砂塵の姫と兄君の話
100回目の彼女らの話。
面白い男がいる。
その男こそ、我が婚約者にして隣国の王子。容姿と頭脳で、名声も人心も欲しいままにしているフリッツ様だ。
見た目はどこぞの彫刻を思わせるほど美しく、十人いれば十五人が振り返るほど容姿端麗であるのにもかかわらず。その美貌で人々を魅了する傍らで、「果実の皮で人は本当に滑るか否か」ということを真剣に考えるような男。
全く以て意味が分からない。顔面の無駄遣いとはこのことでしょう。若くして様々な政策を打ち出しており、頭は悪くないはずなのに。この人はいつもそう、真面目な顔をして何を考えているんだか。
あえて彼の思考に付いて何か言うのであれば、「果実の皮で人は本当に滑るか否か」は「場所による」としか言いようがない。
砂地であれば摩擦で滑らないだろうし、大理石の様なつるりとした床の上ならば滑るでしょう。……感心した顔で見ないでくださいまし。最近思考回路がフリッツ様と似てきたのではないかと不安になっているのですから。
とにかく。この変なことを考えている男こそがわたくしの婚約者なのです。
わたくしも一国の姫ですし。政略結婚の一環として他国の王子と結婚することに不満はないのですよ? 様々な事情もありますし、何より国にとってもわたくしにとっても良い条件でしたので受け入れました。
例えフリッツ様の思考回路が面白可笑しいことになっていても、婚姻の条件には何の問題もなかったのですから。別に面白可笑しい男が嫌いなわけではないですし。
顔に付いてはまぁ、もう少しお兄様たちのように雄々しく堀の深い方が好みですが、これも慣れれば気にならないかもしれません。
と、そんな特に大きな不満点もなく受け入れた婚約ですが、思い返せば幼い頃からこの男は俗にいう美少年で、しかしながら可笑しな男の鱗片を見せていた気がする。
フリッツ様が初めて我が国に来た時は手持ちの磁石を持ってきて「これで砂鉄を集めれば金策になるのでは」とワクワク顔でやって来たのを今も覚えている。
当時幼かったわたくしは、一体何を言っているのか分からず首を傾げていたのだが、今思えばあれは彼が本気で言っていたのだと今になって確信している。
えぇ、確かに彼はあの頃から聡明な方だったと思いますとも。だからこそ、こんなアホみたいなことを真面目に考えていたのだと。
しかし、その頃から彼の言動はかなりぶっ飛んでいたと思う。いやまぁ、それは置いておきましょう。
とにかく、わたくしたちは幼少期に出会いました。そしてその時、まだ幼いながらも彼は既に可笑しな人でした。
別に常識から外れている訳ではないのです。ただどうしてそこが、というところが気になってしまうだけで。
大きくなってからはそこまで変なことを大衆の前で口走ることは減りましたよ。わたくしの前では相変わらず、色々と零れ落ちていましたが。
ある時突然「クールな男になる」と言い出した時は頭でも打ったのかと思いました。よくよく聞いてみれば「喋るとボロが出るから」なんて理由で。
なんと言いますか、整った顔に似合わず愉快な男で感心するばかりです。
まぁそこが、この男と一緒にいて飽きないところでもあるのですが。
ただ、そうですね。少し意外だったことが一つ。
いつだったか我が国の伝統舞踊を観劇された際に、踊り子の際どい衣装に目を奪われていたことがありまして。
別にその程度のことで目くじらをたてることもないのですが、しばらく釘付けになった後こちらに気が付いて目を泳がせておりました。
表情こそいつもと変わらなかったのですが、あれは完全にどうようしていましたねぇ。
お父様が色事を好む方でしたし、男性には少なからずそういったところがあるものだと承知していたつもりなのですが。ああ、この人もお父様たちと同じちゃんと男だったのだなぁと。
そういう意味では少しだけ安心してしまいましたね。この面白いだけの男にもちゃんと人として健全な欲求があったのかと。
とはいえ、その程度です。余所見くらいなら他の殿方にもよくある話ですし。むしろ、この男の今までの行動の方がよっぽど問題でしたもの。
さて、この男の面白可笑しい発言と、ちゃんと一人の男だったという安心感に慣らされたわたくしがなぜこんなことをしているかと言いますと。
いつもは二人になった瞬間堰を切ったように気になったことを話し出す男が今日は妙に大人しい。
いえ、大人しいというよりも、上の空と言った方が正しいのかもしれない。黙りこくっているかと思えばそわそわしたり。
何か言いたいことがあるのだろうけど、それが何なのか分からないといった様子だ。……これは珍しいこともあるものだと思うと同時に、大変面倒臭い予感もする。
そもそも普段は遠慮なしに何でもかんでも言って来るくせに、こういう時に限って何も言わないのがまた腹立たしくて仕方がない。
仮にも婚約者であるわたくしに対して何か言いたいことの一つや二つあるでしょうに。それを言えない理由とは……?
わたくしのため息にも気付かぬほど何かを悶々と考えて時折頭を抱えているフリッツ様を横目に紅茶を一口。お気に入りの茶葉でいれたはずなのにあまりおいしいと感じないのはこの状況が面白くないからかしら。
いい加減目の前で呻いている男を眺めるのも飽きたので助け船を出してやるべく声を掛ける。
それで。さっきからどうしたというのです?
「弟に……」
この男が弟君を大切にしていることは以前からよく聞き知っている。
それこそ腹違いで色々とややこしい事情が絡みついてはいるけれど、それでもたった一人の弟だと嬉しそうに話していたのも。
その弟君に何かあったのでしょうか。もし、何か困っていることがあるのならいくらかお力になること自体はやぶさかではないのですけれど。
まぁ頭の良い方ですからわたくしの思いつくことであればある程度この方も思いついていそうなことですが。
そう思いながら言葉を待っていると、フリッツ様は意を決した様に真剣な眼差しで見つめてきた。思わずこちらも身構えてしまう程に真っ直ぐな瞳だった。
あぁ、これはきっと大切な話をされるのだろうと察して姿勢を正す。
これほどまでに真剣に、この人が頭を抱える程のこと。一体弟君になにが会ったのかしら。
「弟に婚約者を自慢された」
……もしかしてですけど。
これフリッツ様よりも弟君の方が恋愛レベル高くありませんこと?
【面白い男とそれを楽しんでいる女の話】