【結婚の挨拶編①】
春の柔らかな風が吹く昼下がり。
翔太は美咲の実家の玄関先に立っていた。
今日は、美咲の父親・剛に結婚の挨拶をする日。
剛は大企業の重役。美咲からは「無表情で、何を考えてるかわからない人」とだけ聞かされている。
(結婚の挨拶って、こんなに緊張するものなのか…)
インターホンを押すと、低く響く「はい」の声。
ドアが開くと、スーツ姿ではないが身なりがしっかりとし背筋がピシッとした姿の剛が現れる。
目元にはシンプルだが細かい模様が施されたメガネ。
それを見た翔太は、なんとなく既視感を覚えながらも、挨拶に集中する。
「はじめまして!田中翔太と申します!本日はお時間をいただき、ありがとうございます!」
剛は小さく頷き、「入れ」と一言だけ。
(怖い…!無表情すぎる…!)
リビングで美咲が用意するお茶を待つ間、剛と翔太の二人きりに。
剛はほとんど喋らず、ただ静かに座っている。
翔太は緊張しながらも、剛のメガネをチラリ。
(このデザイン…どこかで見たような…)
アニメ好きの友人が熱く語っていた限定コラボメガネの話がふと頭をよぎるが、「まさかね」と思い直す。
「お手洗い、お借りしてもいいですか?」
「廊下突き当たりだ。」
剛の一言に、翔太は慌てて立ち上がる。
だが、緊張のせいで剛の言葉を「突き当たり」ではなく「手前」と勘違いしてしまう。
ガチャ。
そこは——
壁一面に貼られたアニメポスター、イベント限定グッズ、フィギュアケース、サイン入り台本、アクリルスタンドの山。
(……え?え?なにここ??)
推しキャラのタペストリーまで飾られ、部屋全体が完全なオタク空間。
(す、すごい量…誰の部屋…?)
動揺する翔太の背後に、気配。
振り返ると、剛が無表情のまま立っていた。
「そこは…トイレではない。」
表情は変わらないものの、どこか声に微かな動揺が滲む。
「す、すみません!!」
翔太は扉を慌てて閉め、今度こそ本物のトイレへ逃げ込んだ。
トイレから戻った翔太は、何事もなかったかのように席へ戻る。
だが、どうしても気になってしまい、美咲にそっと小声で尋ねる。