鋼鉄の乙女(4)
裸に包帯を巻いただけの格好である。せめて上に羽織れるものをと周囲を見回した。
「お前、アミさんと行くのかよ?」
外での会話が聞こえていたのだろか。騒々しく声をかけてきたのはロムだ。
「しーっ!」とラドムは唇の先に人差し指をあてる。
シュタイヤーといったか。
あの黒ずくめ男に知られはマズイ。きっとマズイ。
不快の念を抱かれるかもしれない。
しかし室内に、闇のようなその姿はなかった。
いつの間にか出て行ったらしい。
ほっとした彼に向かって、ロムが手招きする。
「なら、包帯換えてけよ。血で汚れてヒドイことになってんぞ。そもそも腹の傷は大丈夫なのかよ。ったく、タフなヤツだな」
「でも、早く行かないと……」
焦って首を振ったラドムを強引に座らせると、ロムは慣れた手つきで赤黒く汚れた包帯を外した。
「一緒に行くならアミさんのこと守れよな」
小さな声で呟いたロムの頬が赤いことに、ラドムは気付く。
「何? アミのこと、好きなの?」
「ちっ、違ぇよ! バカだろ、おまえ。バカ!」
バカバカ連発しながらロムは白々しくうろたえて見せた。
実に分かりやすい。
苦笑と意地悪を込めて「ふーん」と笑うラドム。
その表情に腹を立てたのだろう。ロムはラドムの腹をつついた。
「痛っ! ちょっ、僕は怪我人……」
「こんな生意気なケガ人がいるもんか! お前こそアミさんのこと好きになったんだろ。さっき顔を真っ赤にしてたの、気付いたんだからな」
「ち、違うよっ。馬鹿じゃないの! ちょっ、痛いってば」
「バカはお前だろっ」
少年たちは笑いながら床を転がる。
腹の怪我は痛む。
だが、それ以上にロムの明るさと笑顔がラドムの傷を癒したのだ。
心の底から沸きあがるような笑い声──それが自分の声だということにラドムは驚愕した。
ああ、ユダヤ人ということを理由に銃口を、刃物を向けられる日常から、自分は脱することができたのだろうか。
だから、初対面の人物とのくだらない会話で笑えてしまうのだろうか。
馬鹿みたいにじゃれ合って、なのにそれがこんなにも楽しいなんて。
「おい、ラドム? 痛かったか? ごめんって」
膝に一滴の水滴が零れたことで、ラドムは違和感に気付いた。
あたたかい水は、あとからあとから彼の足を濡らす。
ロムの心配そうな顔が迫る。
そっとのびる指先。
初めはロムの手が濡れているのだと思った。
優しく頬をなぞられて、ラドムはようやく気付く。
水は自分の目から零れているのだと。
「……そうだね。アミが好きだよ。アミが助けてくれないと、僕は死んでた。僕は父に、そして母にこの命を守られたんだ。もう守られたくはない。今度は僕がアミを守るよ」
己に言い聞かせるかのようにゆっくり語るその声には、少年の決意が表れていた。
「ありがとう、ロム」
唸るような声とともに、細かく頷いてみせるロム。
照れているのだろうか。
これを巻いておけよと、ぶっきらぼうを装って唐突に差し出される拳。
その手には包帯が握られていた。
見ると、ロムの目元も潤んでいる。
恥ずかしいことをぬけぬけと言ったことに今更ながら頬を赤らめて、ラドムは渡された包帯を指先でつまんだ。
「汚っ」
思わず叫んでしまった。
全体的に黄ばんでいるし、所々に黒ずみが浮いている。
これを傷口に巻くと言うのか?
「デ、デリカシーないな。汚いとか言うなよ。さっきまでちょっと感動してたのに」
しょうがないだろ。食べ物も薬も包帯も、何もかも不足してるんだからとぼやくロム。
「ご、ごめん……」
「それはおとついまでおれが巻いてたやつなんだ。ああ、ちゃんときれいに洗ったから大丈夫だよ」
「……そ、そうなんだ」
座ったままのラドムの腹を抑えるようにしながら、ロムは包帯を器用にクルクルと巻いてくれた。
痛み故か、微妙に顔を歪めた少年の腹を叩いてから力いっぱい包帯の先を縛る。
「気をつけろよ。傷口開けたりすんなよ」
グエッと哀れな悲鳴をあげてからラドムは己の腹を見下ろした。
弱々しい声で礼を言ったときだ。
「まだか、ラドム? ガリル・ザウァーは先に行ったぞ」
窓がガラリと開かれ、無遠慮にアミが顔を出した。
ランチを待つ子供のように両手を握り締めて「早くしろよ!」と窓枠を叩く。
「あっ、包帯キレイに巻いてもらったな。良かったな。でもちょっと汚いな、それ」
おれが巻いてやったんだとロムが顔をあげる。
そう、ロムに巻いてもらったんだとラドムも声を張り上げる。
先程までの会話の気恥ずかしさからか、二人とも妙に声が大きい。
かなり鈍感であると推察されるアミは、もちろん二人の様子がおかしいと気付く素振りもなかった。
「じゃあな、気をつけろよな」
ラドムが何か言うより先に、必要以上に照れた様子でロムが彼の背を押して「エイッ!」と扉から放り出した。
「何すっ……! ぎゃっ!」
地面に転がった怪我人。その襟首をつかんで駆け出したのはアミだ。
滅茶苦茶な扱いに、少年はひたすら耐えるのみ。
凄まじい速度について足を動かすのがやっとだ。
彼女がようやくペースを緩めたのは、民家の側に立ってこちらを見ている痩せた姿を発見した時だった。
「武器庫にいるならそう言え、ガリル・ザウァー。置いてかれたと思ったぞ」
息を切らせるラドムを見やり「怪我人が可哀相だ」と完全に他人事の調子でアミは呟いた。