犠牲者たち(6)
この時期のフランスは夕方が長い。
冷たい風に晒されながら長く伸びる影は色濃く、額縁を付ければこの田園地帯は一枚の絵画のように鮮やかに浮かびあがるだろう。
ラドムは無言で歩を進める。
ガリル・ザウァーの命令一つで、顔色すら変えず人の心臓を叩き潰す。
そんなの、化け物と同じだ──もし口を開けばその台詞が飛び出してしまいそうだったから。
彼にとって、死は身近なものだった。
故郷では祖父がドイツ兵に殺された。
朝、玄関扉を開けると、道端に友だちの両親が転がっていたこともある。
逃げ出すために乗った船の中では父と母が殺された。
そうだ、あの船を思い出せ。
あの地獄の中で、今しも殺されそうだったラドムを助けたのはアミだ。
彼女は躊躇なくドイツ兵を殺してくれた。
そのおかげで、自分は生き延びることができたのだ。
自分のために手を汚してくれた少女に、今この瞬間までラドムは言い得ぬ恩を感じていた。
だが、違ったのだ。
少年は根本的な誤りに気付いた。
彼女はあのとき、暴力に晒された憐れなユダヤ人少年を助けるためにドイツ兵を殺してしまったのではない。
ドイツ兵を殺戮した結果、たまたまラドムが助かったのだ。
今しがた目の前で繰り広げられた殺人。
老人相手に、眉ひとつ動かさずにこの女は無慈悲な殺戮を敢行したではないか。
──何故、誰も彼もが人を殺すんだよ?
──何故、人を殺して平気でいられる?
長い夕暮れも次第に暮れようとしているのが分かる。
周囲が急速に闇に落ち行く中、四人の足取りは往時よりも早くなっていた。
「ラドム? 何か怒ってるか? お腹へったか? 無理もない。だって……」
「違うよ!」
きつく言ったからか、アミはむくれた。
「わたしはお腹すいてる。よく動いたし、今日はおやつも食べてない」
「よく動いた、か……」
「ラドム?」
沈黙が苦手であるらしい彼女は、元よりそうやって少年に非難の眼を向けられる意味が分からないという様子であった。
退屈を示すように、何度もラドムの小さな背を突ついてくる。
義手を覆う右袖にベットリと付いた血液は強い風が吹くおかげで、とうに黒茶色に乾いていた。
そんな汚れなど一向に気にならないように、むしろあどけない表情で少女は続ける。
「ユージン・ストナーのことでビックリしたか? わたしだってビックリだ。これから義手の交換は誰に頼めばいい?」
「……そんなこと言うものじゃありません、アーミーさん」
ぽつりと呟いたのはガリル・ザウァーだ。
修行僧のような衣服に身を包んだ男は、まるで神に懺悔するかのような沈痛な面持ちで、良識の欠如した養い児を窘めた。
「そもそも私が人に恨みを買うようなことばかりしているから……」
「そんなことを言うな! ガリル・ザウァーは悪くない」
「いえ、武器商人なんてしているとあちこちから恨みを買うものですよ」
「そんな……」
不毛に思えるそのやりとりを止めたのはラドムではなく、低い声の叱責だった。
「外でそういう会話はよせ」
今しも主戦場になりかねない土地だが、そこに住む者は多い。
道を歩けば人とすれ違うし、近くに街だって多くある。
今もそうだ。
モン・サン=ミシェル島と内陸を結ぶ道。
その向こうから十数人の男たちが、静かな足取りでこちらに近付いて来ていた。
初めは巡礼者かと思った。彼等が擦り切れた、粗末な僧衣で全身を覆っていたからだ。
このところ巡礼者や観光客が減ったとは言え、モン・サン=ミシェルは何と言っても『聖ミカエルの山』なのだ。
熱心な教徒であれば、こんな時代だからこそ祈りを求める。
何となく後ろめたさを感じて、ラドムは顔を俯けて足を速めた。
巡礼者にしてはおかしいと感じたのは擦れ違い様のこと。
微かな血の臭い。そして噎せるように烟る火薬臭。
ラドムが振り返るより先に、アミとシュタイヤーが反応していた。
集団から武器商人を庇うように、ガリル・ザウァーの前に身を割って入れる。
彼らが少しでも怪しい動きをすれば、すぐに反応できるという体勢だ。
その時である。足を竦ませるほどの突風が大地を襲った。
布が捲り上げられ巡礼者達の屈強な体躯が晒される。
その中の一人──集団の中で、まるで守られるように周りを囲まれた男の僧衣も風に舞った。
深く被っていたフードも捲られ、禁欲的な堅い印象の容貌が露になる。
「………………」
軽く会釈して通り過ぎようとした男の足を止めたのは、武器商人の叫びだった。
突然だ。
細い喉から振り絞った信じられないほどの声量で、彼は叫んだのだった。
「貴様……《帝国の狼》!」
そして子飼いの殺人兵器に命令を下す。
「アーミー、あの男……あの男を殺せぇぇっ!」
条件反射の動きで銀の少女が臨戦態勢を取る。
シュタイヤーもライフルの包みを解いてガリル・ザウァーの前に立ちはだかった。
殺せと指された標的の男は、肩から提げていたホルダーからMG42ドイツ製機関銃を取り出す。
それらの動きは全て同時に行われた。
その中で最も次の行動が早かったのは《帝国の狼》と呼び捨てられた男だった。
弾くように銃の安全装置を外すと、その銃口はガリル・ザウァーを真っ直ぐに捕らえる。
「な、何やって…………」
突如、眼前で広がった緊迫した光景に身を強張らせたのはラドムだけであった。
カタカタ鳴る奥歯。極限まで見開かれた紫の眼には最早、目の前の世界は見えていない。
銃口の向こうには故郷の地獄がちらついていた。
ドイツ兵が闊歩する中、彫像にでもなったかのようにじっと物陰に息を詰めていたあのころの記憶が、まるで鋼鉄で横っ面を叩かれたような衝撃となって蘇る。
往来で断続的な銃声が聞こえる。
それはMG42の忙しない轟音だ。
次の瞬間、道行くユダヤ人の何人かが倒れ、死ぬ。
雪の白に、幾筋か流れる赤。
「──タタタッ!」
少年の悪夢を破るように、鈍い炸裂音が響いた。




