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ふしぎな力を持つ令嬢たち

手ざわりを知る令嬢

作者: 夜華カナタ
掲載日:2026/10/23

「紙屋の娘の手」と笑われてきた手袋の令嬢が、夜会で、たった一枚の手紙に素手で触れたとき。

婚約破棄、ざまぁ、そしてハッピーエンド。一話完結です。

指先は、うそをつかない。

 少なくとも、リディア・ヴェルンの指先は。


 その布を、誰が織ったか。その紙を、どこの水で漉いたか。その手が、どんな暮らしをしてきたか。

 物心ついたころには、触れたものが、ぜんぶ指から話しかけてきた。


 だから、いつも手袋をしている。

 白い、薄い、絹の手袋。それ一枚あれば、たいていのことは、ぼんやりとしか伝わってこない。


* * *


「リディア。君、また手袋をしているのか」


 王宮の夜会。大広間の入口で、婚約者のジルベール・ラフォンが、わざとらしく眉を上げた。


「せっかくの夜会なんだ。たまには外したらどうだい。……ああ、無理か。紙屋の娘の手だものな」


 周りにいた令息たちが、くすくすと笑った。


 ヴェルン伯爵家の領地は、北の山の中にある。冷たい川の水で漉く紙は、国じゅうの役所が使うほど質がいい。リディアも子供の頃から、紙漉き場に入りびたって育った。指先が少し荒れているのは、そのせいだ。


「ジルベール様。今夜は、どなたとご一緒に?」


「ご一緒も何も、君の婚約者は僕だろう」


 ジルベールは笑った。その腕に、さっきまで別の令嬢の手が添えられていたことを、リディアは知っている。


 男爵令嬢のマリエット・セラン。最近、ジルベールがよく夜会に連れて歩いている人だ。


 先週、ジルベールから手紙が届いた。婚約を考え直したい、という手紙だった。けれど、婚約は家どうしの約束だ。理由もなく婚約を破れば、破った側が違約金を払う決まりだ。ラフォン侯爵家がヴェルン家に払う額は、小さなものではない。


(……理由を、作りに来たのね)


 リディアは、手袋の指先を、そっと握りしめた。


* * *


 騒ぎが起きたのは、王弟エドガー殿下の挨拶が終わった直後だった。


「皆さま、聞いていただきたい!」


 ジルベールが、大広間の真ん中で声を張り上げた。その後ろに、青い顔をしたマリエットが、白い手袋の手を胸の前で握りしめて立っている。


「僕は今夜、リディア・ヴェルンとの婚約を、破棄させていただく!」


 ざわめきが、大広間を走った。


「理由は、これだ」


 ジルベールが、手にした紙の束を高く掲げた。手紙だった。五通ほどある。


「この半月、マリエット嬢のもとに、脅しの手紙が届き続けた。ジルベールに近づくな、近づけば家ごと潰す、とね。……封蝋を見てくれ。ヴェルン家の印だ」


 近くにいた貴族たちが、首を伸ばして手紙を覗きこんだ。赤い封蝋に、山と川を組み合わせたヴェルン家の紋が、はっきりと押されていた。


「それに、この紙。ヴェルンの紙だ。国じゅうの誰もが知っている、あの白い紙だよ」


 視線が、いっせいにリディアに集まった。


 マリエットが、震える声で言った。


「わ、わたくし、怖くて……ジルベール様に、ご相談して……」


「もう大丈夫だ、マリエット」


 ジルベールは、マリエットの肩を抱いた。それから、勝ち誇った顔で、リディアを見た。


「何か言うことはあるかい、リディア。……ああ、手袋の中で、指でも震わせているのかな」


 リディアは、黙って一歩前に出た。


「その手紙、拝見してもよろしいですか」


「見たところで、何も変わらないさ」


「では、さわってもよろしいですか」


 ジルベールが、笑った。


「さわる? ご自慢の紙屋の指で? どうぞ。いくらでも」


 リディアは、右手の手袋の指先をつまんで、ゆっくりと引き抜いた。


 大広間が、しんと静まった。


 ヴェルンの手袋令嬢が、人前で手袋を外したのを見た者は、ここにはひとりもいなかったからだ。


* * *


 一通目の手紙に、素手で触れた。


 とたんに、指先から、いろいろなものが流れこんできた。


 紙の目。繊維の長さ。水の冷たさ。乾かした日の天気。それから、この紙に触れた、いくつもの指。


「……ヴェルンの紙では、ありません」


 リディアは、静かに言った。


「何だって?」


「よく似せてあります。でも、繊維が短い。うちの紙は、山の楮だけで漉きます。これは、麦わらがたくさん混ぜてあります。水も、北の山の水ではありません。もっとぬるい、南の川の水です」


 ざわめきが起きた。ジルベールが、鼻で笑う。


「手袋娘の当てずっぽうだろう」


「分かります。この半年、うちの紙漉き場は、春の大水で止まっています。新しい紙は、一枚も外に出ていません。それより前の紙は、すべて役所に納めました。……役所の方なら、ご存じのはずです」


 人垣の中で、財務院の年配の役人が、気まずそうに咳払いをした。役所の紙が足りなくて困っているのは、本当のことだった。


「それから、この紙と同じ紙を、私はもう一枚、知っています」


 リディアは、手紙の端を、指でそっとなぞった。


「先週、ジルベール様からいただいた、婚約を考え直したいというお手紙。あれと同じ紙です。同じ水、同じ麦わら、同じ日に乾かした紙」


 ジルベールの顔から、笑みが消えた。


「ラフォン家が、去年、南の川沿いの紙漉き場をお買いになったと聞きました。ヴェルンの紙に似せた、安い紙を作っているとか」


「……そ、それがどうした。似た紙なら、誰だって手に入る」


「そうですね。では、封蝋を」


 リディアは、赤い封蝋に、人差し指の腹を当てた。


「ヴェルン家の印章は、三年前に、祖母が床に落として、右下の角がほんの少し欠けました。それからは、どの封にも、その欠けが写っています」


 指の腹で、封蝋の縁をゆっくりとなぞる。


「この封蝋には、欠けがありません。三年より前の、欠ける前の封から、型を取ったものです」


 大広間が、静まり返った。


「三年より前に、ヴェルン家の封のついた手紙を、何通もお持ちの方。……婚約したばかりの頃、私は、毎月お手紙を書いていました。ジルベール様に」


 すべての目が、ジルベールに向いた。


「ば、馬鹿な。言いがかりだ! 手袋をした変わり者の、指先の当てずっぽうじゃないか!」


「では、もうひとつだけ」


 リディアは、最後に、手紙の文字の上に指を置いた。インクの盛り上がり。ペン先の癖。強く押しこまれた、払いの跡。


「この字を書いた方は、細くて柔らかい、女の方の指をしています。右手の中指に、新しいペンだこがあります。それから……書いている間、ずっと、ひどく怯えていました。何度も手を止めて、書き直しています」


 リディアは、顔を上げて、ジルベールの後ろに立つ人を見た。


「マリエット様。手袋を外して、手を見せていただけますか」


 マリエットの肩が、びくりと跳ねた。


* * *


 マリエットは、泣き出した。


 手袋の下の中指には、赤くなったペンだこがあった。


「ジルベール様に……言われて……。リディア様のせいにすれば、婚約は向こうの落ち度で破れる、違約金も払わなくていいって。わたくしの家は借金があって、ラフォン家に、助けていただいていて……」


「黙れ、マリエット!」


「書きたく、なかったんです。……ごめんなさい、リディア様。ごめんなさい」


 ジルベールが、何か言おうとした。けれど、その前に、大広間の奥から、低い声が響いた。


「ラフォン侯爵令息」


 王弟エドガー殿下だった。


 夜会の主催者として、さっきまで玉座の横で黙って様子を見ていた方だ。黒い礼装に、黒い手袋。五年前、城下の火事で子供たちを助け出したとき、両手にひどい火傷を負ったと聞いている。それ以来、人前で手袋を外したことはないそうだ。


「偽の封蝋で他家の名を騙るのは、王都の法で裁かれる罪だ。……財務院。南の紙漉き場の帳面を、明日までに調べておけ」


「は、はい、殿下!」


 ジルベールの膝が、がくりと折れた。


 あとで聞いた話では、南の紙漉き場の倉から、ヴェルン家の封を写した型が見つかったそうだ。ラフォン侯爵家は罰金を科され、ジルベールは家を継ぐ資格を取り上げられた。


 マリエットは、自分から罪を申し出た。数日後、リディアのもとに一通の詫び状が届いた。ヴェルンの紙ではない、ありふれた安い紙だった。けれど、素手で触れると、一字一字、震えながら、それでも最後まで逃げずに書いた手の感じが伝わってきた。リディアは、その手紙だけは、捨てずにしまっておくことにした。


* * *


 夜会が終わる頃、リディアは、大広間の外の露台で、ひとり夜風に当たっていた。


 右手は、まだ素手のままだった。手袋をはめ直そうとして、指がうまく動かなかった。いろいろなものに触れすぎて、指先が、まだじんじんしている。


「冷えますよ」


 声がして、振り返ると、エドガー殿下が立っていた。


「殿下」


「さきほどは、見事でした。……ヴェルン家の紙漉き場が止まっていることを、私はうかつにも知らなかった。役所の紙の件は、すぐに手当てをさせます」


「ありがとうございます」


 殿下は、しばらく黙って、リディアの素手の右手を見ていた。


「ひとつ、お願いがあります」


「何でしょう」


「私の手に、さわってみてもらえませんか」


 リディアは、目を瞬いた。


 殿下は、ゆっくりと、右手の黒い手袋を外した。


 月明かりの下に現れたのは、ひきつれた火傷の痕に覆われた手だった。指の何本かは、うまく曲がらないようだった。


「火傷を負ったばかりの頃、この手を見た人は、たいてい目を逸らしました。気の毒そうな顔をするか、怖がるか。……あなたなら、この手から何が分かるのか、知りたくなった」


 リディアは、少しためらった。


 それから、そっと、自分の素手を、殿下の手のひらに重ねた。


 流れこんできたのは、熱さではなかった。


 燃える梁。泣き叫ぶ子供の声。煙の中で、何度も何度も伸ばされる手。それから、その後の、長い夜。痛みで眠れない夜。それでも、翌朝には城下の孤児院へ足を運び、子供たちの頭を、この手袋の手で撫でる日々。


 そして、ついさっきの、大広間。


 ひとりで手紙に触れるリディアを見ながら、この手が、ずっと固く握りしめられていたこと。


(……私のために、怒っていてくださったの)


「どうですか」


 殿下が、少し心配そうに聞いた。


「……一度も、嘘をついたことのない手です」


 リディアは、言った。


「それから、とても、あたたかい手です」


 殿下が、目を見開いた。


 それから、困ったように、少しだけ笑った。


「そんなことを言われたのは、初めてです」


「私も、こんなにさわっていて楽な手は、初めてです」


 ほかの人の手は、さわると、隠しごとや、ごまかしが、ちくちくと指に刺さってくる。だから、手袋がいる。


 この手には、何もなかった。


「リディア嬢」


「はい」


「あなたが、手袋を外していられる場所を、作りたいと思います。……私の隣では、どうでしょう」


 リディアは、重ねた手を、離さなかった。


 指先は、うそをつかない。

 この手が、今、どれだけ緊張しているのかも、ちゃんと伝わってくる。


「……喜んで、お受けします」


 月明かりの下で、手袋をしていない二つの手が、ゆっくりと握り合わされた。

お読みいただきありがとうございました。

「紙屋の指」と笑われた指先が、紙一枚と封蝋ひとつで、本当のことを探りあてる。そんなお話でした。


書いていて楽しかったのは、露台の場面です。手袋を外せずにいた二人が、お互いの前でだけ、素手でいられる。それだけで、きっと十分なのだと思います。


シリーズ「ふしぎな力を持つ令嬢たち」の一作です。ほかの令嬢たちのお話も、よろしければどうぞ。

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