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鋼鉄乙女のモン・サン=ミシェル戦闘記  作者: コダーマ


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死闘(5)

 祈りなさい。祈れば涙は止まりますよ。


 ほんの数日前だ。

 ガリル・ザウァーがラドムに言っていたその言葉を思い出して、アミは空しく首を振った。

 涙なんて、元々流れちゃいない。

 わたしは乾き切っている。


 ここは天に最も近い場所。


 記憶が始まって以来、ずっとこの島に居たのに修道院ここに入ったのは今日が初めてだった。

 修道院とはひとたび戦乱が起きれば、民衆が立てこもる最後の砦ともなる。

 現にモン・サン=ミシェル修道院は、百年戦争以来、数々の戦闘を潜り抜けてきた。

 時に要塞として。

 時に牢獄として。

 時には、住居としても。


 空軍が発達し兵器の精度が上がった近代戦でその考えは幻想にすぎないが、それでもここの人々は島を離れたがらない。

 光降り注ぐこの場所に立つと、ガリル・ザウァーが神の名を口にする気持ちも分からなくもない。


 モン・サン=ミシェル島の北斜面に築かれた壮大なゴシック建築の修道院は、十三世紀に増築されたものである。

 三層からなるその建物は『ラ・メルヴェイユ(脅威の建築)』と呼ばれる優美で壮麗なもので、建物の重なりは中世の階級組織を象徴するものという。


 一階は貯蔵室と巡礼者の宿泊所。

 二階は聖書を書写する部屋として使われていた『騎士の部屋』と貴賓室。

 そして最上階は修道士たちの大食堂と中庭、回廊という構造になっているのだ。


 中庭を囲む回廊は約二二〇本もの石柱が互い違いに並んでいて、尖塔アーチのレリーフが天よりの光を受けて絵画のように鮮やかな影を描き出していた。


 しかし、その光を受けて立ち竦む少女の表情には、暗い影が落ちていた。


「ガリル・ザウァー……」


 心細そうな呟きは神を求める巡礼者の声というより、母を呼ぶ幼子のそれに似ている。


 数時間前になろうか。

 モン・サン=ミシェル島に着くなり、彼女はガリル・ザウァーを探した。


 未だ凄惨な火薬臭漂う武器庫の跡地や、そのすぐ近くに位置する今や無人となったロム母子の家──しかしそこに目指す人物の姿はない。

 傍らの黒い影は時折何か言いたそうにするものの、結局無言を通す。


 彼女は島内を走り回った。

 信仰心を持ち合わせないアミが最後にここに行き着いたのは、ガリル・ザウァーが敬虔なクリスチャンであったことを思い出したからだ。

 もしかしたら、またここで祈っているのかも……。

 むしろこちらが祈る思いでやって来たが、やはりそこにも養い親の姿はなかった。


 うなだれる彼女に掛ける言葉もないのだろう。

 シュタイヤーも相変わらずの無言で周囲に気を配っているようだった。

 この回廊から島の様子をうかがうのは難しい。

 だが、角度によっては細いステンドグラス窓の隙間から、向こうの部屋の窓を通して地上を垣間見ることも出来る。


 沖に、まるで誘うようにドイツ船が停まっているのを、今アミに言ったところで仕方がないと彼は判断したのだろう。


 祈るしかないような時間を二人は空しく過ごした。


「ここにいても仕方ない」


 思い詰めたように呟いたかと思うと、シュタイヤーの賛同も得ぬままに少女は身を翻す。


「アーミー、何処へ行く」


 もう一度島内を見て回る──そう答えれば良いのに、背中に投げられた声を彼女は敢えて無視した。

 一歩足を踏み出したそのときだ。

 少女の身体は硬直する。

 奇跡が起こったと、このときアミは感じた。


 修道士のような格好をした貧弱な体躯の男がこちらに駆けて来る。

 森の小動物を思わせる、せかせかした動きには見覚えがあった。

 絶望に歪んでいた少女の顔が緩み、灰色の瞳に涙が溢れ出す。


「ガリル・ザウァー!」


 それは紛れもなく大好きな養い親の姿。

 その名を叫んで彼に抱きついた。


「アーミーさんじゃないですか。こんな所に……」


 その声が上ずったのを、アミは驚きのためと受け取った。


「ガリル・ザウァー、無事でよかった。ずっと探してたんだ。シュタイヤーがヘンなこと言うから、わたし混乱して。ガリル・ザウァーに会って確かめたくて……」


 頼りなげな細い手に頭を撫でられ、彼女は安堵の吐息をついた。


「……貴女は本当に馬鹿な子ですね」


 呆れた調子のその声に、確かに愛情を感じてアミは「ヘヘ……」と笑みをこぼす。


「こんな小さい義手を付けて。おや、髪を切ってしまったのですか」


 両腕をつかまれた感触に、ようやく覚えた違和感。


「ガリル・ザウァー? その手……?」


 彼女の左手は生身のものだ。

 温度を感じることができる。

 しかし、つかまれたその手にいつもの温もりは一切ない。


 咄嗟に養い親の右手をつかみ、長い袖を捲り上げる。

 そして少女は絶句した。


「この手は……」


 外観は生身の腕と変わらない。

 しなやかな関節と、血管の透ける肌。

 しかし握った際の硬質な感触は特異なもので、アミにとってそれはごく身近な質感に違いなかった。


 ガリル・ザウァーの右腕は義手だったのだ。


 彼女の震える手から、ガリル・ザウァーの硬い腕が滑り落ちる。

 荒い呼吸を整える間もなく、アミは背後の黒衣を睨みすえた。


「ガ……ガリル・ザウァーに何をした?」


 ドイツ兵のナイフを喰らってガリル・ザウァーが右手を負傷したのは知っている。

 しかしあの程度の傷で切断なんて……?

 刃先に毒でも塗ってあったのか?

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