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中世、近世、近代

 ファンタジーでは中世とか近世と言った言葉で舞台の説明をしますが、本当のところどう違うのでしょうか。


 教科書的に言えば、ヨーロッパでは古代ギリシア・ローマの時代を古代、西ローマ崩壊から東ローマ滅亡までを中世、ルネサンスからフランス革命までを近世、フランス革命から第二次世界大戦までを近代、第二次世界大戦後を現代と言います。実のところ細かくは諸説あるのですが、今回の注目点ではないのでその辺は追求しません。

 この古代、中世、近世、近代、現代という区分を日本にも当てはめ、平安以前を古代、鎌倉から室町を中世、安土桃山から江戸を近世、明治から第二次世界大戦までを近代、第二次世界大戦後を現代と分けています。


 日本史の分け方ですが、明治にヨーロッパと同じ分け方をしようとして分けられたのですが、それ以前は上古、中古、近古という分け方をしていました。それ以外にも分け方は有りましたが、ここでは割愛します。


 ヨーロッパで中世と言う言葉が生まれたのは近世の事です。当然当時は自分の生まれた時代を現代とした上で中世という区分を作りました。つまり古代と現代の間を中世としたのです。ではその区切りは当時はどう考えていたのかと言うと、古代ローマの理性の時代と新たな理性の時代である現代(近世)の間にある反理性の時代を中世と呼んだのです。中世と言う言葉を生んだペトラルカは同時に暗黒時代とも呼びました。つまり中世に対する強烈な反発や嫌悪を持った上で中世と言う名を付けたのです。

 中世が無ければ、古代ローマがそのまま発展していれば、我らの時代がそのまま直ぐ続いたんだという自負でもあります。


 中世が本当にそんな酷い時代だったかと言うとそんなことはありません。スコラ神学が主流だった中世はむしろキリスト教の歴史の中では理性的な時代であり、その後の近世こそ魔女狩りのような狂気や神秘主義が蔓延る時代になるのですが、その時代は黒死病により多くの価値観が崩れた時代でもあったのです。

 一時代前に不幸の原因を押し付けると言うのは珍しくありません。日本でも明治時代に江戸時代は酷い時代だったと色々な責任を押し付けていましたが、現代になって江戸時代が見直される様になりました。それと同じように中世は暗黒時代だったと言うのは現代では否定されています。しかし当時は全然違う時代が来たのだと考えていたのでしょう。


 気候的な話で言えば中世は温暖でしたが近世と近代は小氷期です。着ているものが違います。毛織物が盛んになるのは近世です。食べるものも変わります。植物は育つ事ができる気候と言うものがありますから、作物も変わらざるを得ないのです。

 北欧の酒アクアビットは中世には小麦から作っていましたが、近世になるとライ麦、じゃが芋から作るようになります。

 大航海時代は近世に入りますが、この時期に新大陸から新たな食物が来たのはヨーロッパには救いでした。


 陸上交通が海上交通に置き換わり、内陸都市が衰退し港湾都市が栄えるようになります。造船技術が向上し、樹木が大量に伐採されます。

 貴族も騎士も農民もブルジョワとプロレタリアに分離します。貴族と騎士がブルジョワになり農民がプロレタリアになったのではありません。夫々の身分の中で成功してブルジョワになる者と、没落してプロレタリアになる者が生まれました。

 宗教権威が崩れ、と言っても信仰そのものが失われたわけではない、神と人との距離が見直されました。

 黒死病の余話として挙げた酒場の誕生もそうですが、農村でも個人によって貨幣が使われるようになったのは近世であり、風呂に入らなくなったのも近世です。疫病は口や鼻や皮膚の毛穴から入るから垢を取ると病気になりやすくなるというヨーロッパ近世のトンデモ医学のお陰です。

 本来中世と近世はこれだけの違いがあり、風景が違うものです。


 そうして時代が区分されてからも変化は続き、16世紀になっても地動説を否定するような宗教的権威が無くなり、科学が進歩してくると、今までの常識をもう一度見直そうという考えが生まれました。それは自然の捉え方や人間の捉え方、そして国家の捉え方まで及びました。そしてより正しい世界の理解を広めようという思想、啓蒙思想という物が生まれます。

 自然を整理し纏める事で博物学が生まれ、博物館が作られ世界中の文物を集めるようになります。より抽象的な経済学や政治学なども盛んになります。国境を越えた移動が容易になり、コスモポリタニズムが生まれます。18世紀の頃です。


 ここまで来ると、「現代って言うけどルネサンスの頃と今って本当に同じ時代だろうか」という疑問が浮かんできました。ルネサンス時代は黒死病の反動で反教権主義、つまり教会や教皇は信用しないとなりましたが神自体を信じなくなった訳ではなく、信仰自体は充分に篤かった為に旧教カトリック新教プロテスタントが激しく争っていました。神と人とが直接結びつく方法として神秘主義が流行り、天使エノク語などが生まれるような魔術が生まれるのもルネサンスの頃です。そんなルネサンス時代と科学の時代である今を同じ時代とは思えない。

 そしてルネサンス時代から宗教戦争の終わりを示すウェストファリア条約までを近代という現代とは違う時代として分けようという事になりました。後にルネサンス時代は近世という区分に分け直されるのですが、この時点では近代と呼ばれました。


 更に時代が進み、フランス革命が起こり、やがて共産主義が生まれます。

 マルクスは共産主義思想に基づく時代区分として生産手段に注目した歴史区分を提唱しました。

 全ての物が共同所有で狩猟採集生活を送っていた石器時代などの太古を原始共産制。

 支配階級と奴隷という階級が生まれ、私有財産が生まれ、奴隷が生産を担う奴隷制。

 貴族や宗教勢力が農奴を働かせていた封建制。

 ブルジョワが革命を起こしてプロレタリアを働かせる資本主義。

 プロレタリアが革命を起こして皆で共同所有して平等に生きる共産主義。


 まあとりあえずマルクスの分類という事で異論のある方もとりあえずそのまま続きをお読み下さい。


 マルクスの区分がそれまでと違うのは、単純に歴史を区分けしたというのではなく、その順番に歴史が進歩して行くという考え方でした。

 歴史は一本の道を歩むもので、全ての国、民族が同じ道の上に居るという考え方です。

 実の所この考え方は今でもそう言うものだと考えている人は多いのです。例えば先進国・後進国という言葉は同じ道を歩いていなければ生まれません。バラバラに別の場所に向かうなら先も後も無いのです。同じ道を歩くから先や後ができるのです。

 日本の歴史にヨーロッパの分類を当て嵌めたのもその考えが有ったからです。中国などの歴史に対して「アジア的停滞」という言葉が使われ、全然進歩しないまま何千年も経った遅れた国というヨーロッパ的意見を受け入れた日本は、アジア各国を植民地にする際、進歩を齎す為と言う大義名分を得たのです。この大義名分はヨーロッパ各国も使っていたのでヨーロッパの国も否定できない理由になりました。

 そしてまた世界中で資本主義の未来の姿としての共産主義と言う神話を信じた人も多くいました。しかしその実態をロシア人は理解していました。

 ロシアにはアネクドートという皮肉な笑い話があります。その一つにこんなものがあります。


二つのプロパガンダ看板が並んで立っている。

一つには、「資本主義国家は今や崖っぷちだ!」

もう一つには「我々は常に資本主義国家の一歩先を行く!」


 現在の社会を考えて、世界全てがやがて同じような歴史をたどり、同じ場所に到着すると言えるでしょうか。

 そう考えた時、歴史の進歩とか言う前にちゃんと証明できる事実を挙げろよという話になります。考えてみれば歴史書とかどこまで信頼できるのか。日本の歴史だって、元寇は我々が神に祈って神風を吹かせたので勝ちましたという僧侶の記録を元に歴史を学んで良いものなのか。記録は文字を書ける人間が僧侶くらいしかいない時代なのでどうしても僧侶寄りになるのは当然です。

 そこでもっと細かい記録を調べようという事になり、商店の売買記録だの小さい教会の歴代の訴訟記録だの、村の墓全ての骨の調査だのと言う地味な記録を調べ、この村のこの時代についてはこれが証明された、というような地道な調査を積み重ねる事が現在の歴史学の主流であり、何の証明も無しに、歴史の新解釈を考えついたと言い出しても誰も相手にしないのです。


 さて、近世はどうなったんだと言うのが残っています。

 実はヨーロッパでは近世と言う概念は微妙な扱いで、ルネサンスと近代に分けたり、文学分野だとか科学分野だとか分野によって使ったり使わなかったり、使っても時期が違ったりするのです。

 なのでこれは大雑把な概念としてこう理解すると良いのではないかという話です。


 近世と近代の区切りとして重要なのがウェストファリア条約です。これは三十年戦争の終結に関する条約です。日本ではそれほど重要ではないそんな戦争がどうして重要なのかと言いますと、それはウェストファリア条約によって主権国家体制が成立したからです。


 主権国家体制とは何なのかと言いますと、国内では国家が一番偉いという事を誰もが認めたという事です。

 ヨーロッパではカノッサの屈辱という事件の様に、その国の王や皇帝でも教皇に頭を下げなければならなかったり、ハンザの様に国内の都市が好き勝手にふるまったり、ギルドが国王に反対したりと国の命令が一番とは言えない状態でした。

 日本でも同じで、戦国時代の延暦寺や一向宗などの宗教勢力、堺のような商人の自治都市や座のような利権集団が領主より権力をふるったりする事も珍しくありませんでした。日本では信長、秀吉、家康の三代によってそうした勢力は潰されましたが、同じように国家より偉いという勢力を無くす事ができた条約がウェストファリア条約なのです。

 正確に言えばそう言う条項があるわけではなく、他の国の事に他の勢力が口を出さないという取り決めをしたわけですが、結果として現代の国家と言うものができたという事になります。

 それなら江戸時代は近代ではないのかと言うと、江戸時代には外様大名と言う武装組織が存在しています。実際江戸時代はそうした外様大名の武力によって倒される事になったわけで、現代で言うなら県知事が独自の兵力を持っているようなものなので近代国家にはなれていないのです。

 それならアメリカ合衆国はどうなのかと言うと、実はあれは州が国家なのです。国家が連合して集まった物がアメリカ合衆国なのです。Statesを州と訳していますがあれは酷い訳語で、本来国と訳すべきでした。

 ついでに合衆国を合州国と訳すべきだという意見ですが、合衆国はUnited Statesの訳ではありません。国民が集まって造った国と言う意味です。出典は周礼という中国の書で「大封之礼合衆也」という言葉から来ています。


 さて、改めて中世、近世、近代の違いはというと、実際のヨーロッパなら気候の変化と黒死病による変化が中世と近世の違いであり、現代的な国家の誕生が近代だと言ってよいでしょう。

 ただ近世・近代と言うのは非常に不潔で不健康で、それ故にかオカルト大好きな怪しい時代でもあります。病気になれば怪しい壺にも縋りたくなると言うものです。中世には自然魔術と言って現代の科学手品のような知らないと不思議な現象を利用した魔術だったのに対し、近世以降は占星術や交霊術、大航海時代でどこから持ってきたかわからない怪しげな物などが流行るようになります。

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