ドイツ国防軍第二七七歩兵部隊(2)
元より気の短いこの男のこと。
それ以上の交渉よりも、キレて突っ走ることを選ぶのは時間の問題であった。
「まぁ、落ち着け」と宥めたところで、彼の気が収まるわけがないとも分かっている。
「今朝早く、また一隻沈められたぞ。これで十四隻目だ」
「グッ……」
感情の暴発か、Hの喉が異様な音をたてた。
大西洋、北海、バルト海でドイツ軍が行っている作戦──海軍の偽装船による商船襲撃・略奪。
それが上手くいっていたのは、始めてから僅か三ヶ月程の期間であった。
フランス全土でレジスタンスが活動しているということは知っている。
おそらくその一派なのだろう。
活動中の偽装船ばかりを狙い、ドイツ人乗組員ことごとくを、まさに完膚なきまでに叩き潰す勢力がいるのだ。
ザクソニアも現場検分に訪れたことがある。
──はたしてこれは人間の仕業か?
現場の第一印象はそれだった。
どんな武器を使ったのか、死体はひどい状態だった。
左胸に穴を開けられ心臓を潰されたり、首の骨を折られたり、中には首を千切られた死体まであったのだ。
レジスタンス集団の仕業かもしれなかったが、状況を検分すると一人──少なくともごく少数での犯行と断定せざるをえない。
端的に言えば、ドイツ西方海軍は手こずっていたのだ。
何者ともいえない不気味なその犯人に《鋼鉄の暗殺者》と呼称を付けたのは誰だったろうか。
船乗りたちは怯えた。
だからと言って今、自分たちが《鋼鉄の暗殺者》にこだわりすぎるわけにもいかないだろう。
「フランキ、俺たちの本来の任務は……」
「わーかってるよッ!」
まだ若い部下は吠えた。
「本来の任務は、この辺に潜伏してる元ドイツ兵を始末……いや、調査しろってやつだろ」
偉丈夫の軍人は頷いた。
英仏問わず、あちこちに情報を売りまくっているらしいその男を捕らえることが今の任務。
正規軍として数えられていない自分たちの仕事である。
しかし道は厳しかった。
情報源のひとつであった武器職人の死体が、先ほど発見されたのだ。
心臓を潰されている。その手口に何とも言えぬキナ臭さを感じたのは、自分の考えすぎではあるまいとザクソニアは判断していた。
「《鋼鉄の暗殺者》か……」
呟いて彼は傍らの愛銃《MG42》を引き寄せた。
一メートルを超す長さの銃身には、臨戦態勢を示すように弾丸が装着されている。
短銃にはない確かな重みを感じると、DNAの奥から安心感を覚えるのだ。
「弟はナイフが得意だったけど、ボクは軍刀のがスキだな」
銃を抱えて黙り込んでしまった上官を見やって、Hは真っ赤な舌をペロリと出す。
「補給だって、本国からはほとんどナイし。こんな田舎の隅っこにいる小っちゃい部隊にまで金かけらんないってか? 一旦解散させられたのだって、軍が金ケチったせいでしょ? そのくせ色々細イ仕事押付けてくるし。その弾丸だって、アンタ自分で買ってんですよね? もったいない。軍刀なら消耗品なくてイイですよ?」
ペラペラ喋りまくる部下をちらりと見て、ザクソニアは呟いた。
「この貧乏性が」
互いに共感し合えないという事実はあっても、彼らの間に毒はない。
「……今日は久々に夢を見たな」
「は?」
何を突然? という部下のぼやきを無視して、ザクソニアは遥かモン・サン=ミシェルに背を向けた。
「軍人としての初めての任務で女性を手にかけたときのことをな。時々、思い出したように夢に見るんだ」
「ちょっ、まさかの感傷? ボクの話聞いてます? 《鋼鉄の暗殺者》の……」
「まぁ、待て。ちょっと考えてみろ」
《鋼鉄の暗殺者》が個人にしろ、一定の集団にしろ、モン・サン=ミシェル島を拠点に活動しているのは読めていた。
だが、証拠はない。
いや、戦時下の特殊任務に明確な証拠など必要なかろうが、《鋼鉄の暗殺者》の正体が知れない以上、手の打ちようがないのは確かである。
両腕が殺人兵器に改造されているとか、人間の心臓を喰らう化け物だとか……ドイツ兵の間で囁かれている噂はすでに怪談話に近い。
先だって、かの島が砲撃を受けた際にも様子見に行ったのだが《鋼鉄の暗殺者》に関しての手がかりらしきものは一向に発見できなかった。
──ただ、その帰り……。
《帝国の狼》──かつて呼ばれていた勇ましい異名を、ザクソニアは思い出していた。
殺す勢いで自分を睨んできた中年男。
あの顔には見覚えがあった。あれは──。
「《鋼鉄の暗殺者》のコトなら、ちゃんとつかんでるって!」
耳障りな声がザクソニアの思考を破った。
そのざらついた声、というより内容に彼の青の目が僅かに細まる。
「本当か。ならば何故先に言わない? 無駄話ばかりしおって!」
「ってアンタ、人の話何も聞いてなかったくせに! と、とにかく来てくださいよ」
濁った双眸が基地の扉に向けられる。
その隙間からおずおずと出て来たのは一人のドイツ兵だった。
軍服から西方海軍・海軍部隊所属の兵士と知れる。
「コイツ、さっき来たんですよ。ね、ブレーザーっていったっけ?」
小さく頷いた男は、しかしおよそ軍人とは思えぬ虚ろな表情をしていた。
眼球は小刻みに震え、歯がカタカタ鳴る音がこちらにまで聞こえてくる。
くたびれ、汚れ、破れた軍服は見る影もなく、髪にも乾いた血の塊がこびり付いていた。
上官の訝しむ視線を、Hはさらりと流したようだ。
「ホラ、さっきの話。してやってよ」
「は、はい。閣下」
閣下はよせ、というザクソニアの言葉など届いていないのだろう。
今まで震えていたブレーザーは、濁流のように喋り出した。
「い、五日前のことになります。北海周辺で我々は任務に就いておりました。他国籍の密輸船を襲撃したのです。乗組員をほぼ全員殺したところで、あ、あいつ……、ああ……あいつがぁぁぁ………!」
「お、おい?」
戸惑うザクソニアの前で、Hに尻を蹴られ、男は正気を取り戻した。
「……ふ、船に女が……いや、女の子が。どこから来たのか……たった一人であっと言う間に味方を殺して……いや、虐殺して……」
「女の子だと?」
まさか《鋼鉄の暗殺者》が女の子だというのか?
しかも集団ではなく一人だと?
馬鹿な、という思いが強かった。
気の毒だが、彼は少々混乱してしまっているらしい。
強襲された船の唯一の生き残りなのであれば、それも無理からぬこと。
ゆっくり休んで、それから徐々に事実を思い出してもらえれば本国での捜査も随分進むだろう。
しかし彼の考えをよそに、部下は軍用ジープを出してきていた。
「オレは調査に行きますからね」
「おい、あてはあるのか? モン・サン=ミシェルに爆撃があった以上、《鋼鉄の暗殺者》はそこには帰らないぞ」
不確かな情報を得て、勢いこんで出て行こうとする部下を窘めるつもりは彼にはなかった。
止めても無駄だろう。
元々、直情的な男だ。どうせすぐに諦めて帰ってくる。
これが正規軍であればそんな勝手は許されないが、今は基地にいてもやることもない雑用隊だ。
ならば自由に……。
「お、おい、H!」
ザクソニアが慌てたのは部下が、未だ震えるブレーザーの襟首をつかんで助手席に乗せたからだった。
「彼には休息が必要だ。食事も。唯一の生き証人を勝手に……」
「車ん中でメシ与えるって」
ジープの爆音にザクソニアの怒声はかき消される。
上官に凄まじい砂煙を引っ掛けて、ジープは急発進し、瞬く間にその姿は消えてしまった。
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