表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/24

ノーフォーク農業

 なろうチートでみんな大好きノーフォーク農業ですが、残念ながら教科書の記述は古すぎるものです。


 その前にヨーロッパ中世の農業について少し見直してみましょう。

 教科書ではこうなっています。


 ローマ時代には二圃制農業だったものが中世に三圃制になり、有輪重量犂や鉄製農具の普及により生産力が増大し中世温暖期と呼ばれる気候の温暖化とも合わさり中世農業革命と呼ばれる農業の発展が起きた。


 中世温暖期はともかく、三圃制と有輪重量犂は正しくありません。実はこの後も地中海では三圃制にはならず、有輪重量犂は使われませんでした。どちらも北部ヨーロッパの話だからです。

 北部ヨーロッパでは地中海に比べ人口も少なく雨が少ないので二圃制では大変だという事で三圃制になります。雨が少なく水が足りないと言うのは農業にとって重要な問題なのでそのようになるのも当然ですが、水も人手も豊かな地中海ではその必要が無いのです。従ってその後も三圃制にはなりません。有輪重量犂はより深く耕せるという話ですが、それも土が粘土質で重たい土地の多い北部の問題であって、地中海では車輪の無い軽量の犂で充分だったのです。つまり中世の進歩とされるものは単にローカライズに過ぎません。

 それでは何故まるでヨーロッパ全体の進歩の様に書かれているのかというとこういう訳です。近代になり英国が一番栄えるようになると、英国視点での歴史がヨーロッパの歴史と見做される様になります。地中海沿岸のイタリアやスペインのやる事は古くて、北フランスやイギリスのやる事が進んでいる。

 そうした視点を明治時代に導入し、英国の植民地だったアメリカに占領された時もそのまま来た日本の歴史教育は偏っているのです。


 それを踏まえて中世ヨーロッパの農業はどうだったのでしょうか。

 中世温暖期は全体的なものです。中世と言うのがゲルマン人の侵入による物だと言うのも事実です。ゲルマン人の侵入という事は別の言い方をするとヨーロッパへの人口の流入です。それ以前に住んでいたガリア人やブリトン人などのケルト系の人々とゲルマン系の人々は融合して結局殆どが農業を行うようになるので農業人口は増える事になります。増えた人間が農業をやるにあたり地中海のやり方では合わないからとやり方を変え、鉄の生産が増えた事で農業に向かない土地でも農業ができるようになる。そして安定すると土地が足りなくなり新しく開墾を行うようになる。それが11世紀後半から13世紀前半の大開墾時代と呼ばれる時代です。土地も増え穀物だけではなく果物やそれらから作る酒類と言った余裕のある物も作られるようになり、商業が盛んになり、ついでに余った人間たちがヨーロッパの外に向かうようになる。十字軍の時代です。

 しかし中世温暖期で豊かになったのはヨーロッパだけではありません。天高く馬肥ゆる、そう、秋では無いけれどモンゴル高原でも豊かな牧草に育まれ有り余る人口を国内の争いから外への侵略に振り向けた人々がいました。モンゴル帝国がユーラシアを席巻する時が来ました。そしてモンゴル軍と共に黒死病も。

 人口が半分になり農地を耕す人も半減したヨーロッパ西部や南部では耕す人の居ない農地が彼方此方に。

 ところで三圃制の農地と言うのはどのような土地利用でしょう。共同所有か領主の有輪重量犂を村の全員で使うので一直線に何百メートルも耕してからUターンしてまた一直線に耕す。それが中世の三圃制の土地です。

 furlong、ファーロングとかハロンとか言われる単位ですが、約200メートルです。現在だと競馬くらいでしか聞かない単位ですが、furh(犂で犂く)+lang(長い)が語源で、馬が犂を引くのに一番効率の良い距離なのだそうです。furlongの四十分の一をrodロッドと言いfurlong×rodの土地をroodルード、その四倍をacreエーカーと言います。acreの語源は畑を意味していて、エーカーは一日に耕せる面積という定義です。

 ドイツでは似たような単位としてmorgenモルゲンという単位があります。語源としては朝ですが、午前中に耕せる土地の面積で、一日だとtagwerkタクウェルク、英語で表すならdayworkという意味ですが、morgenはtagwerkの半分より多いようです。午前中の方が午後より長く働いたのでしょう。

 中世の土地はこのroodで表されるような細長い土地で分割され、いわば長い短冊形の土地の組み合わせで全体の農地が成立していました。しかも農地全体でも良い土地と悪い土地があればそれも考えて分割します。つまりここの良い土地3roodとあちらの悪い土地4roodがアダムの土地でその隣の良い土地4roodと悪い土地5roodがベンジャミンの土地と言う具合に村人全員に加え領主の土地や教会の土地などで分割し、全員で共同して耕すのです。

 そんな状態で黒死病が流行し、アダムの家は女房と長男が残ってベンジャミンのところは全滅と言うように全体の何割かが死んだらどうなるのか。残った人間で全部を面倒見る事など無理だし、所有者がいない土地もできた。しかも短冊状の土地の彼方此方に。

 今まで通り耕せる農家もあるけれど、領主が土地を買い取って農民は小作農になる場合もある。しかもペストは一度の流行では終わらない。コロナの様にちょっと変化した菌が何度も流行する。そんな風に悲惨な農村の状況が1370年代まで続いて結局村人の半分が死ぬ。これが14世紀末のヨーロッパの農村風景です。


 何とか整理した領主も気が付くと領地の農民は領主の小作農となり、しかし小作農の子供は小作農になるより街に出て働くだ!と出て行くようになり、それでは困る領主は農民を領地に縛り付けようと賃金を上げたり、逆に法律で縛ったりと試行錯誤します。上手くいかない領主の土地では不満を溜め込んだ農民が一揆を起こすようになります。フランスではジャックリーの乱、イギリスではワットタイラーの乱、ボヘミアではフス戦争。そうした追い込まれた農民の一揆によりやり過ぎた領主は排除されますが、やがて人口が戻り労働力が余り始めると余った農民を安く使えるようになります。領主だった人々は地主になるのです。


 こうした状況で商業によって資本を貯めた大商人たちは地主から土地を借りて穀物の代わりに商業目的の物を作るようになります。何を作るかは土地により葡萄だったり羊毛だったりしますが、中世のややこしい土地の権利は地主に一本化され、農民は土地を持たない労働者になり、土地所有・資本・労働が分離された近代が始まります。


 近代の農業関係で必ず参考文献に上がる、J.D.チェインバーズ、G.E.ミンゲイ共著『農業革命1750~1880年』という1966年の本がありますが、結論として農業生産力の上昇の三分の二が農地の拡大によるものであり、生産性の上昇は三分の一に過ぎないという話がでてきます。

ノーフォークと言う土地は元々砂地や重粘土質土壌で農業に向かない土地であり、そこに腐葉土などの投入による農地の拡大を行ったのです。

 土地所有・資本・労働の分離が行われた近代だからできる改革です。中世までの農民や小領主ではお金も無いし、土地の権利も複雑でその様な大規模な土壌改良などできる物ではありません。土地利権の一本化と資本家の登場によりそうした事ができるようになるのであり、中世を舞台にした世界では農地の大規模開拓は無理でしょう。


 では生産性の上昇の方はどうかと言うと、むしろ善き領主ならやってはいけない事です。

マメ科がどうとか蕪がどうと言う園芸的な話ではなく、生産性の上昇と言うのは労働集約が進んだという意味であり、農家が土地と資本を失い労働力になり果てる事で生まれたと言う話になるのです。

 そもそも常識的に考えて、同じ土地の三分の二で穀物を作っていたのが四分の二、つまり半分でしか作らなくなるのにそれでそんなに増えるのか。

 必要な労働にしても三圃制なら三分の一を冬播き、三分の一を春播きで時期をずらして農作業をし、三分の一は放置で済んだのが、輪栽式農業では休耕地は無くなり、四つに分けた農地全部の面倒を見なくてはならず、穀物を作る面積は減るのに作業の種類は増え、家畜の面倒を見、やらなくてはならない仕事は増えるばかり。これが農地が地主に買い占められ小作農になった近代の農民の姿と言うわけです。

 しかし家畜分の収入が増えるのでは?残念ながらそれ程の収入にはなりません。牛肉1kgを作るのに穀物11kgが必要ですが、それ程の収入にはなりません。葡萄でも羊毛でもそうですが、資本家が商品にして高く売れる場所で売る前提での農業です。それまで必要のなかった肥料や家畜の為の器具や建物など費用の増大を個々の自営農家では賄いきれず、共同でやるにしても収入に見合わないものとなるでしょう。要するに小作農によるブラック農業前提で資本家が総取りの上で必要なコストを投資するという方法以外に成立しないのです。


 具体的に言うならJuliet B. Schor教授の計算によると、13世紀のイギリスの年間平均労働時間は1620時間に対し、ノーフォーク農業の時期の1840年は3105~3588時間と倍以上に増えています。職業別ではなく全労働者なのでこの時代に増えた工場労働者なども含めてですが、それでも農業だけが低い訳ではありません。特別な教育の必要が無い労働力と言う意味で等価なのが資本主義なのですから。


 ところで最初に挙げた1966年の数値はその後の研究によって書き換えられていて、生産性の上昇は下方修正され、土壌の改良によって大麦の成長が早くなりすぎ大麦から作るモルツの質が逆に低下するなど土地によっては三圃制の方が良かったという研究まであり、ノーフォーク農業の成果について見直しが進んでいます。

 時代が進むにつれ生産量と効率が上がっているのは事実ですが、農業革命と言うのは幻想になるかもしれません。

2022.08.20 エーカーのミスを修正、ドイツの土地単位の追加

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ