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ジプシー

 ジプシーという名前は皆さんご存じでしょう。

 ゲームや小説などでも登場し、踊り子だったり占い師だったりする放浪の民です。現在ではロマと呼ぶべきだという風潮ですが、そもそも日本ではあまり詳しい事が知られていません。


 ジプシーと言うのは英語です。ヨーロッパの多くの国ではギリシャ語のτσιγγάνοι(ツィンガノイ)から来た言葉を使います。ギリシャ語としては別の集団の名前であった言葉が間違えて使われたと考えられていますが、複数の説があり不明です。

 イタリア語でチンガリ、スペイン語でシンガロス、フランス語でツィガーヌ、ドイツ語でツィゴイナー、ロシア語でツガニャ、チェコ語でツィガンスキェ等ですが、英語と同じくエジプト人が語源の名前としてフランス語ではジタン、スペイン語でヒタノ、フランスではボヘミアから来たという場合が多かった為ボヘミアンとも呼ばれました。

 どちらにせよ差別的なイメージがあるので使用を避けて彼らの言葉でロマと呼ぼうというのが現代の流れなのですが…。


 正確には彼らが自称する際の名前ですが、ロマ以外にもシンティ、マヌーシュ、ロマニカル、ロマニセル、カロ、ケール、カルデラシュ、マチヴァヤ、ボヤシュ、ロヴァリ、モディアル、ソラクサイ、ラウタリ、ドム、ナッワール、グルバット、ゴルバット、ルーリー、ヘレビなど多数あります。しかもそれぞれの名前は決して方言の差などではなく別の存在なのです。

 例えば、黄色人種(イエロー)と呼ぶのは差別だから中国人と呼ぶのが差別的でない表現だ、と言われたらどうでしょう。ロマで纏めると言うのはそう言う事なのです。

 イギリスでは下院が国内のジプシーに対して調査した結果、2019年の報告で総称名としてジプシーと言うのを正しい法律用語として使用するという事になりました。国際的にはロマが正しいという方向ですが、ヨーロッパのジプシーの最大勢力がロマだというだけであり、全てのジプシーがロマと呼ばれる事を受け入れているわけではありません。むしろ「意識の高い人達」の当人を無視した言葉狩りというのが実態なので、ここではジプシーという表記を行います。


 イギリスだとじゃが芋飢饉で土地を失い放浪生活になるしかなかったアイルランド人、単にトラベラーとかアイリッシュ・トラベラーと呼ばれる人も居れば、スコティッシュ・トラベラーと呼ばれる人はピクト人が祖先だという人や破門された聖職者の子孫、スコットランドでも起きたじゃが芋飢饉流浪者、ノルマン・コンクェスト以前の住人など様々な先祖を主張しているし、ケールと名乗る人、ロマニカルトラベラーなど様々な言語、民族がいますから、ロマで纏めるのも御免だと思う人が多くても当然でしょう。


 現在ロマと名乗るジプシーは元々インド人で、10世紀にインドを出て11世紀にギリシアに来て、更に15世紀にドイツ、フランス、スペイン等に広がり、16世紀にはイギリス、北欧、東欧、ロシアに拡がりました。という説が1970年くらいまで定説でした。しかし現在のヨーロッパの歴史学会では否定されています。


 はっきりとした事実のみを見てみましょう。ギリシャでの事は諸説あるので無視します。

 14世紀にルーマニアでアツィガニ、ツィガニと呼ばれる人々が奴隷として扱われていた記録があり、その個人名がロマニ語系である事からジプシーであろう事は多くの学者が認めています。しかし時代と共に他の民族と思われるものが混ざるようになり、ツィガニという名前が奴隷を意味するようになり、人種的な意味合いは薄れて行ったようです。ツィガニ達は主に職人として働き、しかも定住しない天幕に住む遊動生活を送っていました。夏は農村で農機具などの修理を行い、冬は町で主向けの様々な物を作りました。


 15世紀始めに中央ヨーロッパにジプシーがやって来ました。1417年『リューベック年代記』、同じく1417年ラティスボン(現在のレーゲンスブルク)の聖職者アンドレアスの日記、1418年『ベルン年代記』、1427年『パリ一市民の日記』にジプシーの記録があります。全ての記録でジプシーを黒くて醜いと記述してありました。

 一行の人数は上記の順番に300人、30人、200人、100から120人でした。


 『パリ一市民の日記』によれば、彼らは低地エジプトに住むキリスト教徒だったがイスラム教徒に征服され、イスラム教に改宗した。しかしドイツ皇帝とポーランド王らにより解放され、再びキリスト教に改宗したもののこの地を維持するにはローマ法王の許可が必要だと言われローマに向かった。そして法王に告解した結果悔悛の行として7年間の間ベッドに寝ることなく世界中を回るよう命じられた。その費用として全ての司教に1回に限り10ツール・リーブルを与える特許状を与えられた。これまでの旅で人数は10分の1にまで減ってしまったが既に5年は過ぎた。後少しだから神を信じて頑張る。


 胡散臭い内容です。しかもどの記録もジプシーを掏摸(すり)や盗人(ぬすっと)だと書いてあり、更に占いや魔術で夫を信じるなと言って家庭に不和の種を蒔いた等と書かれているのです。そんなの信じるかと思う所ですが…


 14世紀半ばの黒死病からヨーロッパの社会は混乱が続いています。フランスでは百年戦争が続き、1418年から1436年までパリはイギリス軍とブルゴーニュ公の手に落ち、フランス王が1422年に死んだ後王太子は王位に就けないまま。ジャンヌ=ダルクがフランスを救うのは1429年の事。そんなギリギリの1427年のパリ市民は、こんな世の中ならそんな事もあるだろうと思ってしまう訳です。

 黒死病の所で言いましたが、宗教的にも今までの教会を通じた信仰より神と直接の結び付きを求める気持ちが、巡礼に出るとか、巡礼を支援する事で間接的に神のお恵みが等と考えてしまいます。


 巡礼と言えばサンチャゴ・デ・コンポステラとか言う観光名所、もとい聖地があったはず。

 1425年1月12日、アラゴン王アルフォンソ5世が、あるジプシーの一団に3ヶ月の国内の移動を認めたという記録が最初の記録です。レコンキスタの続く間アラゴン国内ではジプシーは彼方此方で歓待されたという記録があり、ジプシーも祭日に踊りや曲芸を行い、占いをしたと記録されています。


 黒死病で家庭にも変化が訪れ、分割相続から一子相続へ変わったという話をしました。つまり家を継げず追い出される者が出るという事です。そう言うあぶれ者たちが村を追い出され、都市へと向かいますが、都市も受け入れるにも限度があります。ヨーロッパは人口密度の関係で抱えられる都市人口が少ないのです。そうした者たちの中にジプシーに加わる者が出るのは当然の成り行きでしょう。そうなるとジプシーの総数も増えます。


 1492年にレコンキスタが達成されるとアラゴン王は内政に目を向けます。そして1499年、ジプシーに定住して職に就くか、領主に仕えるか、60日以内に国を出て行くか選べと迫ります。

 ジプシーは大道芸人のような事もしますが、より堅実な仕事もしていました。金属細工や革加工、馬の調教といった居ないと困るが常に仕事があるわけでも無い仕事に就き、町や村を巡回して仕事をするのです。大道芸や占いだって常駐してやるような仕事ではありません。

 つまり定住してもそれだけの仕事が無いような職業なので定住ができないのです。

 逆に言うとスペイン人にとっても常に居なくても良いけれど、居なくなると困るので、法律はかなり緩く適用されました。


 他の土地でも同じでした。初めて来たときは歓迎した都市も、同じような集団が何度も来れば飽きます。ましてや怪しげな口上の巡礼では何時までも相手をできません。援助が減り、やがて追い出すようになります。ジプシーだけではなく「彼らに合流し、その装いを真似したその他の者」も対象になります。


 16世紀の各種記録によればジプシーはそれぞれ別々の言葉を使うようです。スラブ系少数民族の言葉、ヘブライ語の変種、ルーマニア語、トルコ語…

 様々な少数民族集団がジプシーと決めつけられていったのでしょう。

 ドイツではオスマントルコの拡大に恐怖し、ジプシーをトルコのスパイだとして追放する事にしました。フランスもジプシーを追い出す事にします。イギリスにジプシーが進出したのはやや遅い時期であった為か始めから冷たい態度で北欧に追い出しました。スペインも段々厳しくなったのですが、18世紀に厳格に適用した結果不満が続出した為取り消したという事があり、その時には多くのジプシーが死んでいましたが、少数の生き残りは寛容な政策の元、19世紀以降フラメンコ等のジプシー芸術が発展する事になります。

 他の国では弛む事無く、と言って厳格に適用しすぎる事も無く続き、近代化により生まれた貧民層がジプシーに参加した為何時までも被差別民として存在し続けたのです。


三十年戦争ではドイツが荒れ果て農民が難民となりますが、ワレンシュタインは彼らを「ジプシー部隊」として軍に組み込み、略奪を繰り返し、難民を再生産しました。

 フランスでもフロンドの乱で「ボヘミアン」の部隊がフランスを荒らしまわりました。


 こうしてジプシーは難民化した貧民をも組み込まれ、犯罪集団と見做されるようになるのです。


 しかし19世紀になり工業化が進むと、ジプシーは社会に組み込まれ存在自体が珍しくなります。外見が大差なければ工場労働者として働く事はできます。

 そうなると勝手な妄想に基づいたジプシー像が生まれます。「高貴なる野蛮人」としてのジプシーです。ロマン主義の時代になっていました。


 ヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』、『ノートルダムのせむし男』と言った方が有名かもしれませんが、そのエスメラルダやビゼーの『カルメン』のカルメン。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』のヒースクリフ。そう言ったジプシー像が文学などに登場してきます。

 ジプシーが放浪する理由も飾られ、聖家族(イエスとマリアとヨセフ)がヘロデ王から逃れてエジプトに逃げ、ヘロデ王の死後エジプトからイスラエルに戻る途中…この先は幾つものストーリーがあるのですが、基本的に聖書の時代に先祖が犯した罪の贖罪の為民族を挙げて放浪しているという話になります。

 勿論聖書にその様な話は無いのですが、中二、ではなくロマン主義に基づいて、その頃にはエジプトではなくインド出身だと言われていたのも無視して、ジプシーは聖書の世界に、つまりキリスト教社会の一員として受け入れられるのです。

 先祖の罪なら人間全て原罪という罪を背負っているので問題なしです。先祖の罪で流離うなんて中二…ロマンが溢れているというものです。

 先例もあります。人類最初の殺人者であるカインは神によって追放され放浪を定められたものの、額に烙印を受け、カインを殺した者はその七倍の不幸を受けるとされました。そして放浪するカインは農業の代わりに鋳物や楽器演奏で生計を立てたとも言われます。そこもジプシーと被ります。

 祖国を持たぬ漂泊の民という点ではユダヤ人も重なります。しかしジプシーはキリスト教徒だという点でユダヤ人と異なっていたのです。

 そうした神話世界の存在であるジプシーを想像的に描く事は可能でしょう。…目の前にいるのでなければ。


 ところが19世紀後半から20世紀初頭にかけて新しい集団がヨーロッパにやって来ます。本人達はジプシーではないと言い、実際それまでのジプシーとは言語も名前も違う系統で、ルーマニア、ハンガリー、セルビア、ボスニア、ブルガリア、トルコなど複数の系統であったのですが、当時のヨーロッパ人達は彼らをルーマニアから解放されたジプシー奴隷達としてジプシーと認定します。

 その頃はヨーロッパからアメリカ大陸へ移民する人間が多かった時代で、アイルランドでもじゃが芋飢饉で100万人がアメリカに渡ったようにヨーロッパ中からアメリカに移民が進み、その結果ヨーロッパの農村が過疎化し、ヨーロッパの農村で鋳掛屋などをしていた人々が人の多いヨーロッパ中央に移動して来たという流れによるものだったのですが、当時のヨーロッパはジプシーが移動を再開しヨーロッパへ押し寄せてきたと考えたのです。


 二十世紀前半は人種差別の強い時代でした。ヨーロッパ中でジプシーやユダヤ人が嫌われて排斥される時代だったのです。

 ドイツではツィゴイナーと呼ばれる人達もユダヤ人と同じ「異質の血」として排除の対象になりました。

 ユダヤ人と共にホロコーストの被害者となったツィゴイナー、戦後はシンティ・ロマと呼ばれ、シンティとロマは別物だとも言われる人々は、戦後の扱いさえも別でした。ユダヤ人を人種差別の対象だったと認めた西ドイツ政府はツィゴイナーは人種差別ではなく犯罪者、反社会性等で処罰されたからユダヤ人とは違うと言い、東ドイツはそもそも反ナチス政権である我々はドイツを非難する側で責任など何もないという立場でした。ユダヤ人もジプシーは我々とは別の存在で被害者としてのユダヤ人の「唯一性」に拘りました。その為長い間被害者として認められず、問題が認識されるようになったのは最近と言ってよいでしょう。

 ジプシーの研究は本格的な研究が始まって50年程なのです。



 ジプシーの大まかな流れを書きましたが、教科書には出てこない歴史の一幕でした。

 日本でも漂泊民というものは居て、山窩(さんか)のような陸の漂泊民と海人(あま)のような海の漂泊民がいます。こちらも色々あるのですが、多分興味を持つ人が居ないと思うので書きません。


 日本人のジプシーのイメージというと馬車暮らしでしょうか。「gypsy wagon」「vardo wagon」で画像を検索すると色々出てきますが、こうした馬車は19世紀後半から20世紀前半の時期に生まれました。それ以前のテント暮らしの頃は「bender tent」で出てくるような生活でした。「gypsy dance」でも色々出てきますが、ジプシーは単一民族ではないので種類の違うダンスがあって当然ですね。画像だけではなく動画でも良いですね。「gypsy violin」は動画になります。


 後はジプシーと言えば占いや魔法もありますが、検索しても出てくるのは現在の子供騙しというか、歴史的なそれとは違い過ぎるので意味は無いですね。

 魔法と言うのは魔女狩りなどでもそうですが、その時代の常識によって生まれる物なので、常識が変わり過ぎると全く理解できなくなります。科学的な意味での魔法はともかく、社会現象や歴史としての魔法は実在するものであり、それがどう存在するかは時代に寄るのです。中世の自然科学トリック的な魔法から近世の超常的存在との交流に基づく魔術、そして近代のスピリチュアルな魔術とそれぞれその時代の常識的知識や望みによって変わります。


 現代のゲームの魔法は近代火器の見た目を変えただけのもので、銃やミサイルの代用でしかありません。ファンタジーでもその影響を受けた似非科学魔法になっています。

 本当に中世が舞台なら生活の安定の為に重要な雨乞や日乞い、キリスト的な悪霊払いや治癒が最重要になる筈です。ここで悪霊なんて無いというのは現代人で、悪霊とは何かというところから考えるべきなのです。

 悪霊は存在するのです。現代日本ですらヘッドギアを付けて超能力開発とか壺を高額で買うとかする人達にとって超自然なものが存在しているように。


 しかし魔法の話はその時代の常識が理解できていないとできない話です。中世の人間に超能力なんて理解できません。青い火が熱いとか有り得ません。まあそれについてはそもそも科学的に嘘ですが。青い火が熱いのは星の黒体放射の話から来ているのだと思いますが、青い火が熱いならガスコンロでフライパンが融けないのはおかしな話です。あれはラジカル反応という化学反応ですし、青い火を出すだけならリン酸アンモニウムでも燃やせば炎色反応で青くなります。お墓に出る火の玉が青いのはリンが燃えているからと言われますね。まあ土葬の無い今の時代に見る事は無いですが。数百度程度なら火の温度も変わりますが、青い星の様に万単位の温度は無理です。更に言うなら星の表面温度は中心温度と恒星の半径の関係で…

 まあそんな理論で高温の火を出して攻撃するより六条御息所式に生霊になって首を絞める方が理解しやすいという訳です。


 近世になって人が神との直接的な交流を望むようになった結果、神の代理として天使や悪魔との交流を試みるようになりました。16世紀終盤になって天使の言葉であるエノク語が生まれたり、悪魔学が隆盛したりする事になります。薔薇十字団が不老不死を実現しようとか言い出すのもこの頃ですが、現代でも小説などでネタにされるのだから大したものです。逆に言うと黒死病の衝撃とその後人口が黒死病前を超えるまでの150年の時が有って、黒死病の200年後に神との直接対話を諦め天使や悪魔と交流しよう、錬金術で不老不死を目指そうと考え始めるのですね。そして教会の反撃が魔女狩りとして現れてきます。

 更に300年経ってそれも諦めロマン主義の時代、オカルトの時代になります。神智学協会とか正気度が下がるあの世界とか…。


 と言うような話は神と人との関係がどう進んだかを知らないと解らない話なのでまたの機会という事で。ただジプシーが魔法と結び付けられた時代の雰囲気、宗教の裏も表に出ないながら時代に影響され、影響して行くものだと言う点を知っていると納得できる事が増えると思います。

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