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手を伸ばせなかった侍女の話 

ループ97回目の話。


 私は昔から、私が嫌いでした。

 きつく見える目元も、愛想のない性格も。私を構成する何もかもが嫌いでした。同世代の女の子たちは皆ふわふわしていて可愛らしいのに、どうして私はこうなんだろう。皆なにが楽しくてあんなににこにこできるんだろう。

 どうすれば皆みたいにできるのかわからなくて、いつも疎外感を感じていました。笑う練習なんてものをしてみたけど、違和感を覚えてすぐにやめてしまった。

 下級貴族の娘ではあったけど、そんな愛想の悪い私に婚約の話なんて来るはずもなく。なんとなくいたたまれなくて家から逃げるように王家へ奉公へと飛び出したのです。


「それではこの部屋を使ってくださいね、メアリ」

「わかりました。パトリックさん」


 目の前の男性はで穏やかに微笑んで私を迎え入れてくれた。

 離宮で一人まだ幼い王子様の世話係をしている老齢の執事はいつも笑顔を絶やさない人でした。おしゃべり好きで、彼は物腰も柔らかくとても優しかった。どうしてそんな風に笑えるんだろう。わからない。


 私が配属された離宮は随分とこじんまりしている。この屋敷には私と彼、それから仕えるべき小さな主しかいない。

 なんでも小さな主は側室の御子で、正妻である王妃様からはあまり好まれていないらしい。そのせいか必要最低限の人員しか離宮に回されることはなく、配属されると決まった時、私の教育をしてくれた先輩に酷く同情されてしまった。

 私としては人が少ない方が、余計な気を遣わず楽でいいのだけれど。


 ただ先輩の言う通りならこれから会うことになる小さな主は、あまり良い環境で過ごしてこなかったに違いない。そう思うと少し憂鬱な気分になった。

 これから会う小さな主に対し、可哀そうだなという感想はある。でも、結局それだけ。私に主の気持ちに寄り添うことは出来ないし、きっと主も私みたいな陰気な女に同情されたくもないだろう。そう思っていたのだけれど。


「話は聞いてるよ。よろしくね、メアリ」


 思っていたよりもずっと明るい人だった。

 幼さ故、自分の立場を理解していないのかとも思ったけど、そういうわけでもなく。聡明で、それでいてユーモアのある人だった。


 小さな主、クリス様はよくわからない人だった。愛想のない私に飽きもせずに話かけ、あまつさえ友人のように接する。それも、ごく自然に。

 最初は戸惑った。

 けれどそれも次第に慣れてしまった。こんな私にも分け隔てなく接してくれる彼に、いつの間にか心を許してしまっていた。


 彼のことは嫌いじゃない。むしろ好ましいと思う。

 だけどそれは彼が私にとって初めての"友人"だったからかもしれない。だから私は、彼を異性として意識することはないと思っていた。

 それが少しだけ変わったのはあの子が新しくメイドとして雇われた時だった。


「アンです。玉の輿に乗るためにメイドになりました!」


 すごいのが来たなと溢したクリス様に口に出すことはなかったけど同意しかない。

 初めて会った時から彼女は元気いっぱいの女の子だった。見た目こそ幼いが、中身はしっかり大人びているように感じられた。明るく活発で、いつも笑顔を絶やさず。私とは正反対の愛嬌のある子。

 この子もクリス様と同じ様に私に話しかけてはころころと笑っていた。私はそれに戸惑いつつも、悪い気はしなかった。初めての友人のような存在が二人もできたことが嬉しくて仕方がなかったのだ。


 ただ、アンはちょっと奔放な所があった。一応節度は守っていたようだけど、良い仲の男性が途切れたことがなかった。

 期間が被っていることもなかったし、どの人とも円満に別れているようだったので私から何か言うことはなかったけれど、相手が毎回名家の次男か若手の騎士であるのには一周回って感心してしまった。


 彼女は「玉の輿に乗りたい」と言っていたけれど、婚姻というものが本当にいいものなのか私にはわからなかった。アンはいつも楽しげに恋愛話をしていたけれど、私はよく理解できなかった。

 恋に憧れがないわけではない。けれど自分がそうなるというのは想像出来なかったから。

 いつか私も誰かを愛し、結婚をして家庭を持つことがあるのだろうか? 想像してみてもよくわからない。

 ただ、もし結婚したらクリス様とこうして話すことも無くなるんだろうなと思ったら、少しだけ寂しいような気がした。


 それから何年か経ったある時、クリス様が国外へ留学に行くと言った。パトリックさんが退職する前年のことだったから、丁度良かったのかもしれない。

 仕事に支障が出ることはなかったが、年齢的に大変になってくる頃だった。クリス様も大きくなられて、私とアンもパトリックさんの指導のおかげで充分仕事ができるようになっていました。

 留学先はアフダル王国。海を越えた先にある砂塵の国。


「手当も出すから、良い人がいたら家庭に入りなさいよ」


 こともなさげにクリス様はそう言った。あの人は一人で異国に渡るつもりだったらしい。見送ったら、もう二度と会えない気がした。


「私も行きます」


 気づいた時には口から出ていた言葉。

 目を丸くしてこちらを見るクリス様と目が合う。


「しかしだな……」

「私も連れて行ってください」


 何を言っているんだろう、私は。

 でも一度口から出た言葉を無かったことにはできない。クリス様は困った顔をしていた。けれど、結局最後には笑って私のわがままを受け入れてくれました。

 アンに至ってはその話を聞いた後すぐに相手を連れてきて「結婚式に出てください」と言ってきたのはあの子らしくてちょっと笑ってしまった。


 そうしてあのこじんまりとした離宮は空になって、私はクリス様と共に海を渡った。

 雨季が少なく僅かな緑と砂に包まれた国は、砂埃とスパイスの混じった不思議な匂いがする。慣れない異国の生活に戸惑うことも多かったけど、二人でなら何とでもなった。


 クリス様は、学生の間は休みになると良く私を連れて露店や市場を練り歩いた。

 特別特産物や交易品に興味があったわけではないようだけど、いつの間にか資格を取得して来て卒業と共に交易商になってしまった。

 もちろん最初は大変だったけれど、露店から初めて、小さいながらに店を構えるほどにまでなった。


 離宮にいた時の様な暮らしぶりは出来ないものの、二人で慎ましく暮らすには事足りる程度の売り上げ。忙しい時には近所に住んでいるボリスが手伝いに来てくれる。

 大きな変化はないけれど、私にとっては充分すぎるほど幸せな日々。このままずっと、こんな毎日が続けばいいと願っていた。


「あの人ヘタレだからさ、メアリさんの方から言い寄っちゃえばいいのに」


 なんて、ボリスは時々現状に不満がありますと言うような顔をして言っていたけれど、この時は本当にこのままでいいと思っていたの。

 でも。今にして思えば、ボリスの言う通りにしておけば何かが変わったのかもしれない。幸せな毎日が、永遠に続いたかもしれない。


 けれどクリス様は、帰ってこなかった。

 先日成人したばかりのボリスを連れて男二人で飲みに行ってくると、楽しそうに笑って出ていったきり。

 飲み屋を出て、ボリスを家に送った後からの消息がぱったりと消えてしまった。


 色んな人に頼って探してもらった。警察の方にも、普段から世話になっている商会の方にも、本国にいらしたジャンナ様やクリス様のお兄様も。色んな人に協力してもらったけれど、あの人は見つからなかった。

 クリス様が失踪するわけがない。

 店も順調で、このまま小さなままでいいから店を営んでいきたいと語っていた。そんな人が何も言わずいなくなるわけがない。


 なら、何か事件巻き込まれたに違いない。色んな方に手伝ってもらってわかったのは、路地裏に人位の大きさの何かが倒れた後と、乾燥した血の跡があったことだけ。

 クリス様かもしれないし、そうじゃないかもしれない。結局、結局クリス様は見つからなかった。

 その時初めて私は後悔しました。もっと早く、伝えられていれば。現状に甘えてあの人の手を取らなかったから。だから、永遠に、私はクリス様を失ってしまった。


 多分、きっと、好きだった……。

 仕入れ品を並べ自慢げに笑う顔も、上手くいかない時に少しだけふざけた物言いをして後から自己嫌悪している背中も、いつの間にか私よりも大きくなっていた手のひらも。

 ずっと好き、でした。


 けれどもう、あなたはいない。この国の砂のように手のひらをすり抜けて——、いえ。私は手を伸ばしすらしなかった。

 どうして、手を伸ばさなかったのだろう? 私が、臆病者だから? それとも……。わからない。わからないの。


 ごめんなさい。クリス様。

 あなたに、伝えていないことがありました。

 本当は、わかってたんです。

 私は――。


「あなたを、愛していました」


 この言葉は、きっとあなたには届かない。



【ある手を伸ばせなかった侍女の話】

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