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そこにあるもの


「好きだ」


 ほんのりと暖かいミランダの手を握りながら告げる。

 目の前では彼女が少し間の抜けた顔を作っていた。私としてはもう少し照れてくれるような反応を期待していたのだがなんというか、そう上手くは言ってくれないらしい。ただ思っていたのとは違う反応だが、これはこれで印象が変わって可愛らしいと思う。

 白く細い指は固まったまま私の手の中にある。思いの外すんなりと口にすることの出来た言葉は私の中では馴染むように響いたが、果たしてミランダにはどのように聞こえたのだろうか。


 真っ直ぐに私を見つめる赤い瞳は大きく見開かれ、本当に困惑しているのが見て取れる。そこまで以外だっただろうか。

 確かに話が少し飛んだかもしれないが、それでもこの繰り返しに気付いていると伝えた上で話したかったのは私自身の気持ちだ。わからないことや私には解決できないこともまだあるが、それでもやっと固まったこの気持ちだけは伝えておかなくてはと思っていた。


「なにを、おっしゃっているんですか……」


 目に見えて動揺したような顔で、いつもの凛とした声ではなく震えた声でミランダが唱える。

 理解できないというような、そんなことありえないと自分に言い聞かせるような、そんな口ぶりだった。まるで受け入れたくないかのような反応に苦笑する。

 しかし、そんなことをしても先ほどの言葉が消えたりしないのはミランダも分かっているようで、私から視線を外さないままにこちらを見上げを続ける。


 ……あぁ、やっぱり彼女は優しい。

 その瞳には困惑の色がありありと浮かんでいたけれど、それと同じくらいに後悔や罪悪感のようなものが見え隠れしているのだ。だから私はもう一度微笑みかけてみる。今度こそ取りこぼさないために。


「好きだよ、愛しているといってもいい」

「ま、待ってください!そんなこと、突然おっしゃられても困ります」

「それはどうして?」


 何も可笑しなことはないだろう、私たちは婚約者同士なのだから。

 そう言外に含ませるように見つめ返すと、彼女は何かを言いたげに口を開閉させた後に俯いてしまった。本当にどうすればいいのか分からないといった表情だ。


「……あなたが、私を好きになるわけがありません」

「うん?なぜそう思うんだい?」

「だってあなたは……」


 口に出しかけた言葉を少しの間躊躇った後に、観念したように彼女は吐き出した。


「あなたの心にはいつも私ではない誰かがいるじゃないですか」


 そんな風に見えていたのか。

 彼女をないがしろにしていた自覚がある分、言い訳のしようもない。どんな風に接してもミランダが私から離れることはないと思っていたし、実際に彼女は私から離れていくことはなかった。

 確かに過去には浮ついた心もあったし、彼女よりも国や兄上たちのことを考えることが多かったのも事実だ。でも、向き合いたいと思ったんだ

 もう二度と繰り返さない、なんて強い言葉は言えない。本当の意味で理解し合うことなんてできないのかもしれない。それでもこの手を離したくはないと。


「確かに、君よりも優先すべきものがあったことは否定しないよ。だけどね、これから一緒に歩いていきたいのはミランダだけなんだよ」


 信じられないというような彼女の様子に胸の奥がチクリと痛む。

 けれど、ここで引くことは出来ない。彼女に嫌われても、この想いだけは確かに私の胸の中にあるのだから。


「私が、あなたに愛されるわけがない……」


 まるで呪文のように繰り返す姿に思わず抱きしめそうになる手を抑え込む。そんなことをしたらきっと彼女はまた逃げてしまう。それに、こんな状況で抱きしめても彼女に受け入れてもらえる自信がなかった。

 視線を合わせれば怯えたような瞳が私を見つめる。その表情はひどく痛々しくて、胸が締め付けられたように苦しくなった。


「……信じてもらえないだろうけど、本当に君のことが好きなんだ」


 私の気持ちが伝わればいいと思いながら告げると、ミランダの表情が、ぐしゃりと歪む。その目からは大粒の涙が流れていて、思わず息を飲んだ。

 やはり私は彼女の信頼を勝ち取れていなかったということなのか。


「どうして、そんなことが言えるの?」

「ミランダ……」

「覚えているというのなら、私は、何度も貴方の前で!」


 絞り出すような悲鳴のような声だった。

 自分の罪を悔いているような、懺悔するような響きをもった叫び、それを私は黙って聞くしかなかった。


「最初は違う誰かを見るあなたが憎くて仕方なかった! どうして私を見てくれないのかと嫉妬したわ。ずっと側にいたのに、あなたの一番になりたかったのにっ」


 泣き叫ぶようにして紡がれる言葉の数々を受け止めることしかできなかった。今まで見たことがないくらいに取り乱す姿に困惑する。


「だから何度繰り返した! あなたに見て欲しくて、あなたが遠くに行ってしまわないように何度も!」


 あぁ、そうか。どうやら思っていた以上に私は彼女をずっと苦しめていたのだ。

 その苦しみを本当に理解出来もしないくせに、私はまた彼女を傷付けようとしていたのか。これは自分勝手に想いをぶつけるばかりで、彼女の本心に寄り添うことを怠った私への罰なのだろうか。

 それでも目の前で何度も死なれるのは嫌だと思ってしまった。それがどれだけ身勝手で傲慢なことだと分かっていても、手放したくなかった。許さなくてもいい、君を苦しめていることは百も承知だ。


「いらない。また苦しくなるなら何もいらない……このままでいい」


 何度その言葉を繰り返したんだろうか。

 何度も繰り返していたい。このままどこにも行けない関係に留まり続けていたい。いつの間にかミランダは諦めたように俯いていた。顔を隠すように俯いて、肩が小さく震えている。


「あなたが私の停滞を否定するのなら」


 ポツリと呟かれた言葉に思わず身体が強張った。

 その先の言葉をなんとなく知っていたから。


「殺してほしい」


 予想通りの答えに、思わず顔を歪めた。どうあっても彼女は停滞を望むらしい。

 いつか来るかもしれない心変わりに怯え、今のぬるま湯に浸っていたいということだ。彼女の望む物は、本当にこの先の未来で手に入らない物なのだろうか。

 ゆっくりと息を吸う。ここで選択を間違えてはいけない彼女は私を拒んでいるわけではないはずだ。ならば。


「どうせ死ぬなら、私の腕の中で死んでくれ」


 彼女は驚いたように顔を上げた。

 あと少しのところで手からすり抜けてしまうのはもう懲り懲りだ。あの喪失感は耐えがたい。

 握っていた手をゆっくりと手放してもミランダが逃げ出すことはなかった。腕を回して抱き寄せると、彼女は抵抗することなくそれを受け入れた。

 彼女が私を拒絶したわけじゃなかったことに心底安心している自分に苦笑してしまう。力を抜いてこちらに身を預けてくるのを感じて、ようやく安堵の息を吐きだすことが出来た。


 個室で良かった。彼女もきっとこんな姿を他の誰かに見られたくなかっただろうから。

 制服越しでもわかるほど華奢な肩からは砂糖菓子とはまた違う甘い香りがした。そっと肩を撫でながら、先ほどの言葉を思い返す。

 彼女の望み通り死ねるのならば、それはそれで幸せだろう最も、それも遠い未来であること願うしかないのだが。


 多分、私たちはまだ何も始まっていない。やっとお互いを認識し始めたところで、いうなればスタートを切ったところでしかない。結局何故繰り返しなどという事象が起こったのかも、それがどうしてミランダを中心にしていたのかもわからないままだ。

 でもまぁ、きちんと気持ちを伝えることだけは出来た。このまま二人で進んで行けたらと思う。

 でも今はただ、この温もりを感じていたい。腕の中に収まる小さな存在は、とても小さく見えた。


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