第十話 エスケープ
「ゆらさん……だっけ? その人を治すための道をつくるねー」
ルビーがそう言うと、朋子は「は、はい!」と返事をした。
そういえば朋子は治癒魔術の使い手だった。ゆらの酷い怪我を治せるかも……。今はそれを信じる他ない。
「あ、いろはと瑪羽さんはあたしの後ろにいてね」
ルビーがテキパキと指示を出す。私はさっとルビーの背後に回る。ルビーを盾にするようで申し訳ないけれど、私も瑪羽も魔術が使えない。何らかでサポートできるまではルビーの邪魔にならないようにしておくのが吉だろう。
瑪羽もそう考えたのかは分からないけれど、
「何なのよ、あんたのその服……」などとぼやきながら、案外素直にルビーの言うことを聞いた。
服……。そう聞いてルビーの方を見ると、彼女はフリルのついたミニスカートの端っこをつまみ、
「言ってなかったっけ? あたしー、変身する系の魔法少女なんだー」
そう言って、にゃははと笑った。
「黙っていれば、勝手なことばかり……」
しびれを切らしたパールが話に割り込んでくる。パールは己の白髪をむしりながら、でも瞳はしっかりとルビーを捉えていた。
更にパールが口を開く。
「アナタ方はもう、ここで死ぬしか、」
「悪いけど」
ルビーの声だった。
いつの間にか走り出していたらしいルビーは、パールの目の前にいた。喋っていたパールも驚き固まる。
「今さ、話聞いてる時間ないんだよねー」
ルビーはそう言って、パールを足払いした。軽く悲鳴を上げて倒れるパールから距離を取るルビー。
そして地べたに這うパールの手を踏みつけ、先ほどから操っていたリモコンを取り上げた。
ルビーはパールの手をぐりぐりと踏んだまま、リモコンを様々な角度から見ている。
「ぐっ、この……」
パールがルビーの足をどうにかしようともがいている。
――今だ。
「朋子。今ならゆらの怪我を治せるかもしれない」
「う、うん……」
朋子は頷いているが動かない。
この異様な地下室の雰囲気が恐ろしくて踏み出せないようだった。でも、ゆらは未だに血を流して倒れている。
「ゆらちゃ、死んじゃう……でも……っ」
朋子が震えた声で言う。
「盾になるから」と私は言った。
「え?」と朋子は訊き返す。
「私も一緒に行く。何かあっても私が盾になるから。お願い、朋子にしかゆらは治せない」
その言葉を聞いて、朋子は少し逡巡したあと、
「……分かった。あり、がとう……」
と言った。
「このクソガキがぁああ! リモコンを返せ!」
「だからさー、聞いてるじゃん。これ、なんなのー?」
ルビーはリモコンを片手に持ち、ふるふると振りながらパールに問う。
「お前には関係ない!」とパールは言うが、
「関係大アリだよね〜。これ使ってなんかしよーとしてたんだしさー」
ルビーはずっと煽るような態度でパールと話している。
それはきっと、パールを怒らせて、彼女の意識をルビーに集中させるためだった。
「ルビー、終わったよ」
私はルビーに声をかけた。
「お、まじー? おつかれー」
ルビーはそう言うと、私と朋子と――まだ眠っているゆらの方を見た。ゆらの呼吸は規則正しく、怪我もすっかり治っている。朋子の魔術のおかげだ。
そう、ルビーが目を離した一瞬だった。
「にく……よ……」
「?」
ルビーがパールへ視線を戻すのと同時に、
「おい、肉ども! 食べてよし!」
パールは叫んだ。
その瞬間、少し離れたところにあった檻――その中の肉たちが暴れ始めた。鉄格子が歪み、肉塊が這い出てこようとする。
「何したの?」とルビーはパールに聞いた。
パールはにたにたと笑う。
「錠前は外れた。肉塊は出てきます。アレに触れたら、お前たちも同じ姿になりますわよ?」
それを聞いたルビーはフゥン? と僅かに考え、
「じゃあ逃げよーかな」と言った。
「そうそう、お前らのような手合は惨めに退散するのがお似合いですのよ!」
パールは捨て台詞を吐きながら、よろよろと立ち上がる。ルビーに踏まれていた彼女の右手が真っ赤になっていた。
「いろはー、それにみんな、逃げよー」
「う、うん」
ルビーの声がけに私は返事をして、まだ目を覚まさないゆらの体を抱えようとした。意識のない人間の体はずっしりと重たい。
「いろはちゃん、私も……っ」
朋子が慌てて、私とは反対側に回ってゆらの肩を抱えてくれた。これでゆらを運べる。
「ぷ ぷぷぷぷ キャキャキャキャ」
不快な声がする。これは、私が東天知の怪談と呼んでいた声だ。その声は肉塊からだった。
肉塊はとっくに鉄格子を破壊し、私達に迫ってきていた。
「ひ……っ」
しまった、瑪羽が腰を抜かしている。
「瑪羽、逃げ――」
私が声をかけるが、間に合わな――。
「こっち見て〜」
突然、肉塊を長い鉄棒が貫いた。これは……壊れた鉄格子の破片?
貫かれた肉塊は物凄い轟音を響かせながら、ルビーのほうに全身し始めた。しかしルビーは軽やかなステップで壁を背にしてジャンプし、そのまま天井に張り付く。肉塊はずっと壁にぶつかったまま、ルビーを追おうとしている。
「今だよー! 行って!」
「!」
私は頷いた。これはルビーが作ってくれた好機だ。彼女を置き去りにするのは気が引けるが、この機会を無駄にするほうが申し訳ない。
「行こう。朋子、瑪羽」
「うん!」
朋子と力を合わせてゆらを抱えて逃走する。瑪羽も遅れて走ったのを見届けたあと、ルビーも撤退した。
そして私が離れた瞬間、地下室へ続く階段は消え去った。