとね」
もちろんオンドバルに行く事にした理由はちゃんとある。一緒に来てくれるという彼らにそれをきちんと説明しなくてはいけなかったのだ。旅に浮かれてすっかり失念していた自分を恥じる気持ちがスウリの中に湧いていた。
椅子に座り直し、背筋を伸ばす。膝に両手を揃えて二人に向き合う。
「港湾都市オンドバルから船に乗って、チルダ=セルマンド大陸に渡るわ」