浮世の夢よ
「今日は放課後、ナタリーたちとサロンでお茶会をしようという話になりましたの」
「君と帰れないのは残念だが、楽しんでおいで。ああ、くれぐれも帰りは遅くなりすぎないように」
いつもの調子でにこやかにミランダに手を振り見送る。ポイントはきちんと彼女を思っていることを伝えることだ。
思えば繰り返す前は少し彼女に対してあっさりとしすぎていたのかもしれない。それが彼女を凶行に走らせた原因というのなら、これだけ丁寧に気持ちを囁き続ければきっと悪いことにはならないだろう。
ミランダと婚約を結んでから十三年、随分長かった。今では空で睦言を言えるようになってきた。最初こそ羞恥で穴を掘りたくなったが耐えきったさ。
そうだ、私はやったのだ。順風満帆と言ってもいい。ここからどうすれば転がり落ちることが出来るのか是非とも教えて欲しいものだな。
あのお茶会の日に巻き戻った時は焦りもしたし構えもしたが、慣れてくればこんなものである。今では学園内でもよき婚約者として名が通っているほどだ。
そう、学園。学園だ。十三年の月日を経て私は成長し、前世で栗栖祐一がやっていたスマホゲームの時間軸まで来てしまった。なお、ゲームの内容はあの男がスキップ機能を使っていたためほぼ覚えていないというお粗末な状態だが何とかやれている。
いや、正直どこで地雷を踏むかわからないので可能な限り学園行事などは可能な限り裏方に専念しているのだが。
それにしたって今のところミランダに変な動きはないし、この調子なら今から二年後に彼女が凶行に走ることもないだろう。勝ったな。
いくらミランダが知識や方法を知っていても、善行だろうが悪行だろうが結局人手がないと何もできないのだ。時に高い地位は、人は動かせるが自分は動けなくなる。事実私も「婚約者の周辺警備」という名目で裏から彼女の同行を監視させている訳だし。
「相変わらず、お熱いですなぁ」
不意にかけられた声に振り返ればなんとも面白いものを見たという顔をした友人二人が経っている。そうは言うが君たち二人もいざとなれば甘い言葉を振りまくんだろう? 私は知っているぞ。何せ君たちもあのゲームの所謂攻略対象者というやつなのだからな。
運命力というか世界の修正力とでもいうのか、いつの間にかよく話すようになっていたこの二人の友人はやはりゲームでも仲が良かったらしく三人でいるスチルのあった気がする。
記憶が曖昧なのは言わずもがな、栗栖祐一が興味を持たなかったせいだ。あの男は本当に本能に忠実だったからな。ある意味私より幸せだったのかもしれん。
「婚約者に思いを伝えるのは別におかしなことではないだろう?」
「あー出た出た。クリス様語録」
「おかしくはないですが、さらりと出るのが流石というか」
別に恥ずかしくないわけではないからな? 私だって人並みに羞恥心はある。それでも未来のこの国のため、ひいては私の精神の安定のためを思えば、メイドのメアリとアンに協力してもらい女性の喜ぶ言動というのを研究したんだぞ。
とりあえずケタケタと笑っている方の友人、ギルベルトの脇腹を小突いておく。この男はどうしてこう頭もいいし有能なのだが言動軽いというか、文官になるのだからもう少し威厳というものをだな……。
対するレノックスの方は誠実で気立てはいいがあまり話すのが得意ではないらしく、騎士の家系の出ではあるが落ち着いたイメージがある。
色眼鏡で見るわけではないが、ここがゲームの世界だとしてキャラ造詣が逆なのではないかと思うのだが。ただ以前テンションの上がったアンに「女の子は皆ギャップに弱いんです!」と語られたことがあったからなぁ。これがそのギャップというやつか。よくわからん。
まぁ、栗栖祐一の記憶と知識を受け継いで以来色々と思うことはあるが彼らはいい奴だ。事実巻き戻る前もよく私のことを助けてくれたからな。
そういう意味でも再び彼らと友人関係を築けたということは私にとっても財産だ。浮かれるなと言う方がむりだろう。
「そういや知ってるか? 巷では第二王子は付きまとい気質があるって噂」
「待て、なんだその噂。私は婚約者の監督をしてるだけだぞ」
「そういうところでは?」
君たち敬えとまでは言わないがもう少し礼節をだな。 王位を継承する気がないとはいえ君たちよりずっと身分は上なんだからな。せめて公的な場所ではちゃんとしなさいよ?
それになんだそういうところって。怪しいことをさせない、近付かせない、それだけでこの国の未来と私の精神が助かるんだぞ。やるだろ。
気になる動向もないし、可能な限り彼女との時間を取るようにしているからかミランダとの間も悪くはない。勝ち確というやつだな。
因みにゲームの主人公であるアリス嬢も学園に在籍しているのだが、今のところ交流らしいものはなく時折遠目で姿を見かけるだけだ。
一つ下の幼馴染と仲が良いようなので、そのまま末永く幸せに暮らしてほしい。ミランダにとって何が爆弾になるかわからないので割と切実に。
「俺たちもどこか行くか?」
「東の通りに新しいサロンができたとか」
「お、いいなそれ。クリスはどうだ?」
「付き合おう」
男三人で取り留めのない話をしながら過ごす放課後。
猶予はあと二年ある。無論気を緩め過ぎるつもりはないが、それでも学園最後の年だ。少しくらい青春とやらを楽しんでも罰は当たらないだろう。
国の為に尽くす気はあるが遊びやゆとりがないと人間ダメになるらしいからな。学園を卒業すれば公務に専念することになるんだから学生の内にしかできない放課後の余暇というのを楽しもうじゃないか。
ミランダの凶荒が表沙汰になったのは二十の時、この調子ならきっと大丈夫。
きっとあの時は何かの間違いだったんだ。元々ミランダは真面目で努力家な女性だ。私が読んだあの日記だって誰かの悪戯だったのかもしれないし、何ならすべて私の妄想として終わらせてくれてもいい。
だから私は、多分彼女のことをきちんと理解しきれていなかった。
彼女にとってあの日記に書かれていたことはすべて真実で、あの日記の通り正しく記憶を持ったまま繰り返していて。何よりミランダは私に強い感情を抱いているということ。
放課後、夕焼けに染まる空き教室。夕日に照らされ彼女の頬が赤く色付く。生徒会の用事で遅くなった私をミランダが空き教室で待っていてくれた。この後はいつもの様に彼女と二人帰宅するだけだった。
柔らかな笑顔を私に向けたままミランダが窓の縁に体を預けている。
「私、欲しいものがあるんです」
そこから先は一瞬の様な、永遠の様な。脳が理解をするのに途方もない時間を要した。
彼女の体がぐらりと後ろに傾いて消えた。伸ばした手は届かなかった。ドサリという嫌な音が耳にこびり付く。
私にわかることは、ミランダが最後まで笑っていたことだけ。