序章 ~聖へ~
俺は、人生で初めて、ショックを受けていた。
それも、いきなり、でかいショックを立ち続けにだ。
初恋と言ってもいい。そりゃ、小学校の頃も好きだった子もいたし、中学で告白されて付き合った子もいた。でも、会ってどきどきして、夜も眠れなくなって、話もろくすっぽできないほど意識して…、そんな子は初めてだった。
「聖、それが恋ってやつだよ」
父さんは、にやっと笑って教えてくれた。
「俺も、母さんに会ってしばらくして、そんなふうになった時があるよ。恋煩いってやつ。あはは」
父さんに笑われた。
でも、思いを告げることは、結局出来なかった。
彼女は俺より1歳年下。俺が高校2年の夏、友達と海の家でバイトをして、そこで出会った。彼女は友達と3人で海に来ていて、俺も友達と3人でバイトをしていた。なんとなく話をして、なんとなく6人でご飯を食べに行くようになり、江ノ島でやる花火大会にも誘った。彼女たちは、浴衣を着てやってきた。
夏が終わっても、6人で会うようになった。
そして、秋。彼女は俺の母さんの店「れいんどろっぷす」に遊びに来た。れいんどろっぷすは俺の家の1階にあり、ランチやティータイムが人気のカフェだ。ばあちゃんが開いた店を母さんが受け継いでいるんだけれど、俺も時々手伝っている。
その店に遊びに来た彼女を、母さんに紹介した。俺は、彼女が一人で来ていたから有頂天になっていた。もしかすると、俺のことを好きなのかもしれないとか、このまんま付き合うようになるのかもとか…。
だけど、母さんの表情が凍りついたのを見てしまったんだ。
「母さん、紹介するよ。萩原菜摘さん」
「萩原…?」
一瞬だった。でも、その顔を俺は目撃しちゃったんだ。
れいんどろっぷすで、菜摘ちゃんは紅茶を飲んでケーキを食べていた。その横に母さんは座って、すごく穏やかに親しげに話をしていた。でも、瞳の奥が笑っていなかった。
俺、そういうの見抜くのが得意だ。特に母さんの表情。いっつも優しくて穏やかだから、そんな表情はあまり見せないからわかるんだ。何かを隠している時だってすぐにわかる。
「菜摘さんは、聖と同じ年?」
「いえ、一つ下です」
「そう…。このへんに住んでいるの?」
「いえ、ちょっと遠いんですけど。でも、江ノ島が好きで…」
「どのへん?」
「新百合ヶ丘です。小田急で来れるから、そんなには大変じゃないんですけど」
「そう、そうなんだ…。あ、ご兄弟は?」
「いません」
「そう…」
にこにこしながら、母さんは紅茶のおかわりを持ってきた。
「あ、すみません。そんな悪いです」
「いいの、いいの。ゆっくりしていって」
「はい」
菜摘ちゃんは紅茶を飲み、ケーキを食べて嬉しそうだった。
「あの、菜摘ちゃんのご両親は…」
「はい?」
「若いの?おいくつくらい?」
「父と母ですか?えっと、二人とも46歳だったと思いますけど」
「あら、奇遇。私もよ。そう…。あ、いえね、最近ほら、若いお母さんとか多いから、そうなのかなって…」
「46歳なんですか?」
「うん、そう…。新百合ヶ丘か~~。私もね、20代の頃小田急線沿いに住んでいて、新宿まで仕事で通っていたの」
「あ、父も新宿で働いています。会社が新宿にあって」
「そう…。知り合いだったりして!萩原なにさん?お父さんの名前」
「萩原稔です。母は、萩原梨香…」
「……」
母さんの目が凍りついた。一瞬、止まってしまっていた。
「あの?」
それに菜摘ちゃんも、気付いていた。
「どうしたの?母さん…。知ってる人とか?」
「え?」
母さんは俺の顔を見て、また黙ってしまった。
「あ…。お、驚きね。偶然ってあるのね。びっくりしちゃった」
どこか母さんは笑顔を繕って見える。
「知っているんですか?母と父を」
「うん。一緒の会社で働いていたの」
「ええ?!本当に?父や母に聞けばわかりますか?」
「うん。多分ね。お二人とも元気?」
「はい。元気です」
「そう、それは良かった。もう何年も会ってないから。結婚したのは葉書で知らせてくれてたけど」
「そうだったんですか?えっと、榎本…何さんですか?」
「私?榎本くるみ。旧姓は小野寺」
「家に帰ったら聞いてみます!」
「……そう」
母さんの顔から一瞬笑顔が消えた。でも、すぐに菜摘ちゃんを優しく見た。
「稔と梨香の子なんだ。そっか。なんだか、梨香に雰囲気が似てる…。そういえば声も似てる…」
「そうなんです。だんだん母と声が似てきたみたいで、電話だと間違われるんです」
「そう…」
母さんの顔がまた暗くなって、すごく俺は気になった。
「じゃ、俺、菜摘ちゃんを駅まで送ってくる」
「うん。じゃ、ご両親によろしくね」
俺は有頂天だったのに母さんのあの顔が気になり、気持ちが沈んだまま菜摘ちゃんを駅まで送った。
「じゃね。今日はありがとう。聖君」
「うん…。また来てよ」
「うん。今度はみんなで来るね。今日もね、桃子来るはずだったの。でも、いきなり用事が入っちゃったって」
「あ、そうだったんだ」
「蘭はね…、ああ、言っていいのかな」
「え?」
「デートだって!知ってた?基樹君とだよ」
「知らない!そうなの?!」
「やっぱり知らなかった?あ、ばらしちゃって悪かったかな。なんか、私は怪しいなって前から思ってたんだ」
「そ、そうなんだ」
「ショック?」
「え?」
「蘭と仲良かったでしょ?」
「俺?いや、話はしやすかったけど、でも別に」
「ほんと?」
「うん」
「それは良かった」
「え?」
なんだか、菜摘ちゃんは意味深な笑いをした。
「桃子が…、気にしていたから」
「何を?」
「聖君が、蘭を好きなのかって」
「え?!」
「今度は、桃子一人で来るかも…」
「?!」
「って、多分無理かな~~。あの子、聖君と話すの、無理そうだし…」
俺は愕然とした。それって何?桃子ちゃんがもしかして、俺のことを好きってこと?そうしたら、菜摘ちゃんは…?!
「じゃ!またみんなで来るよ。あ…。その時に私が今話したことは内緒にしててね。じゃあね!」
菜摘ちゃんは元気にそう言うと改札口を入り、そのまま電車に飛び乗った。
ショックだ…。これ、告る前からふられたってことか…。
待てよ…。まだ、決まっていないか。
って、待てよ…。それよりも、母さんのあの暗い顔、気になる。
俺は全速力で家に帰った。そして店のドアを開けると、
「母さん!」
と、思い切り母さんを呼ぼうとしたけれど、お客さんがいて呼ぶのをストップした。そして、そのまま家の中に入って2階へと上がった。本当は今すぐにでも母さんに聞きたい。少し苛立ちながら店が閉まる時間を待った。
夜は少しだけ店の手伝いをしている。客がみんな帰って行き、店の片づけをパートの人と終えた母さんがようやくリビングに来た。リビングには、俺以外に父さんも妹の杏樹もいた。
「あのさ、今日さ…」
母さんに向かって話そうとした時に、母さんの方が父さんに話をし出した。
「今日ね、聖が女の子を店に連れてきたの」
「へえ!この前まで悩んでいた子か?お前の好きな子?」
父さんはめちゃくちゃ明るい顔で俺に聞いてきた。
「そうだけど…。でも…」
俺が話をしようとするとまた母さんが遮った。
「萩原さんっていう子…」
「萩原?」
父さんの表情も少し固まった。
「そう…。稔と梨香の子…。すごい偶然よね…」
「え?!」
父さんの驚き方も気になる。いつもこんなにリアクションが大きいほうじゃない。
「父さんも知ってるの?その…、菜摘ちゃんの両親」
「あ…、ああ。前に会ったことがあって…」
「そうなんだ」
「お前の好きな子って…、その菜摘ちゃんか?」
「…うん。でも」
「爽太…。話、あるんだけど…」
「あ、ああ、うん」
また母さんが、話の途中に声をかけてきた。母さんも父さんもなんだか変だ。妙にぎこちない。
「悪い、その話はまたな…。聖」
母さんと父さんは、2階に上がって行った。なんだろう。あんなに深刻なムードの二人を見るのは、生まれて初めてかもしれない。
テレビを観ながら、リビングで俺はメールをしていた。杏樹は自分の部屋に行って、友達と長電話をしているようだった。
俺の恋の相談はもっぱら葉一って友達。バイトを一緒にした3人の一人。中学からの親友だ。
蘭ちゃんと基樹ができていたのを知っていたかとか、菜摘ちゃん、俺のことなんとも思っていないみたいだとか、そんなことを葉一にメールした。葉一からは、蘭ちゃんと基樹のことはなんとなく気付いていたって返信が来た。それと、菜摘ちゃんのことはまだわかんないだろって書いてあった。
そこに、父さんと母さんが2階から下りて来た。
「話があるのよ…」
すごく二人して、真面目な顔をしていた。
「話?」
ただごとじゃないって、その時すぐにわかった。
「聖…」
父さんの顔つきは、母さんよりもっと深刻になっていた。これは相当真面目な話なんだ。こんな父さんを見るのは初めてだ。でも、いったい何…?
想像すらできない…。こういう時に浮かぶのは、
「お前は実は、俺たちの子じゃないんだよ」
とか、
「実はお前と菜摘ちゃんは兄弟で」
とか、そんなメロドラマにでも出てきそうな、陳腐な想像くらい…。俺って想像力ないよな、と自分で情けなく思って心の中で笑いがこみ上げた。
だけど、次の瞬間、耳を疑うような言葉を父さんが発した。
「実は…。聖は、父さんと母さんの間に出来た子じゃないんだ…」
「……は?」
それは、今俺が繰り広げていた陳腐な想像劇…。思いきり昼にやっているような、メロドラマみたいな…。
「え?」
どういうこと?
「俺、養子…?」
「いや…。母さんの子だけど…」
「?」
「母さんと、稔さんの間に出来た子なんだよ」
父さんは、俺の顔を見つめたままそう言った。
母さんはずっと黙って俺と父さんを見ていた。
「それ、どういうこと…」
頭の中で必死に考えようとした。まさか、
「浮気…とか?」
口からそんな言葉が出て、自分でありえないだろと自分に突込みを入れていた。
「違うの、聖…。お母さんがお父さんに出会う前にね、稔さんと付き合っていたの。お腹に子どもがいることも知らずに別れて、それからお父さんに出会ったの」
母さんがようやく口を開いた。
「えっと…、なんか理解しにくいんだけど…。え?どういうこと?」
駄目だ。もう俺の頭の中は真っ白だった。
「俺はくるみのお腹の子が俺の子だろうと、誰の子だろうと関係なかった。それでも、くるみを愛していたし、だからくるみの子も愛していたし…。それで結婚をした。お腹の子の父親になった」
「ちょと待って。でも、俺のほんとの親は、菜摘ちゃんの父親ってことでしょ?」
「…そうだ」
「じゃ、父さんは、俺のほんとの親じゃないってことでしょ?」
「親だよ。俺はずっと、そう思ってきたよ」
「でも、ほんとの親は菜摘ちゃんの父親で、俺は菜摘ちゃんと兄妹なんだろ?!」
「そうだ…」
「なんだよ、それ…」
俺は、何が何だかわからなかったけれど、無性に腹が立った。
ショックだ。でもそんなの、通り越していた。
「なんだよ、それ?なんで、ずっと隠していんだよ!なんで、ずっと父親面していたんだよ?!」
俺は思い切りリビングのドアを閉め、それから、玄関を出て思い切り走り出した。
「なんなんだよ。なんでずっと隠してたんだよ。なんで、俺、菜摘ちゃんと兄妹なんだよ」
頭の中がグルグルだった。
「なんだよ、この展開。ばっかみて…。まるで3流メロドラマ。今、こんなドラマやってもいないし、流行んないよ」
アホすぎて、涙が出た。
「なんなんだよ…」
海の前で、思い切り叫んだ。
「ばっかやろ~~~~!!!!!!!!!!」
隣でいちゃついてたカップルが、驚いていた。
はあ…、はあ…。思い切り走ったから息が切れて、俺はそのまま、砂浜に大の字になって寝転んだ。
「はあ…。ばっかみてえ…、俺。何、不幸の主人公ぶってんの?だいたい、菜摘ちゃんは俺のことなんとも思ってないし…。勝手な片思いだし…。血が繋がっていようとなかろうと、俺、ふられるんだよ。全然関係のないことだ」
自分がアホすぎて、涙が出た。でも、やっぱりショックだ。
「なんで?父さん、血繋がっていないのかよ。じゃ、ばあちゃんも?じいちゃんも?ひいばあちゃんや、ひいじいちゃんや…。父さんの妹の春香さんは?みんな、血繋がっていないのかよ」
だんだん、悲しくなってきた。
「なんだよ、それ。なんなんだよ…」
俺は両手で顔を隠した。涙が止まらなくなってきた。何が悲しいかわからない。
多分1番ショックなのは、父さんが父さんじゃないことだ。父さんは若くって、まだ39だ。まるで、兄弟か、友達のようなすごくいい関係だ。すげえ好きだし、尊敬もしてたし、いろいろと相談もしてた。
「なんでえ…。ほんとの親じゃないんじゃんか…」
悔しさもあった。
じゃ、杏樹は?ああ、そっか。父さんの子だ。だって、俺よりも4つも下で、もう父さんと母さん、結婚して何年かしてから出来た子で…。
俺は結婚する前に出来ちゃったんだって、父さんが話してくれたことがある。でも、違うじゃん。違うじゃんかよ。
「違うじゃんかよ!なんで、もっと早くにほんとのこと言わねえんだよ?!」
空には、星が出ていた。月も出ていた。天気が良くて、風もそんなになくて波は穏やかで、やけに穏やかで…。それも、何もかもが頭に来た。
「ちきしょう!」
サク…。砂を踏む音がした。誰かが俺に近づいている。こんなところで、大の字になって夜に叫んでいたから、酔っ払いかと思って警官でも来たのか。誰かが、呼んだのか。
「横に座るよ、聖」
その声は、父さんだった。
「なんで来てんだよ?」
「なんでって、そりゃ、気になったからに決まってんじゃん」
「……」
心の中で放っておいてくれよと呟いたけれど、言葉にならなかった。
「あのさ、俺さ…。ちょっとした小説、いや、自叙伝?書いてあるんだ…」
「は?何それ。作家にでもなるつもり?」
「あはは。違うよ。そんなに文章の才能ないよ」
「じゃ、なんで?」
「お前にいつか読んでもらおうと思って…。いや、読んでもらわないかもしれないと思っていたけど…」
「は?」
「そんな日は来ないかもって思っていたけど、来ちゃったみたいだからさ」
「なんのことだよ?」
「とにかく家に帰ろう。家に帰ったら、お前に渡す」
「……」
俺は、仕方なく父さんの後について歩き出した。父さんは、歩きながらぽつりと言った。
「やっぱ、ショックだよな。彼女が妹じゃな…」
「彼女じゃないよ」
「え?」
「俺の片思いだし、菜摘ちゃん俺のこと、なんとも思ってないって今日わかった」
「失恋か?」
「いいよ…。どうせ、好きになっても妹なんだろ?どうしようもないじゃん」
「まあ…、そうだな」
父さんは、一瞬立ち止まっていたけれどまた歩き出した。
不思議だ。俺、よく「父さん似だね」って言われてた。友達にも。なんの血の繋がりもないのにな。仕草も、話し方も、笑い方も、性格も、なんだか似ているってよく言われてた。それ、嬉しかったのにな…。
家に帰ると、
「おかえり…」
と、母さんが出迎えてくれた。顔は心配そうだった。
「大丈夫だよ、くるみ」
その表情をすぐに察知した父さんは、母さんに安心させるためにそう言った。そういう気遣い、いつもすげえって思っていた。
「聖、2階に行こう。お前の部屋で話してもいいよな?」
「うん…」
俺は、父さんのあとに続いて2階に上がった。部屋で待っていると、父さんがCD-Rを持ってきた。
「これに保存してある。パソコンで開いて読んでくれ。文章は下手くそだけど…。ま、そのへんは多めに見てくれよな」
そう笑って言ってから、
「そうだな…。話はこれを読んでからするかな。俺がいるとかえって読みづらいだろ?」
と真面目な顔をした。
「ああ。うん」
「じゃ、ちょっと長いけど、ま、気長に読んでくれ。あ、くるみには内緒な。恥ずかしいからさ」
「母さんに内緒で書いてたの?」
「うん、まあ。それじゃな…」
「うん」
父さんが出て行ってから、俺はCD-Rをパソコンに入れた。データを移し変えて読むことにした。出だしは俺に当てた手紙のようになっていた。
~聖へ~
いつか、君が大人になったら話してあげたい。そのためにも、今から俺の物語を記しておくよ。かつて、俺の父さんと母さんが俺のためにしてくれたように。
聖、君の母さんと出会ったのはね、俺が21歳の時だ。海で出会った。その出会いは奇跡だった。そして、必然だった。俺の母さんと父さんの出会いが、そうであったように。
聖、君が生まれたのも、この世に生を受けたのも奇跡だ。そして必然だ。俺が、この世に生を受けたのが、そうであったように。
聖。いつか君が、本当のことを知ったら悲しむだろうか。悩むだろうか。俺のことを父親だと、それでも思ってくれるんだろうか。その時が来てみなくちゃわからないと思うから、今から心配はしないようにするよ。
その時が来て、もし悩んだり苦しむようなことがあったら、一緒に悩むし一緒に苦しむよ。家族で乗り越えていけたらってそう思っている。
だけどね、聖。俺も、そして周りのみんなも、どれだけ君を愛しているのかを知って欲しい。だから、君の母さんと俺が出会った時のことから、記しておくよ。
文章を書くのなんて、そうそうしたことがない下手へたくそかもしれないけどさ。
いつか、読む日が来るかな?全部を君に、伝える日が来るんだろうか?
さあ、聖、君の母さんと俺の物語をこれから書いていくからね。