第18話 現状の現象
ライトの体を乗っ取って本能のままに暴れた天魔ヴィゾフニル。
その巨体は今や入り口の首輪をはめ、全身がぐずぐずに溶け出していた。やがてライトの体が見えてくるだろう。
5分以内に天魔ヴィゾフニルを鎮圧する。
困難なタスクであったが、2人はそれを成し遂げたのだ。
「おつかれアヤメ」
「おつかれ……美智子」
「だから……はあ。もういいよ、それで」
2人は崩れ落ちる。
皇后崎は特質の過剰使用、アヤメは緊張の糸が緩んだためだ。2人とも疲労困憊の様子。
騒ぎを聞きつけた警備が来るだろうが、とりあえずライトは拘束されるだけで済むだろう。
その後の処遇はわからないが、彼らはできるだけの助命嘆願をするつもりだ。
対象は沈黙し新たな敵の増援もない。事態は収束したように見えた。
座って息を整えるアヤメは、未だに怪人の巨体に尻尾やら腕を抑えつけている皇后崎の訝しげな表情に気付く。どうやら巨体に違和感を抱いているようだ。
「どうしたの」
「……膨らんでいる気がする」
アヤメが巨体を見る。
彼の言葉通りに、倒れ伏す天魔の体は徐々に膨らんでいるように思え、特に膨張が顕著なのは胸部のあばら回り……そこまで観察できて得られた予想、それは最悪なものだった。
2人が同時に悟る。
――まだ終わっていない
淡い朱色の光の粒子が巨体から溢れ出した時、2人は立ち上がることもできていなかった。
倒れた巨体、その全身が光を放射した。
本来怪人の首元の毛に隠れている発光器官はぐずぐずになり崩れている。指向性を失った光線は威力を弱めながらも、周囲の全てを焼き払う熱の爆発だ。
皇后崎の尻尾が一瞬にして焼き切れる。
事態を察知した皇后崎がアヤメに駆け寄るも、彼女は腰が抜けている様子だった。
入り口は塞がれている。
逃げられない。それを悟った皇后崎が取った行動は、迅速に行われた。
できるだけ怪人から距離をとった上で彼の竜の腕が2人を守る。
熱線は外骨格も竜の鱗も問答無用で焦がしていく。ガスバーナーで炙られる肉のように、竜のタンパク質が崩壊してもそれは続いた。
絶叫するも踏ん張る皇后崎。彼は一欠片の熱をもアヤメに通さない。
「あ“あ“あ“あ“あ“あ“あ“あ“!!」
空気さえ肺を焦がすこの空間で叫ぶことの愚かさを知りながら、叫ばなければ弱気を吹き飛ばせない絶望的な状況下、アヤメにはどうすることもできない。薬剤も特質もこの状況を打開できるものではないからだ。
いつ終わるのかわからない地獄に2人はいる。
装甲が剥がされると、アヤメにも熱が届き始めた。
皮膚が爛れそうだ。
2人が気を失う刹那。
一条の光が地面へと突き立った、そこは怪人と2人の間である。
2人を蝕んでいた熱、その感覚が消滅する。
「何」
顔を上げたアヤメの目に飛び込んできたのは翠緑の剣身――それが虹色の星々のきらめきを放ち怪人の熱放射を防いでいる光景であった。
剣がさらなる光を放ち空間をゆらめかせる。その波動が怪人の巨体へ届くと、ぐずぐずだった胴体が勢いよく弾け飛んだ。
2人を散々いたぶった怪人は、正真正銘今度こそ消え去ったのだ。
背中にひどい火傷を負って皇后崎は倒れ伏す。あれだけの灼熱を耐えきったのだから無理もない。
「ありがとう」
アヤメが立ち上がり駆け出す。
水飛沫のように点々と落ちている天魔の残骸を避けて、彼女が向かったのは怪人の肉体の檻から解放されたライトの元だった。
彼女が抱き上げると、少年はかすかに目を開く。
「ライト! ……あなたが剣を飛ばしたの?」
「へへ……すげーだろ……助けようって思ったら……勝手に動いたんだ」
少年はどこへと焦点を合わせる訳でもなく、ただうわ言のように呟いた。
「夢の中で……2人の声が聞こえたんだ……起きなきゃって、オレは……」
「ライト……?」
言葉を出すことに元気を吸い取られているかのように、ライトはカクンと頭を落とす。
心配に思ったアヤメの触診の結果、どうやら気を失っているだけだとわかった。
彼女はほっと息をつく。先程とは違い、今度は本当に終わりだろう。
裸のライトに白衣を被せて皇后崎の手当をしようと振り返ったアヤメの眼前に、にやけた顔が現れた。
ひっくり返るアヤメ。
「きゃあっ!」
「あらあら、うふふ。
そんなにびっくりしないでちょうだいアヤメちゃん?
私は幽霊でも化け物でも人間でも天魔でもないただの無害な魔人なのだから。
仲良くしましょう?」
「――菅原さん!」
その女は黒だった。
黒より暗い黑髮に光を飲み込む黒スーツと黒革カバン。妖艶なアルカイックスマイルを顔に貼り付けて女性は現れた。
アヤメは彼女を知っているようで、その名前を呼んだ。
菅原灯子。魔人寮の寮長を務める田中阿多坊に並ぶ最古参の魔人。
人口魔人化実験――その最初期ロットの1人である。
「どうしてここに……」
「今日は騒がしい日よね。虫がたくさん湧いて鳴り止まない」
「はい……?」
要領を得ない女性の言葉に少女は首を傾げる。
「1人、泣き喚いてたのよ。ここに化け物が出たってね」
どうやら運動実験場にいた研究者チームは無事逃げ果せて予想通り応援を呼んでいたようだ。
女性が遅れてきたことにアヤメは安心と恐怖を覚えた。ライトを救えたのは間一髪の出来事だったと実感したからだ。
菅原灯子が手を動かせば、事態はライトの死を以って収束したのだろうから。
アヤメは白衣のみをかけたライトを抱き寄せた。
「対象はすでに沈黙しました! 彼は被害者です!」
「あらそう? なら病院へ運ばなくてはね……彼は友達?」
「いいえ! ただの研究対象です✞
彼は私の完全な管理下にあり何も異常はありませんでした✞」
アヤメは女性に嘘をつく。
そう、と女性が変わらぬ笑みのまま話を続けた。
「あなたはいつ見ても健気でかわいいわ。あなたのように正直な子供は好きよ」
「ありがとうございます」
「アヤメちゃんみたいに賢い人とのお仕事はすごくスムーズに終わるから好き、これからもそう願っているわ」
「私もそう願っています」
アヤメが段々と表情を青ざめさせながら、それでも強い眼差しを菅原へとぶつける。
女性の笑顔は崩れない。
「頑固なところもかわいいわ……でもだめ」
「……どう、して」
「外の状況を知らない?」
アヤメは眉根を寄せる。
外の状況という言葉が頭に入ってこなかったからだ。
ライトの助命に思考リソースを費やす少女には青天の霹靂であった。なぜ今、騒ぎのあった中ではなく外の話をしようというのか。
アヤメは自分自身が同年代と比べて聡明な自覚がある。自負でもあるそれは、少女に謎を謎のままにさせておくことを良しとしなかった。
女性の語る外の状況という言葉。突然天魔ヴィゾフニルに乗っ取られたライト。この2つだけでは足りない。
少女がここである事を思い出す。思い出したくない記憶だが、頭が勝手に記憶の泉からほじくり返した。
それは警報である。
アヤメはあの異常事態と警報を合わせて考えていた。局内に天魔が現れたのだから当然のものだと。だがそれでは流れがおかしい。
化け物の出現に対する警報であるならば、それは化け物が出現した後でなければいけないのだ。
だが事実として、あの警報は確かにライトが倒れた直後……すなわち怪人の出現前から鳴っていた。
少女の最悪の推測に菅原が裏付けをする。アヤメの耳にその言葉が届いてしまった。
――天魔ヴィゾフニルがこの人工島を襲撃している
「そのため彼の身柄はこちらで拘束します。異議は認めません」




