ドイツ国防軍第二七七歩兵部隊(3)
爆走するジープの座席がガタガタ震える。
常人であれば耐え難い振動だろうが、それは船の揺れに似ていて、ブレーザーは久方ぶりに強張っていた全身の力を抜いた。
無事に報告を完了したという安堵感であろう。急速な睡魔に抵抗出来ない。
その揺れが急ブレーキの音と共に突然止まった時も、ブレーザーは夢うつつの穏やかな表情を崩さなかった。
まだ出発して五分と経っていない。一体何なのだろうか──。
「シートが汚れるのヤだから、降りて」
H.アッド・オンにそう言われ、彼は初めて違和感を覚えたのだった。
「え、何……?」
「ホラ、早くぅ」
無理矢理押され、地面に転がり落ちるようにして彼は車を降りる。
続いてヒラリと飛び降りた脱色頭の男は、赤く充血した双眸を厭らしげに細めてブレーザーを見下ろした。
「これからオマエの処刑を行います」
抜き放たれた軍刀に宿る鮮やかな光に、狂気の笑みがきらめく。
腰を抜かしてその場を動けないブレーザーはこの時、突然思い出した。
Hの異名が《狂気の刃》であることに。
目の前の男は、まさに狂気の……。
「ヒッ……」
兵士として幾つかの修羅場を潜ってきたはずのブレーザーが、心底怯えた情けない声をあげた。
殺し合いの恐怖──そのとんでもない感情を「軍隊」はかき消してくれる。
任務だとか指揮系統だとか──目の前の制にで雁字搦めにして、兵士に一律の機械的な動きを、そして感情の麻痺を与えるのだ。
しかしそこから離れ、ちっぽけな個人となった時、目の前に居るのが血に飢えた狂人だとしたら?
相手のそんな反応を楽しむように、Hは軍刀を下げて真っ赤な舌をチラリと出した。
「ボクの上官はクソみたいにマジメなヤツでね。こーんなコト言ったんだよぉ」
そこで咳払いしては低い声を作り、不自然なまでの明るさで上官の口調を真似てみせる。
「人ひとりを殺すときは考えろ。その一人が何十年後、国難に直面した我が国を救うかもしれない。その者の子孫が何百年後に世界を救えるシステムを開発するかもしれないだろうって。隊長はそんなコト言うんだ。かなりおめでたいヒトだよね」
夕焼けの光を刃物に映し、光をチラチラと被害者の顔に当てながらHは尚も愚痴る。
「ボクがコイツの首はねたって知ったら、クソマジメに本国に報告しかねないよ。言い逃れはできるだろうけど、めんどくさいのはゴメンだよね」
「な、何で……?」
ブレーザーとて馬鹿ではない。
殺されようとしている今の状況に、納得いく説明は見当たらない。
自分がいかに貴重な存在であるか、彼は分かっているつもりだった。
《鋼鉄の暗殺者》を目撃したドイツ人は現時点では自分以外に誰一人としていない。
何故なら、他の者は全て殺されてしまったからだ。
しかし目の前の狂人は真っ赤な舌をペロリと出しただけで、ブレーザーの訴えを完全に無視することに決めたようだ。
「せめて、罪状を発表してあげるよ。ハイ、アンタの上官の名は?」
「……コ、K.アッド・オ…………」
恐怖のあまり、声は途中で掻き消えた。
「ハイ、よくできました」
楽しそうに犠牲者を見下ろしていたHが、突然真顔に変ずる。
「ボクの名はH.アッド・オン。見て分かるだろ。Kの双子の兄だよッ!」
耳障りなその声は、地獄のように低く響いた。
知っている。だからここに来たのだから。
コクコクと頷くだけの男の首に、軍刀の切っ先を突きつけてHは宣言した。
「アンタの罪はボクの弟を見殺しにしたコトだ。ホラ、死ねッ!」
言葉の残響が消えぬうち、細い手首が翻った。
刃が眼球に迫る。
しかし脳が危機を認識する間もなく、ブレーザーは息絶えたのだった。
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