悪女の葬式
私が自分の葬式を見たのは、棺桶から這い出して十分後だった。
その日はよく晴れていた。
大聖堂の高い窓から秋の光が差し込み、白い石床の上を細長く照らしている。祭壇には百本を超える白百合が飾られ、その中央に、一つの棺が置かれていた。
棺の蓋は開いている。
中には、私がいた。
銀色の髪。
薄い青の瞳。
十八年間、鏡で見続けてきた顔。
少し痩せているけれど、どう見てもクラリス・レイヴェルだった。
つまり、私だ。
「……どういうこと?」
「声を落として」
隣の男が、私の腕を引いた。
エリオットというらしい。
王都で葬儀を請け負っている家の息子で、つい十分ほど前まで私は彼のことを知らなかった。
もっと正確に言えば、十分ほど前まで私は棺桶の中にいた。
大聖堂地下の納骨堂。
釘を打たれていない古い棺。
暗闇の中で目を覚ました私は、夢中で蓋を押し上げた。
物音を聞きつけてやってきたのがエリオットだった。
彼は棺桶から出てきた私を見るなり、
「今日の葬儀、やめたほうがよさそうだな」
と言った。
意味が分からなかった。
今なら分かる。
確かにやめたほうがいい。
死んでいるはずの本人が、ここにいるのだから。
「レイヴェル公爵令嬢クラリス」
祭壇から、司祭の声が響いた。
私は柱の陰へ身を寄せる。
「十八年という短い生涯において、多くの過ちを犯した娘ではありましたが、死をもってすべての罪が消えることを願います」
……待って。
何、その紹介。
普通、葬式でもう少し褒めない?
少なくとも死者に対して「多くの過ちを犯した娘」は、かなり厳しいと思う。
参列者からすすり泣きは聞こえなかった。
むしろ、ひそひそと囁く声が聞こえてくる。
「ようやくね」
「殿下もお気の毒だったわ」
「あれだけのことをしておいて、最後は自害ですって」
「悪女らしい最期だこと」
悪女。
誰が?
思わず自分を指差しそうになった。
「私、悪女だったの?」
「俺に聞くな」
エリオットが呆れた顔をする。
「有名だったぞ」
「知らない」
「本人だろ」
「だから困っているの」
私は額を押さえた。
頭が重い。
記憶を辿ろうとすると、途中で突然道が消えている。
最後にはっきり覚えているのは、夏の終わり。
王宮の温室で開かれた茶会だった。
私はそこで、王太子フェリクス殿下と話していた。
そのあと、少し気分が悪くなった。
侍女から水を受け取って――。
そこまで。
次が、棺桶の中だ。
「今日は何月何日?」
「十月二十二日」
「……二か月?」
二か月が消えている。
その二か月のあいだに、どうやら私は悪女になって死んだらしい。
ずいぶん忙しい二か月だ。
「私、何をしたことになっているの?」
エリオットが少し考えてから指を折った。
「救済院への寄付金を横領」
「してない」
「北地区の孤児院を立ち退かせた」
「知らない」
「聖女候補のセシリア嬢に毒を盛った」
「待って」
「王太子との婚約を利用して商人を脅した」
「待ってって言ってるでしょう!」
思わず声が大きくなった。
前にいた老婦人が振り返る。
私は慌てて顔を隠した。
「……本当に私?」
「世間ではな」
「私、そんな器用な人間じゃないわ」
「それは反論としてどうなんだ」
もっともだった。
けれど、本当に覚えがない。
寄付金。
孤児院。
毒。
商人。
どれも私には何の記憶もなかった。
そして何より。
「フェリクス殿下は?」
「婚約は三週間前に破棄された」
「……そう」
胸の奥に、少しだけ痛みが走った。
恋をしていたのかと聞かれれば、よく分からない。
幼いころから決められた婚約だった。
けれど十年近く隣にいた人だ。
好きではなかった、とは言えない。
祭壇の右側に目を向ける。
いた。
金色の髪をした青年。
フェリクス殿下。
黒い礼服を着て、棺を見つめている。
その顔には悲しみより、疲れが浮かんでいた。
「……あんな顔をさせたのは、私なのかな」
思わず呟いた。
「分からないなら調べればいい」
エリオットが言った。
「どうやって?」
「まず、一番簡単なところからだ」
彼が棺を指差す。
「あれが本当にお前か確認する」
「私がここにいるのに?」
「だから確認するんだよ」
葬儀が終わるまで待った。
私にとって、自分の葬式は思ったより長かった。
途中から腰が痛くなった。
生前の悪評を紹介される時間も長かった。
あとで司祭には少し文句を言いたい。
最後の参列者が去り、大聖堂の扉が閉じる。
エリオットは父親から棺の処置を任されているらしく、自然に祭壇へ近づいた。
私は黒い外套で頭から顔を隠し、その後ろを歩く。
近くで見ると、さらに似ていた。
棺の中の女は、間違いなく私の顔をしている。
けれど。
「左手を見せて」
「死体にお願いするな」
「つい癖で」
エリオットが亡骸の左手を持ち上げる。
私は息を呑んだ。
「ない」
「何が?」
「傷」
私の左手首には、幼いころにつけた火傷の跡がある。
七歳の冬。
暖炉へ転びそうになった弟を助けたときについた。
今でも親指ほどの白い傷が残っている。
私は袖をまくった。
ある。
当然だ。
棺の女には、ない。
「別人だ」
「でも、この顔は……」
エリオットが亡骸の頬に触れる。
しばらく確認してから、眉を寄せた。
「化粧じゃないな」
「でしょうね。化粧でここまで似たら怖いわ」
「魔法か」
この国には、人の姿を多少変える魔法は存在する。
髪の色。
目の色。
肌。
けれど別人を完全に同じ顔へ変えるなど、私は聞いたことがない。
そのときだった。
「あれ?」
エリオットが亡骸の耳元を見る。
「何?」
「銀粉だ」
髪をかき分ける。
耳の後ろに、わずかに銀色の粉が残っていた。
「知ってるか?」
「……鏡銀」
口に出した瞬間、記憶の端に何かが引っかかった。
鏡銀。
非常に高価な魔法触媒。
姿を映す魔術に使われる。
ただし、人間の姿を完全に写すには条件がある。
「血が近くないと使えない」
私は言った。
「家族か」
「たぶん」
「姉妹は?」
「いない」
「本当に?」
「弟が一人だけよ」
即答してから。
なぜか。
胸の奥に小さな違和感が残った。
本当に?
私は一人娘だ。
弟が生まれるまで、ずっとそう言われて育った。
姉も妹もいない。
なのに。
なぜ今、こんなに嫌な感じがするのだろう。
「服も調べよう」
エリオットが言った。
「さすがに女性の服をあなたが調べるの?」
「仕事だ」
「便利な言葉ね」
「じゃあお前がやれ」
「やります」
私は亡骸のドレスへ手を伸ばした。
葬儀用の白いドレス。
私が持っているものではない。
裾。
袖。
胸元。
目立ったものはない。
けれど腰のあたりを触ったとき。
布の内側に硬い感触がした。
「ここ」
縫い目を少しだけ解く。
中から、小さく折り畳まれた紙が出てきた。
震える手で開く。
文字があった。
『これをクラリスが読んでいるなら、私は失敗したのだと思う』
息が止まった。
続きを読む。
『ごめんなさい』
たった一行。
その下に。
一つの名前が書かれていた。
マリア。
知らない名前だった。
その日の夜。
私は自分の屋敷へ帰らなかった。
死者が正面玄関から帰宅するのは、さすがに騒ぎになる。
エリオットの家が営む葬儀屋の二階にある小部屋を借りた。
葬儀屋に泊まる公爵令嬢。
人生とは分からない。
「マリア」
何度その名前を見ても、思い出せない。
けれど見覚えはある。
文字ではない。
響き。
昔。
どこかで聞いた気がする。
「家族に聞けば?」
向かいでパンを食べていたエリオットが言った。
「父に?」
「一番早いだろ」
「私が生きていることを知らせて大丈夫だと思う?」
「……そこか」
「私を二か月閉じ込めた人が誰なのか分からない。屋敷の人間が関係していたら?」
「公爵も?」
「分からない」
口にするだけで嫌だった。
父を疑いたくはない。
けれど今は誰も信用できない。
自分の記憶すら信用できないのだから。
「だったら、記録を探すしかないな」
「何の?」
「マリアの」
なるほど。
「あなた、葬儀屋なのに探偵みたいね」
「死んだ人間の素性を調べることもある」
「便利な仕事ね」
「公爵令嬢よりはな」
少し腹が立った。
翌朝から調査を始めた。
まず、教会の洗礼記録。
レイヴェル家の名があるページを調べる。
私。
弟。
父。
母。
祖父母。
マリアはいない。
次に出生記録。
いない。
死亡記録にもいない。
「幽霊みたいね」
「お前が言うと洒落にならない」
二日目。
レイヴェル家と関係のある修道院を回った。
三軒目。
郊外の小さな女子修道院で、一人の老修道女が私の顔を見て固まった。
「……クラリス様?」
私はフードを少し深くした。
「私をご存じなのですか」
「もちろんです。でも、あなたは……」
「死んだことになっています」
老修道女は胸の前で印を切った。
「マリアという女性をご存じありませんか」
その瞬間。
彼女の顔色が変わった。
「知っているのですね」
「……こちらへ」
小さな応接室へ通された。
扉が閉じられる。
老修道女はしばらく祈るように手を組んでいた。
やがて。
「マリアは、あなたのお姉様です」
世界が止まったような気がした。
「姉?」
「正確には、異母姉です」
父が若いころ。
まだ母と婚約する前。
一人の女性と交際していた。
身分の低い女性だった。
その間に生まれた子。
それがマリア。
「では、どうして私は何も……」
「公爵様は認知を望まれました。しかし、当時のレイヴェル家当主が許さなかったと聞いています」
祖父だ。
家柄に厳しい人だった。
マリアの母は金を渡され、王都を離れた。
数年後に亡くなった。
残されたマリアは、この修道院へ預けられた。
「公爵様は時折会いに来られていました」
「父が?」
「はい」
「では、今も?」
老修道女は首を横に振った。
「三年前から、マリアはここにはおりません」
「どこへ?」
「叔父様が引き取られました」
「叔父?」
私は嫌な予感がした。
「アルベルト・レイヴェル侯爵です」
父の弟。
私の叔父。
そして。
父と弟に何かあった場合、レイヴェル公爵家に最も近い血縁者。
背中が冷たくなった。
そこから先は早かった。
早すぎるくらいだった。
エリオットが商人の記録を調べた。
鏡銀を大量に購入した人物。
叔父の執事。
救済院から消えた寄付金の行き先。
叔父と関係のある商会。
孤児院を立ち退かせた命令書。
私の署名。
けれど筆跡は、よく見るとほんの少し違った。
そして。
聖女候補セシリアに毒を盛った夜。
私を見たという証人は大勢いた。
だが、全員が同じことを証言している。
『銀の首飾りをしていた』
私はその首飾りを持っていない。
マリアがつけていたのだ。
「つまり」
エリオットが机いっぱいに広げた紙を見る。
「お前を消して、姉にお前の顔をさせた」
「そして、悪事をさせた」
「最後に姉を殺せば」
「クラリス・レイヴェルは悪女のまま死ぬ」
婚約は破棄。
公爵家の名誉は失墜。
父が責任を取って爵位を退けば。
誰が一番得をする?
答えは簡単だった。
「叔父様」
自分の声が、自分のものではないように聞こえた。
けれど。
一つだけ分からない。
「どうしてマリアは従ったの?」
エリオットは答えなかった。
強制されたのか。
金か。
脅迫か。
それとも。
本当に私を憎んでいたのか。
自分が得られなかったものをすべて持っている妹。
父。
家。
名前。
地位。
婚約者。
恨まれていても、不思議ではない。
それでも。
『ごめんなさい』
あの一行が頭から離れなかった。
答えを持っていたのは、聖女候補セシリアだった。
毒を盛られたはずの彼女は、王宮の療養室にいた。
命に別状はない。
「クラリス様」
私を見た瞬間、セシリアは泣いた。
「やっぱり……」
「知っていたの?」
「途中からです」
彼女はベッドの中で唇を噛んだ。
「あの方は、あなたではありませんでした」
「どうして分かったの?」
「クラリス様は、紅茶に砂糖を入れません」
「……それ?」
「はい」
もっと劇的な理由を期待してしまった。
でも、確かに私は入れない。
「あの方は毎回二杯入れていました。それから、猫が苦手でした」
「私は好きよ」
「知っています」
どうやら本人を知っていれば分かる程度には違ったらしい。
「毒を入れられた夜、あの方は私に言いました」
セシリアがゆっくりと話す。
「飲まないで、と」
「え?」
「皆が見ている前で毒を入れました。そして私に杯を渡したとき、小さな声で『飲まないで』と」
「でも、あなたは倒れた」
「少しだけ飲みました」
「どうして!」
「飲まなければ、あの方が殺されると思ったからです」
セシリアは苦しそうに目を伏せた。
「毒は致死量ではありませんでした。あの方がすり替えていたんです」
マリア。
最初から叔父の言う通りに動いていたわけではなかった。
「それから、これを渡されました」
セシリアが枕の下から、小さな鍵を取り出す。
「クラリス様が生きていたら渡してほしい、と」
鍵は、王都の貸金庫のものだった。
中には一冊の手帳が入っていた。
マリアの日記。
最初のページ。
『妹の顔になった。』
胸が苦しくなる。
『鏡を見ると、知らない女がいる。正確には、知っている。町で何度も見たことがある。父に連れられて馬車で通る、綺麗な服を着た女の子。あれが妹だった。』
次のページ。
『叔父様は言った。言う通りにすれば、母のお墓を守ってくれる。修道院にも寄付を続けると。』
さらに。
『クラリスを憎んでいるかと聞かれた。分からない。会ったこともない人を、どうやって憎めばいいのだろう。』
私はページをめくる。
途中から、文字が乱れていた。
『孤児院の人たちには申し訳ない。裏口から出られるようにしておいた。』
『寄付金は叔父様の商会に流れた。帳簿の写しを残した。』
『セシリア様を殺せと言われた。できなかった。』
最後のページ。
『たぶん、私はもう長くない。』
その文字だけ、妙に落ち着いていた。
『叔父様は、クラリスが死んだことになれば全部終わると言った。私がクラリスの死体になるのだろう。』
視界がぼやける。
『私は妹の人生を奪った。許してもらえるとは思っていない。』
違う。
そうじゃない。
声に出したかった。
『でも、一度だけ話してみたかった。』
次の行。
『紅茶に砂糖を入れない理由を聞きたかった。』
私は笑ってしまった。
涙が落ちた。
変なところを気にする人だ。
『もし生きていたら、私の名前を覚えていてほしい。』
最後。
『私はクラリス・レイヴェルではない。』
『マリアです。』
自分の葬式から七日後。
レイヴェル公爵家では、私の死を悼むための追悼会が開かれた。
叔父も来ていた。
当然だ。
次の公爵になるつもりなのだから。
「兄上もおつらいでしょう」
大広間で、叔父が父に言っている。
「クラリスは道を誤りました。しかし、もう亡くなったのです。どうかご自分を責めないで」
父はやつれていた。
一週間で十歳ほど年を取ったように見える。
弟もいる。
目が赤い。
私は扉の外で、その姿を見ていた。
「行くのか?」
後ろからエリオットが聞いた。
「ええ」
「怖くない?」
「すごく」
「なら正常だな」
「励ましている?」
「一応」
私は息を吸った。
大広間の扉を開ける。
最初に気づいたのは、誰だったのだろう。
分からない。
ただ、会話が一つずつ止まっていった。
最後には。
百人近い人間がいるのに、音が消えた。
「ごきげんよう」
私は言った。
「クラリス・レイヴェルです」
誰かが悲鳴を上げた。
父が立ち上がる。
弟が椅子を倒す。
叔父だけが動かなかった。
顔だけが真っ白になっている。
「……そんな」
「叔父様」
私は彼を見る。
「ずいぶん驚いていらっしゃいますね」
「クラリス……?」
「ええ。本物の」
父が私の名前を呼んだ。
今にもこちらへ来そうになる。
でも。
先に終わらせる。
「皆様」
私は大広間を見渡した。
「私が救済院のお金を盗んだと聞いた方?」
何人かが目を伏せる。
「孤児院を追い出したと聞いた方?」
また。
「セシリア様に毒を盛ったと聞いた方?」
ほぼ全員。
「では」
私は叔父を見る。
「そのクラリスは誰だったのでしょう」
エリオットが証拠を運び込む。
帳簿。
鏡銀の購入記録。
偽造された命令書。
セシリアの証言。
そして。
マリアの日記。
「嘘だ!」
叔父が初めて叫んだ。
「そんな女は知らん!」
「そうですか」
「全部偽造だ!」
「マリアという名前も?」
「知らんと言っている!」
その瞬間。
父が立ち上がった。
「アルベルト」
低い声だった。
「なぜ、お前がマリアの名前を知らない」
叔父の顔が固まった。
父が続ける。
「私は、お前にしか教えていない」
静かだった。
叔父は何も言わなかった。
言えなかった。
王宮の騎士たちが入ってくる。
あとは。
驚くほどあっけなかった。
叔父は捕らえられた。
関係した使用人と商人も次々に捕まった。
父は私を抱きしめた。
弟は泣きながら怒った。
「生きているなら早く帰ってこい」
無茶を言う。
私だって好きで死んでいたわけではない。
フェリクス殿下とも話した。
「すまなかった」
最初にそう言われた。
「あなたを信じ切れなかった」
責める気にはなれなかった。
二か月もの間、私の顔をした人間が悪事を重ねていたのだ。
見抜けと言うほうが酷だ。
「婚約は?」
殿下が聞いた。
私は少し考えた。
「しばらく保留にしてください」
彼は驚いたあと、笑った。
「分かった」
それでいい。
生き返ったその日に、人生の全部を元通りにする必要はない。
私は一度死んだのだから。
少しくらい自由に生きても、罰は当たらないだろう。
そして。
一つだけ。
元通りにしてはいけないものがあった。
マリアの葬式は、一か月後に行われた。
今度の棺には。
正しい名前が刻まれていた。
マリア・レイヴェル。
父がそうすることを望んだ。
正式に娘として記録も残した。
参列者は多くなかった。
父。
私。
弟。
修道院の人たち。
セシリア。
エリオット。
それだけ。
けれど、一度目よりずっといい葬式だったと思う。
司祭が祈りを捧げる。
誰も彼女を悪女とは呼ばなかった。
私も。
マリアがしたことを、全部なかったことにするつもりはない。
誰かを傷つけた。
恐怖を与えた。
脅されていたからといって、すべてが許されるわけではない。
それでも。
彼女は最後に抗った。
証拠を残した。
人を助けた。
そして私を生かした。
「ねえ、マリア」
棺に白い花を置く。
「紅茶に砂糖を入れない理由だけど」
後ろで弟が不思議そうな顔をした。
気にしない。
「単純に、甘いお菓子と一緒に飲むからよ」
答えを聞きたがっていたらしいから。
教えておく。
「あなたは二杯入れていたそうね」
少し笑う。
「たぶん一緒にお茶をしたら、そこでは喧嘩したでしょうね」
返事はない。
当然だ。
でも。
一度くらい。
本当に一緒に紅茶を飲んでみたかった。
棺の蓋が閉じられる。
一度目の葬式で。
王都の人々は言った。
悪女が死んだ、と。
けれど違う。
あの日、棺の中にいたのは。
悪女ではなかった。
私でもなかった。
ただ、自分の名前で生きることさえ許されなかった、一人の娘だった。
だから私は。
彼女の名前を忘れない。
マリア。
私の姉。
そしてこの日ようやく。
誰かに作られた「悪女」は。
本当の意味で、葬られた。




