10 俺の気持ち
俺がびっくりしたからか、桃子ちゃんは泣いていたのに今は俺のことをポカンとした顔で見ている。
「何、そのいい思い出って。まさか、これっきり、もう俺と会わないつもりでいるの?」
「え?だって…」
「俺そんなこと一言も言ってないし。なんでそうなるの?なんで勝手に話作るかな?!」
「でも、聖君も、ごめんって今…」
「泣かせてごめんってことだよ。だいたい、なんで俺が今日、別れ話しに来なくちゃならないわけ?なんでそうなるの?」
「だって…、なんで会いに来たのかが、わからなくって…」
「へ?!」
待て。ちょっと待てよ?わからないって、どういうことだ?いきなり別れ話とか、俺のほうがわけわからない。さっきも、付き合ってもいないのにって言ったよな。付き合ってるんじゃないの?俺ら…。
「こ、この前、俺さ、みなとみらいの帰りに言ったよね?」
「何を?」
何をって…。あれ?言ったよね?俺、確か…。
「これからも付き合おうよって、言ったよね?俺…」
「…うん」
「それに、桃子ちゃんのこと好きになってるって、言ったよね?俺…」
「……」
なんで無言?!
「そう言われて、あとでいろいろと考えて」
「考えたって、何を?」
「友達としてこれからも、付き合うってことかなとか…」
「へ?」
「好きって言うのも、友だちとして…って感じかなとか…」
「はあ?!」
「……」
「……」
しばらく、二人で固まった。俺は、頭の中で必死にその時のことを思い出していた。
「手…、なんて繋いで帰らなかったっけ?俺ら…」
「…うん」
「俺さ、もう、てっきりわかってくれてるもんだって…」
「え?何を?」
「だから、あれでもう、俺らこれからもちゃんと付き合っていくんだと思っていたし、俺の気持ちもわかってもらえたんだよなって、そう思ってて…」
「?」
さっきから、桃子ちゃんは目を丸くしたままだ。ああ、ポメラニアン…。いや、マルチーズだっけ?ああ、どっちでもいい。それどころじゃない。
「だからさ…。だから、今日はデートのつもりで、いや、つもりも何もデートなんだよ。わかってる?」
「ううん…」
桃子ちゃんは、思い切り首を横に振った。
「嘘だろ、わかってなかったの?」
ガク~~~~~~~。脱力だ。俺は、椅子に思わずのけぞった。
何それ…。俺一人で舞い上がってた?でもさ、でもさ、でもさ…。日曜だって、メールずっと交換してさ…。じゃ、あれは何?
そのことを聞くと、俺がすんごい落ち込んでいると思って、めいいっぱい励ましていたメールだったらしい。だけど、どんな動物が好きかとか、最近映画は何を観たかとか、そんなのだよ?彼女とするような、ラブラブなメールのやりとりだって、俺だけ思っていたわけ…?
ますます、脱力。力がどんどん抜けていく。
俺がかなり力を失くしているのを見て、桃子ちゃんは申し訳なさそうに謝ってきた。
「ごめんね…。私、信じられなくて」
「…俺が?」
「違うの…。そうじゃなくて、聖君がまさか、私のことを好きになってくれるわけがないってそう思ってて…。好きだっていうのも、付き合うっていうのも、信じられなくて…」
「やっぱ、俺のことが信じられないってことじゃん」
「違うよ」
「そうじゃんか。俺の言っていることが、信じられないってことでしょ?」
「信じたいけど…、自信がなくて」
「…なんの?」
「私、蘭みたいに綺麗じゃないし、スタイルも悪いし、背も低いし…」
「それが?」
「それに…、菜摘みたいに明るくないし、運動も苦手だし、頭もよくないし、何も取柄ないし…」
「いや、そんなことは…」
「だから、私なんて、好きになってもらえるわけないって…」
俺の返答も聞こうとせず、珍しく桃子ちゃんは、早口にどんどん話してくるから、俺は口を挟むタイミングを失った。
「聖君が、私のどこを好きになってくれたかわからなくて。だから、きっと友達としてってことなんだって思ったの」
やっと桃子ちゃんは言葉を終わらせた。
「友達として好きだなんて、わざわざ言わないよ」
「じゃあ、私の気持ち知っていたから、気を使ってとか、悪いなって思ってとか…」
「はあ?」
「だって、わからないんだもん…」
桃子ちゃんは、黙り込み下を向いた。顔が真っ赤だ。それに泣きそうだ。
しばらく俺が黙っていると、桃子ちゃんはそっと俺のことを見た。俺と目が合うと、また視線を下げてしまった。俺の返答を待っているんだろうな。
俺は、一生懸命何て言うかを考えていた。俺が、桃子ちゃんのことをどう思っているかを、正直に言ったらいいだけなんだろうけど。
でも、好きだって言っても信じてくれないって言うなら、どうすりゃいいんだ?
「もっとさ…、自分に自信を持ったら…?」
わあ、陳腐な台詞、何言ってんの俺…。
「そうなんだよね。そうなんだけど…」
「うん…」
「走るのも遅くって、駄目だなって思ったよね?」
「何が駄目なの?」
「かっこ悪いって言うか、聖君も笑っていたでしょ?」
「俺が?ああ、さっき?違うよ。走るの遅いのに、頑張って走って来てくれたんだと思ったら、いじらしくなっただけだよ」
「い、いじらしい…?」
「うん」
桃子ちゃんは、真っ赤になった。
「そ、それにね。印象も薄いでしょ?蘭とは、話しやすいって言っていたでしょ?すごく楽しそうだったし。菜摘は、好きだったから意識して話せなかったんでしょ?でも、私のことは、あまり話しても話さなくてもよかったんだよね?」
ギク…。ばれていたか。
「なんとなく、そういうのわかっていたけど…。私、いてもいなくてもいいんだろうなって。だけど、聖君と話せなくても、蘭とバカやって大笑いしている聖君のこと見ているだけで、幸せだったし…」
それ、照れるってば…。
「蘭も菜摘も、告白しなよとか、付き合いなよとか、もっと頑張ってとか言ってくれていたの。でも、告白する勇気もないし、言うつもりもなかったし、彼女になれるなんて思ってもみなかったし、付き合う気だってなかったんだ」
「そうだったの?」
「だって、なんとも思ってくれてないないって、なんとなくわかっていたし。ふられちゃうだろうなって、それもわかっていたし。それよりも、みんなで会ってわいわいできたらそれでいいって、そうずっと思っていたんだ」
「……」
「だから、菜摘にも、蘭にも、私が聖君のことを好きなのは黙っていてって頼んでいたの」
「でも、菜摘ちゃん、ばらしてたよ?俺に」
「うん、だから、びっくりして。でも、聖君が、菜摘を好きだってわかって、もう絶対にそっちを応援しなくっちゃって思って」
「え?」
「だって、だって私のことなんか、好きになってもらえるわけないって確実にわかっていたし。もう、聖君の恋の応援をするのが、きっと私の役目なんだ…くらいに思っちゃって」
「…………」
俺は、開いた口が、また塞がらなくなっていた。でも、桃子ちゃんがまた俺を不安そうに見るから、言葉をなんとか発した。
「そ…、そんなふうに思っていたの?」
「うん」
「そっかあ。じゃ、あれかあ…」
「ん?」
「俺が、桃子ちゃんのことを好きだの、付き合おうって言っても、なかなか信じられないよね?」
「うん!」
そんなに、はっきりと「うん」って…。
「じゃあ、信じられないことが、起きちゃってるわけだ…」
「うん…。まだ、混乱してて…」
「混乱してるの?頭の中グルグル?」
「うん。思考回路もゼロ。真っ白…」
そっか。さっきの俺か…。
ああ、なんか、意地悪心が出てきた。もしかして、好きな子いじめて楽しむタイプなの?俺って…。でも、もう少し驚く顔が見てみたいというか、こんなことを言ったらどうするか見てみたいっていうか。
「じゃ…。俺が桃子ちゃんのどこを好きになったかとか、どんなふうに思ってるかとか言えば、信じられるかな?」
「え?!」
一瞬、桃子ちゃんは、たじろいでいた。固まったまま、
「うん」
と小声で言った。でも、身を引いたままだった。
「えっと。小型犬みたい。今も目、まんまるでポメラニアン…。あれ?この前はマルチーズだった。あ、そっか。服の色か。今日は茶色だからか…」
「ポ、ポメラニアン…?」
「笑顔は、なんか、綿菓子?」
「綿菓子…?」
「それから、さっき後ろ歩いてて、ポニーテールが左右に揺れて、面白いなって」
「……」
桃子ちゃんが、どんどん脱力していくのがわかった。さっきまで、ものすごく力入れていたのにな。
ええ?私、犬なの?綿菓子なの?ポニーテールが揺れててどうなの?それ…、みたいな感じ?
「あはは!」
あまりにも桃子ちゃんが、力なく俺のことを見ているから、思わず笑っちまった。
「?」
なんで笑われたのかは、わかっていないよな。
「ごめ…。あははは。でも、可愛くてさ。桃子ちゃん」
「か、可愛い?」
「ごめん、ああ、腹いてえ…」
「……」
やば、ちょっと泣きそう?
「わかった。ちゃんと白状するから、しっかり聞いてて。それで俺が言うこと全部、信じてくれる?」
「…うん」
まだ、桃子ちゃんは泣きそうな顔をしている。
「可愛いんだ」
「え?」
いきなりそれだけ言うと、桃子ちゃんはまた目を丸くした。
「可愛いし、いじらしいし、なんか桃子ちゃんといると、やばいんだよね」
「やばい?」
「う~~ん。なんて言ったら1番ぴったりくるかな~~。桃子ちゃんのどんな表情も、仕草も、どれ見ても、可愛いなって思えちゃうんだよね」
「……」
桃子ちゃんは、みるみる顔が真っ赤になった。それは止まらなくて、耳も首までもが真っ赤だ。色白だから、まるわかりだ。
「あ、今も…。真っ赤になってて、可愛いなって」
桃子ちゃんは、とうとう両手で顔を思い切り隠した。
「あ、それも…」
俺がそう言うと、小さな声で何かを言った。
「え?」
聞きなおすと、
「嘘だ」
って、少しだけ大きな声を出した。
「嘘じゃないよ」
と言っても、まだ顔を隠したままにしている。
「小型犬みたいで可愛いし、綿菓子みたいで可愛いし、ポニーテールが揺れてるのとか、後姿とか、歩き方とか、可愛いなってさっき、後ろ歩きながらずっと思っていたよ」
「…嘘」
「嘘じゃないって。俺、こんな恥ずかしいこと嘘つかないよ。嘘で言えないよ」
「……」
桃子ちゃんは、ようやく手をおろしたけれど、思い切り顔を下に向けたままだった。
「今も思考回路ゼロ?頭の中、グルグル?」
桃子ちゃんは、黙ってコクっと頷いた。
「でも、なんとなく俺が桃子ちゃんを好きだっていうの、信じられそう?」
「……」
無言だった。コクリとも頷かない。いや、少しだけ首を斜めにしたような気もする。
「あれ?まだ、信じられない?」
「……」
すごく小さく、桃子ちゃんは頷いた。
「さて、どうしようかな、俺。どうしたらいいかな…」
俺は、まじで悩み出していた。正直に話してみたんだけどなあ。
「い、いつから?」
桃子ちゃんは、小さな声で聞いてきた。
「桃子ちゃんのこと、好きになったのってこと?」
「うん…」
「いつからだっけ?菜摘ちゃんに、桃子ちゃんが俺のことを好きだっていうのを聞いて…。それで、少し意識するようになって。それからかな」
桃子ちゃんは、少しだけ顔を上げて俺を見た。上目遣いのその目、ほら、やっぱり小型犬。そういう目をするじゃん、犬ってさ。目、潤んでいるしさ…。
「意識して桃子ちゃんのこと見ていたら、すごく可愛い子なんだなって思って」
「……」
桃子ちゃんはまた、顔を下げてしまった。
「えっと。他には?なんか聞きたいことある?」
桃子ちゃんに聞いてみた。こうなったら、どんな質問でも受けてやるって感じだ。
「菜摘のことは、本当にもう?」
「ああ、うん。きっと、桃子ちゃんがいてくれたからさ、立ち直るの早かったんだと思うよ、俺」
「じゃあ、私も役に立てたの?」
「うん、もちろん」
やっと、桃子ちゃんは顔を上げて、にこっと微笑んだ。
「良かった」
まったく。そういうのは、信じてくれちゃうわけね。
「店、そろそろ出る?」
俺がそう言うと、桃子ちゃんも頷いた。
その店を出てから、少し駅と反対の方向に歩き出した。こっちに、桃子ちゃんの家はあるようだ。
「すぐそこにね、大きな公園があるの。けっこう、気持ちがいいんだよ」
「ふうん、じゃ、そこ行ってみたいな」
「うん」
桃子ちゃんの横に、今度は並んで歩いた。並ぶと、かなり身長差があるのがわかる。
「身長、何センチ?」
桃子ちゃんに聞くと、少しだけ言うのをためらってから、
「147センチ」
とぼそっと言った。
「え?そうなの?150ないの?」
「…うん」
「そっか~~。じゃ、俺と30センチくらい差があるんだね」
「177センチ?聖君」
「178センチかな。2年になってから、また伸びたんだよね」
「え?そうなの?私、中3の頃から変わっていないよ…?」
「成長期終わっちゃった…、とか?」
「うん、そうかも」
少しがっくりした表情を、桃子ちゃんはしていた。
「でも、背が小さいのも、可愛いじゃん」
俺がそう言うと、桃子ちゃんは俺のほうを見て、少しだけ笑って見せた。
公園の中に入ると、けっこう涼しかった。ベンチがあるから二人で腰かけて、空や緑を俺はぼ~っと眺めた。
「夕日、綺麗だね」
だんだんと辺りは、暗くなっていた。
「うん。ほんとだ」
桃子ちゃんはそう言うと、目を細めて夕日を見た。
「徐々に、日が短くなってるよね」
「うん」
「文化祭、いつだっけ?」
「え?うちの学校?11月の最初」
「そっか、あと1ヶ月くらいだね」
「うん」
「葉一や、基樹と行くからね」
「うん」
「制服見に…」
「え?何それ?」
「基樹とかと言ってるんだ。どんな制服なんだろうって。ちょっと楽しみ」
「平凡だよ?紺のボレロに紺のスカートで、ブラウスには赤のリボンするだけで」
「へ~~。赤のリボン。ところでボレロって何?」
「ブレザーが短くなったみたいなやつ…」
「へ~~。どんななのかな?」
想像してみたけど、やっぱりわからない。
「聖君の学校は?ブレザー?」
「そう、グレーのブレザー。女子もね。女子はこのパンツの柄で、スカートなんだ」
「チェックの柄なの?可愛いよね」
「う~~ん、そうかな?女子もネクタイなんだよ。リボンの方が絶対可愛いよね?」
「どうかな~~?わかんないや」
「やっぱ、楽しみだな」
俺は、かなりうきうきしていた。
「制服、かっこいいね」
「え?ああ、これ?そう?よくあるパターンでしょ?」
「うん。でも、私服もいつもかっこいいけど、制服もかっこいいよ。聖君、ちょこっと大人っぽくなるよね」
「え?そうかな」
「うん…」
俺は、なんだか恥ずかしくなった。
「えっと…」
ボリ…。言葉が続かなくなって頭を掻いた。。桃子ちゃんは夕日に照らされていて、顔が真っ赤だったけれど、もしかして恥ずかしがって真っ赤だったのかもしれない。
ああ、じゃ、俺も夕日で顔が赤いのか。じゃ、今、赤くなってもばれないってことか。
下を向いてる桃子ちゃんに少しだけ顔を近づけると、
「え?」
とびっくりして、俺の顔から桃子ちゃんは遠ざかった。
ああ…。ちょっと近づけた俺の顔。どうしたらいいものか…。
俺はまた、まっすぐに向き直した。そして、少しだけ俺は下を向いた。なんていうか、照れ隠し?
桃子ちゃんも、姿勢を戻した。まっすぐに体勢を戻したけれど下を向いている。
ちらりと横を見ると、桃子ちゃんは、黙って下を向いたままだった。
あれ?でも、どこかをぼ~っと見つめていて、かなりの無防備状態…?
俺はまた思い切って、それも、さっきよりもかなりのスピードで、桃子ちゃんに顔を近付けてほんの少しだけ唇に触れた。
桃子ちゃんは、目を真ん丸くしてこっちを見た。
しばらく固まっていたけど、
「○▽×■☆!」
と、声にならないわけのわからないことを、口走っていた。いや、口走っているというよりも、口だけ動いていたという方が正しい表現かな。声になっていなかったもんな。
「だって、最高のキスのチャンスだったじゃん、今…」
そう言うと、また何かを言おうとして口をぱくぱくさせた。
「あ、さっき、一瞬、気を抜いたでしょ?一回目は回避できたけど、そのあとまた、俺がキスしようとするって思っていなかったでしょ?」
「もうっ!」
ようやく声を出して、桃子ちゃんは両手で顔を隠してしまった。
「あはは!可愛いよね、本当にさ」
俺がそう言うと、また小さな声で桃子ちゃんは、「もうっ」って言った。
これだけアピールしたら、いい加減信じるよね?俺が桃子ちゃんを好きだっていう気持ちをさ。
それから、俺はなんてことのない話をし出した。今の担任、絶対にかつらだとか、俺のじいちゃん、ヨットに乗っているんだとか、そんなたわいのない会話だ。
桃子ちゃんは、笑ってそれを聞いていた。桃子ちゃんも、学校の話や家の話をしてくれた。猫を飼っている話だとか、妹がいて、桃子ちゃんよりも背が高いんだって話だとか。
時間はあっという間に、過ぎていった。日が暮れて暗くなって、俺は桃子ちゃんを家まで送って行った。