鐘の音は響く
あの後しばらくの間抱き合っていたのだが、ふとした拍子に二人して我に返り、妙に気まずいまま同じ馬車で帰路に付くことになってしまった。
願っていたはずの甘い展開は、いざ実現するとどうしていいか分からなくなる。叶うならもっとスマートにミランダの心を掻っ攫うくらいしたかったのだが、どうしてこうも現実とは無常なものなのか。
そんなこんなでお互い悶々としたままそれぞれの家に分かれて一晩過ごし、今に至るというわけだ。正直な話まだ夢だったんじゃないかと少し疑っている。
やらなければとは思っていたし、どうにかしたいとも思ってはいた。しかし本当に私にどうにかできるのかとも思っていた。
私はミランダを今までずっと傷つけてきたし、嫌われても仕方ないと。その上でさらに彼女の願いを否定することを言ったのだから。だが彼女は私の気持ちを受け入れてくれたのだ。嬉しくないはずがない。
それでも……その後どうしたらいいのか分からないというのが本音である。
正直この先のことを全く考えていなかった。
いや、もちろん学園を卒業後父上たちの手伝いをしながら、政や領地経営などを学び、ホーネット家へと婿入りするというのは決まっていることだ。しかしそれは言ってしまえば私個人の今後のことだ。
ではミランダとのその後の関係は。もちろん、婿入りするのだから正式に結婚するのだろうが、果たしてその先も一緒にいることができるのだろうか。
そもそも私は彼女に幸せになってもらいたいと思っていたはずだ。なのに私は傷つけて不安にさせて、ミランダの気持ちに付け込んで。それでいて彼女を幸せにする自信があるのか?……無い。何一つとして自分に自信を持てるものが無い。
それどころかこのままでは彼女を傷つけてしまうのではないかと思うほどだ。
そう考えると急に怖くなってきた。
彼女が受け入れてくれて舞い上がっていただけで、結局私の我儘を押し付けただけなのだから。
もっと早くに自分の気持ちを伝えるべきだった。
ただ今回の一件で私とミランダの関係は大きく変わったと言ってもいい。ならばこれを機にもう一度、なんておこがましいことを考えている。
まぁ、そんなことを考えたところで時計の針は止められないし、日は沈みまた昇る。些か面倒ではあるが既定の時間になれば授業は始まるし、それが終われば生徒会の雑務を熟さなければならない。
「何かいいことでもあった?」
「あー、うん。ミランダとちょっと」
「うわ。なんだ、惚気か?」
相変わらず容赦のない男たちだ。
課題が多いとは言え、今日くらいいいだろう。やっと、普通の婚約者に成れたのだから。
いつもの顔ぶれで特に意味もなく中庭に屯する。
少し風は冷たいが、まだ日が高い分さほど寒くはない。男三人で何してるんだろうな。別に集まって何をしているわけでもない。ただなんとなくこうして集まって適当に喋って帰るだけだ。
「惚気というか……いや、惚気になるのか?」
あら。やぁねぇ。なんて口元に手をやってギルベルトとレノックスの頭をそれぞれはたいておく。
お前らがやっても可愛くないんだよ
「まぁ、今まで言えなかったことをちゃんと話し合えただけだよ」
もう二度と、なんて強くは言えないがそれでもできる限りすれ違うことがないように、これからのことをしっかりと話し合ったのだ。
その結果が今の私たちの状態なのだから、やはり惚気に聞こえるかもしれない。でもあれは必要なことだった。きっと私たちは互いに言葉足らず過ぎたのだ。
もう少し話すべきだった。時間だってあったのだから。これからはそれを継続していけたらいいのだが。
「ふーん。良かったじゃん」
「ん。ありがとうな」
素っ気ないような、それでいてこちらを気遣っているようななんとも曖昧な声色のレノックスに軽い礼を言って、男三人でだらだらと取り留めのない話す。
時折、誰かしらが話題を提供してくれるのでそれに相槌を打つだけのことも多いのだが、こういう時間は嫌いじゃない。
中庭はそれなりに人通りも多いし、生徒以外にも職員や来客の姿もある。ふと、校舎の方を見るとミランダの姿を見つけた。
向こうも気づいたようで、手を振ればこちらに向かって歩いてくる。そしてそのまま私の前まで来ると、その赤バラの瞳で真っ直ぐに見上げて口を開くのだ。
「今日、やっぱり待っています」
彼女が口を開くのと同時に隣にいたはずのギルとレノがスッと席を外す。出来る男か? いや、奴らは私とは違い出来るタイプの人間だったな。
待っている、とは。恐らく今日の放課後のことだろう。
今日は生徒会の雑務が多くなりそうだから先に帰っているようにと今朝会った時に伝えておいたのだ。出来れば早いうちにと帰ってほしいと思っているのだが。それでも彼女は待つという。
「正直、今日はかなりかかると思うよ?」
「かまいません」
困った。いつもより少し強情な気がする。
気持ちは嬉しいが、家に付く頃には日が落ちてしまう。そうなると当然、彼女の家族にも心配をかけてしまうだろう。
だが、それでも彼女は引くつもりは無いらしい。これは説得するのは難しそうだ。
「一緒に、帰りたいのですが、いけませんか?」
「ダメじゃない」
しおらしい表情で見つめられては断ることなどできない。私の返事を聞いてぱっと明るくなった笑顔を見て、心の中でため息をつく。
「では、空き教室で待っています」
それだけ言うと彼女は踵を返して駆けていった。
その背中を見送っていると、いつの間にか隣に戻ってきていたギルとレノックに肩を叩かれる。その顔には生暖かい笑みが浮かんでいて非常に腹立たしい。
何だ? 言いたいことがあるならはっきりと言え。
あぁ、いや。いい。必要ない。お前らの気持ちはよく分かったぞ。私は無言で二人の脛を思いっきり蹴飛ばした。
けらけらと笑いながら悲鳴を上げる二人を無視して私は足早にその場を離れた。
まったく、恥ずかしいったらない。
遠くで鐘がなる。高く、それでいて学内に響く鐘の音だ。
だらだらと続けていた休憩時間が終わりを迎えるれば、生徒たちも慌ただしく動き出し、また眠たい午後の授業が始まる。
こうして毎日が続いていく。変わらない日々だ。しかし、ほんの少しだけ。変わった。多分きっともう、ミランダは繰り返さない。時計の針は巻き戻らない。
その為の努力を私もしていくつもりだ。
なんとなく、口角が上がる。面倒だと思っていた生徒会の雑務が待ち遠しい。
少しでも早く終わらせよう。それで、早くミランダに会いに行こう。
そう考えただけで子供みたいに弾む自分の心に、我ながらなんて単純なんだと苦笑した。
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