10.重臣~投石
「ですが、宰相閣下にばかり責任があるとも言えない。……違いますかな?」
卓の上で指を組んだ男が口を開いた。オルバスティン公爵の隣に座した、三人いる財務大臣の一人だ。ランダバ公爵家老当主の次男で、貴族至上主義者で知られてもいる。
「どういう意味か?」
訝しむ宰相にランダバは曖昧に笑い掛ける。
「そもそも、あの方に御子を作る能力など最初から無かったのかもしれませんよ。流産などと言って、そのことを誤魔化されたのでは?」
目を剥いて立ち上がったのは、医薬局大臣セヤだった。
「何という事を! それは、彼の方と我等医薬局への侮辱です!」
帝国中の医療関連の職務を担う医薬局は、当然皇帝と皇妃の体調管理の役も担っている。
ランダバの発言は、その医薬局が皇妃の不妊に気付けなかったか、あるいは気付いていて隠蔽を図ったと言っているも同然だ。医薬局大臣が激昂するのも無理から無い。
「ですが、二年も御子が出来ず、出来たらすぐ流産と言うのはいささか……」
隠そうともしない嘲りが顔に浮かんでいた。
深く眉間に皺を刻んだ宰相が仲裁に入る前に、セヤが叫んだ。
「貴方は、両陛下と同時期に結婚した帝都の夫婦の何割が今子を得ていると思っているのです。八割です!二割は未だ子どもに恵まれていません。まして皇妃様は皇帝陛下、宰相閣下に次ぐ激務をこなされているのですよ!それでは体調を崩されない方がおかしいというものですっ」
「はっ。だが、そのたった二割に皇妃様が含まれているということでしょう?」
セヤの怒りさえも笑い飛ばしてランダバは言う。
「御子の誕生はご婦人一人の問題ではありません! 夫君にもっ…………」
そこまで言ってセヤは言葉を止めた。これ以上は皇帝本人への侮辱に他ならない。
言質を取ったと喜色を浮かべ、ランダバは立ち上がろうとした。
そこに、太く低い、のんびりとした声が響いた。
「あ、あ~あ。申し訳ありません、陛下。一つ報告を忘れていました」
ゆっくりと立ち上がったのは騎士団総長ゴールゼンだ。
その巨躯が持ち上がるだけで周囲に妙な圧迫感を与え、圧されたようにランダバもセヤも椅子に腰を落としてしまった。
「何だ」
皇帝が僅かに瞳を眇めて聞いた。
にっこりと笑ったゴールゼンは言った。
「皇妃陛下付き近衛騎士団長クゥセル・タクティカスが職を辞しました」
会議室にざわめきが走った。
「タクティカス侯爵が、近衛騎士を辞められた?!」
皇家の遠戚であるタクティカス侯爵家の若き当主が、皇帝の幼馴染であり、優秀な騎士であること、それを理由に皇妃付き近衛騎士団の団長を任されていることを知らない者などこの場にはいなかった。
「いやあ。多額の退職金をもぎ取られましてな、その事務処理が忙しくてすっかり忘れておりました」
のほほんと笑うゴールゼンの言葉を聞いている者など殆どいない。
そんな中、皇帝付き近衛騎士団長ハインセルだけが険しい顔で上司であるゴールゼンを見つめていた。
そんな重要事項がこれまで皇帝の耳に届かなかったのは明らかにおかしい。詰まるところ、何者かがその情報をどこかで堰き止めていたのだ。
宰相もこの情報に目を見張っている。つまり、飄々とした態度を崩さない騎士団総長こそがその犯人なのだろう。
「そちらも、報告事項があるんだろう?」
手の平を上に返してゴールゼンは医薬局大臣セヤを指した。
その態度に一瞬眉をぴくりと跳ね上げたセヤだったが、静かに立ち上がり、皇帝に向き合った。
「皇妃陛下付き王宮医師ウィシェル・ペディセラも昨日、職を辞しております」
この言葉にも、数人が反応を返した。
「ペディセラ? 医薬局薬務室長官のペディセラの家系か?」
「オルド・ペディセラの娘です」
セヤが答えれば、別の者が呟く。
「要塞都市アンジェロの医薬局長官は確かオルド・ペディセラの長男だろう」
「良くご存知で。その通りです」
祖父の代から医薬関連の要職についているペディセラ家はその筋ではかなり高名な一家であった。
会議場のざわめきが余計に高まり、収拾がつかなくなってきた。
きっかけを作ったゴールゼンはいつの間にか席についてにやにやと笑いながらその様子を眺めていた。
宰相が一度皆を静めようと口を開いたところで、会議場の扉が大きく開かれた。