第17話 『疑心暗器』
2023/02/20 第13話 新たな日常 に皇后崎のバックストーリーを加筆修正しました。
赤い照明と警報音のライブが、広い運動実験場を騒がせていた。
観客は3人。
逃げ回る竜人と少女、それを追いかける表面がぐずぐずに溶けた巨大な雄鶏である。
皇后崎は少女の言葉に驚きを隠せない。
皇后崎にとってはそれだけ疑問と衝撃のある報告だったのだ、少女が特質持ちだということは。
「アヤメさんは最初期ロットのはずだ! ステージ2のまま特質は持てない。
まさか……」
「進度を上げたりしないわよ……これ」
皇后崎の疑念に答えるように、少女が懐から1つの輪を取り出す。
それはペンダントであった。繋げられたキューブ型の金属塊が内側から青の光を発している。
「陸望楼の最新D-ウイルス兵器。
まだ試作品だけど、ここで実践試験させてもらうわ!」
現状の解決を自分がしてみせると息巻く少女。
大口を叩いて冷や汗をかきながら浮かべるその笑みに、皇后崎はとても同調できなかった。曇った表情の皇后崎を無視してアヤメが思案する。
勝利条件は2つだ。天魔ヴィゾフニルに抗ウイルス剤を打ち込むこと。そしてそれが5分以内に行われること。
後者の時間制限はもう残り3分もない。考える時間を考慮するとさらに2分程度になる。
ここは運動実験場。
辺りには3人が使おうとしていた機材一式が散乱している。他の研究チームが置いていったものはフラスコや茶褐色の薬瓶といったものとブルーシートだ。
所持している抗ウイルス剤……その本数3本。2本は高濃度で副作用あり。1本が通常の抗ウイルス剤だ。
万年筆に仕込まれているのはそれぞれ筋弛緩剤、睡眠薬、麻酔といったものだ。会話中すでに何本か打ち込んだが天魔ヴィゾフニルに効果はなかった。
天魔ヴィゾフニルは未だ健在ではあれど、確かにダメージがある。抗ウイルス剤が体の節々を溶かし表面にもゲル状の羽毛がたれているのだ。
巨体の中心近くを注意深く見てみれば、人間の肌が見える部分がある。
ライトが中にいるのだ。
異常な光景。3メートルほどの着ぐるみが着用者を操っている。
思考をジャスト1分で切り上げたアヤメが皇后崎へと指示を送る。
「10秒でいいわ、あいつを抑えられない!?」
「……無理だ! 俺の全力でもあいつは抜け出す」
「サポートする! 一直線に入り口に突進するよう引き付けて。残り2分!」
「難しい注文だ……ぐうっ」
黄色いクチバシが竜の腕をたやすく噛み千切った。外骨格を纏わせて強度が増している皇后崎の装甲がまるで歯が立たない。
彼はすぐに腕を再生させ対処する。
アヤメの作戦が成功に終わるか失敗に終わるかは、皇后崎にかかっていた。
残り2分間で彼は入り口から怪人を引き離し、さらに入り口に向けて猪突猛進にさせなくてはならない。
その間も攻撃対象であるアヤメを抱えながら、である。その難易度は今まで課してきたどのような訓練すらも及ばない。
だが。
「やるしかないんだろ」
皇后崎には受け入れられなかった……アヤメの頼みを遂行することがではない。
今までの高め上げた自分から、何より仲間を見捨てて逃げることなど皇后崎美智子には到底不可能であったのだ。
「2分もいらない……1分だ!
俺の時間は得難いぞ――化け物っ!!」
「クあ“あぎアああァあっっ!」
決着の時が 近づく。
◆ ◆ ◆ ◆
「あらあら、うふふ」
◆ ◆ ◆ ◆
竜の鉤爪が雄鶏を削る。たたらを踏んだ雄鶏の追撃に走った竜人を、溶けかけたニワトリの尻尾が打った。
ガードが甘かったか、鮮血を吐き出す皇后崎。
「ぐばっ」
「皇后崎!」
体を水平に飛ばされた皇后崎は壁にぶつかって止まる。
そこは運動実験場の入り口、開きっぱなしのドアの真横であった。
皇后崎はのろのろと扉に手をかけた。それはあたかも退却の一手にも見えるが、そう振る舞うための遅さであった。
天魔ヴィゾフニルが、弱った獲物を逃さなぬと入り口に向けて突進してくる。
「20秒オーバー……1分は欲張ったな」
「十分よ――直前で横によけてくれる? 室内に残って」
「ああ」
アヤメはブルーシートを手に取る。それは、逃げ去った研究チームの置き土産。
彼女が皇后崎に頼んで回収してもらっていた。
少女がペンダントの起動キーを入力する。
「起動――『疑心暗器』」
金属箱に電源が入る。装置が内側で静かにエンジンを回し始めた。風切り音と青い光の粒が内側から漏れ出す。
綺麗な青いペンダントを首にかける少女は、怪人の到着を待った。
突進してくる巨体が急速に大きくみえてくる。ありえない足の早さの大質量に足がすくむアヤメ。だが堪える。もう少しなのだから。
サイズの違いから狂いそうな距離感を怪人が通り過ぎる機材の位置で修正する。
どしんどしんどしん。
もう目の前だ。
目印にしていた機材を怪人が通り過ぎる瞬間、アヤメは己がスキルを発動した。
「『疑心暗器』ーーっ!」
――『疑心暗器』。それは短距離間に限り物体を瞬間移動させる能力。
――キィンッ
アヤメの右手にあった巨大なブルーシートが突然消失し、次の瞬間には雄鶏の眼の前に現れた。
目もクチバシもトサカまで、ブルーシートに覆われる。ゲル状の羽毛が吸い付くことでそれが剥がれることはない。
次の一手だ。
アヤメは左手にあったリモコンを怪人……その足元に向ける。
今まであえて押さずにいたもう片方のボタンが今使われる。アヤメの歪んだ表情に関係なく、無情なる信号が怪人の鳥足に巻き付いたバンドへと届いてしまった。
金属製のバンドが収縮する。その次の瞬間であった。
怪人の右足がちぎれ飛んだ。
左足すら半壊させる爆発。地につくための足を失った巨体が2人に向かって勢いそのままに転倒したのだった。
2人は横っ飛びしそれを避ける。
どずうん。入り口周りのコンクリートに罅を入れる天魔ヴィゾフニル。
怪人はブルーシートに包まれた頭だけを外に出した形だ。
3メートルもの巨体を持つ化け物が、人間用の出入り口を通れる訳もなく。詰まってしまって動けない胴体が2人の前にさらされる。
「アヤメさんっっ!!」
「わかってるわよ」
残った翼と腕、足を同時に抑えつける皇后崎。最大サイズに構成した尻尾と竜腕を器用に扱い、彼は怪人の全てを封じ込めた。
鬼気迫る青ざめた表情が語る。もう限界だと。10秒も持ちそうにないのか、はたまたこれ以上竜化できそうにないのか。
それに一瞥もせずアヤメは自分の仕事を全うすべく最速で動いていた。
限界を超えた集中。
彼女は高濃度抗ウイルス剤の入った薬瓶を両手に構え、特質を発動した。
――キィンッ
瓶の中身が天魔の巨体、その中身へと直接転送される。間違ってもライトの体に行かないように細心の注意を払った。
次いでもうひとつ。万年筆に入っている通常の抗ウイルス剤を構える。
狙いは、先程外したライトの体……その静脈部分。通常なら到底不可能なその狙撃を、右目の片眼鏡が補助する。
アヤメは手の震えを、言葉に吐き出して止めた。
とても怖くて淋しそうな、涙声であった。
「✞さっさと帰ってきなさい……このバカ!✞」
――キィンッ




