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女王蜂は愛を謳う


 好きです。愛しています。

 貴方の動揺も、困惑も、何もかもが愛おしい。私を見て、私のせいで心をかき乱されているクリス様のことを考えると、どうしようもなく胸が高鳴り息もできない程の高揚感に襲われるのです。

 なんて甘く素敵な日々なんでしょう。愛する人が私のために心を動かしているという充実感。幸せとはきっとこういうことなのね。

 愛しい人、私の運命。クリス様、貴女のおかげで私は幸せです。たとえ貴方が私のことを愛していなくても。


 前回の貴方もそうでしたね。愛していると、私だけだと甘い言葉を囁きながら貴方は私のことを本当に愛してはくださらなかった。

 何度繰り返しても、心の中に別の人を住まわせていても。いつだってクリス様の一番はお父君である陛下と兄君のフリッツ様だけ。国の為に、民の為にいくらでも自身をすり潰せる。

 ああ、本当に可愛い人。


 愛してくださらないくせに、一番にしてはくれないくせに。最後まで非情になれきれない優しい人。

 あの夕焼けの空き教室で、窓の外に飛び出した私に慌てて手を伸ばした甘い人。届かないことに絶望して青ざめたかわいそうな人。私の愛しい運命の人。


 いつも崩れ落ちる姿を最後まで見られないのは残念ですが、もっとたくさんあの人の表情を見せて欲しい。他の誰かが知らないクリス様をもっと見ていたい。

 私の存在にもっと心をかき乱されてほしい。私のせいで苦しんでほしい。私のことを恨んでほしい。私だけの貴方が欲しい。

 なんて、わがままが過ぎるかしら。きっと繰り返す前の私ならはしたないと押し殺していた感情なのでしょうけど、でも私がこうなったのは貴方があんな表情を私にむけたからなんですよ? クリス様。


 貴方は何度繰り返しても婚約者として迎えてくださった。もちろん我が家と王家の格や利害の関係もあったでしょうが、私との婚約を受け入れてくれた。

 きっとクリス様にとって婚約者とは、愛を育む物ではなかったのでしょうね。ええ、わかっていますわ。私も貴族の娘ですもの、望まぬ婚姻もあるということくらいわかっています。


 けれど、愛もないのに優しくするだなんてとても酷いことだと思いませんか?


 手に入らないその先を期待させておいて、けして貴方に触れさせてはくれない。だから私は貴方に愛されることを諦めた。貴方が愛してくれなくても、私が愛していればそれでいいと気付いたの。

 だってそうでしょう? その方がずっといいもの。私が愛してさえいれば、悲しいことなんて何もない。

 貴方の心がどこにあろうと愛してさえいればずっと幸せな気持ちでいられる。クリス様のくれるすべてのことが私の愛へと繋がっていく。


 クリス様が私を殺した数だけ私は幸せな時間を繰り返すことが出来る。クリス様はお優しいから、事故として処理されるようなことであっても自分が殺したと思い悩んでしまうんでしょうね。

 可愛い人。愛しい人。ああ、次はどんな死に方をしようかしら。そして貴方はどんなお顔を私に見せてくれるのかしら。


「お嬢様、旦那様がお呼びです」

「あら。何かしら?」

「なにか、大切なお話があるそうですよ」


 随分と白々しい言い回しだけど、『今は』まだ子供の私が偉大なお父様の考えの内がわかるわけもないので、少し大げさなくらいが年相応でかわいらしいでしょう? まぁ、本当はこの後お父様からお話しされる内容もちゃんと知っているんですけれど。

 あのお茶会の日から数日経った。ならきっとクリス様との婚約の内示でしょうね。多少の前後はあってもいつも一週間以内にはお声かけを頂いていましたから。

 部屋を訪ねてきたメイドに簡単に髪を整えてもらう。これから素敵なことが起こるのだもの、かわいらしくしておきたいでしょう?


 ゆったりとした動作で立ち上がり自室を出る。その時々でいくつか起こることに差異があるから、今回は何年この家にいるかはわからない。それでもこのホーネットのお屋敷は私が生まれて死ぬまでの間住み続ける家で。

 メイドたちにより手入れの行き届いた廊下を弾む心を落ち着かせ、努めて緩やかな歩調で進んで行く。

 それでも逸る気持ちが隠しきれないのか、メイドたちにすれ違うたびに「ご機嫌ですね」と声を掛けられてしまった。ええ、そうよ。機嫌も良くなるに決まっているわ。だってこれからクリス様との婚約の内示を受けに行くのだもの。

 メイドたちに笑顔で手を振れば私の晴れやかな気分が移ったかのように、彼女たちも笑顔で応えてくれる。本当に、今日も素敵な日ね。


「お父様、ミランダです」

「入りなさい」


 スカートの裾を軽く払ってお父様の書斎の扉をノックする。

 扉の向こうでは厳格な父がこちらを見ていた。落ち着いた色合いの壁紙にインクの匂い。お仕事をしていたのかしら、大きな窓を背にして書斎机に座っている。

 この後のことはよくわかっている。だって何度も繰り返したもの。誰に対しても、まだ五才になったばかりの自分の娘に対しても、しかめっ面な荘厳な態度で私が求めてやまない言葉を下さるの。

 私の目と同じようで微妙に違う赤い瞳が真っ直ぐ向けられている。お父様が重々しい口調で私に問いかけた。


「ミランダ。お前はクリス殿下と婚姻する気はあるか?」


 何度も聞いた、何度も求めた言葉。ありがとうございますお父様。貴方は今回も私が幸せになるための手伝いをしてくれるのですね。

 愛していますわ、お父様。クリス様に向けている物とは少しだけ違うモノですけれど。いつだってお父様は一番最初に私の欲しい言葉を下さすんですもの。今回も、私が死ぬまでの間、仲良くしましょうね?

 口元が緩みそうになるのを必死に耐える。答えなんて決まっているもの。小さく深呼吸をして、もう一度息を吸った。


「つつしんでお受けいたしますわ」


 ああ、幸せ。



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