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あなたがくれた甘い痛み


 大した理由があったわけではない。

 ただなんとなく、時間があったから。授業が一コマ分休校になって、たまたまそれがミランダも受講していた授業で。後はもう帰るだけということになってしまったから。理由なんてそんなところだ。

 だから本当になんとなく、その場の流れで普段はしない寄り道なんかをするかとなったんだ。内なるアンが「放課後デートですか!?」と嬉々とした顔で騒いでいるが、多分彼女が期待するような甘い展開にはならないと思う。

 もちろんそうなるならそうなるで、私としては嬉しいとしては思うのだが、現実なんてそう上手くいくはずがない。一応婚約者なんだがなぁ。


 隣にいる婚約者殿を盗み見る。澄ました顔で追従する彼女は初めてあった頃から比べるとずっと大人で、女性らしい魅力に溢れている。まぁ、うん。贔屓目があるのは認めるが、欲に忠実だった某前世、栗栖祐一のお眼鏡に適うものもお持ちである。

 あれも自分ではあるのだが本当にどうしようもない男だなぁ。この世界の元になったゲームをプレイしておきながらシナリオは全部スキップして女性のスチルのみを集めるという特殊な遊び方をしていた。

 奴の胸部にかける並々ならぬ情熱は称賛に値するが、今世である私は残念ながら足派だ。そしてなんの因果か最近ミランダが魅惑の脚部を持っていることが判明した。所謂勝確というやつなのだが、これでどうして甘い展開に移行してくれないんだろうな。


 いつもは送迎の馬車の中から見ているような街並みを実際に歩き目に付いたカフェに入る。確かここは定期的に話題になっているカフェだ。

 季節の果物を使った甘すぎないケーキが女性に人気で、実際に私以外に男性客はいないし何ならちらちらとみられているし若干居心地が悪い。ただこの店には一度着たことがあるのでその時よりは羞恥は少ない。


 天気もいいしテラス席でも良かったのだが、最近は少し気温も下がってきたことだし見晴らしがいいと噂の二階の個室を借りることにする。

 一見して手狭ではあるが、女性が好みそうな淡い色合いの内装も人気の理由なのだろう。私たちが普段使いしている物とくらべると見劣りするが、テラスに置かれているものよりはしっかりとしたソファーに並んで腰掛ける。

 木苺のタルトも良かった私個人としては白ブドウを使ったタルトがおすすめだ。メニュー表を覗き込みながらそんなことを言うと、ミランダと視線が合った。


「お詳しいんですね」

「この間君がサロンに言っている時にギルベルトとレノックスの三人で来た」

「まぁ」


 驚いたような少し呆れたような顔をするミランダに苦笑する。

 まぁそうなるよな、男三人で何しているんだって話だ。女性客に紛れて男三人がテラス席でタルトやパフェをつつく姿はシュール以外の何物でもない。


 そんななんてことのない話をしながら、二人の時間を過ごす。特に意味も内容もない取り留めのない話ばかりだ。

 もっと大切な、やらなければならないことがあるのはわかっているのだが、正直この何でもない時間というのは不可思議な魔力を持っていて停滞を否定したいはずの私ですらこのまま続いてくれたらと願ってしまう。

 暖かい紅茶を一口飲む。香りと甘み、それから微かな渋みが口の中に広がる。


 後、数ヶ月で二人での登下校も終わる。

 予定ではそこからしばらく外で社会勉強をしてからホーネットの家に婿入りする流れだ。せめてその前にはきちんと話さなければとは思う。


 もっと私が出来る男だったら、世界も何もかもうまくいっていたはずだ。

 でも私がそつなく何でもこなせる男だったら、多分私はミランダのことを好きだと気づかなかった。

 だから、出来ないなら出来ないなりに話をしなければならない。


「少し、話がしたい」


 息が詰まりそうになるから、出来るだけ言葉を短く切る。日はまだ高く、大きく設けられた窓からはいつかの様な赤い光は差してこない。

 狭い部屋には二人しかいない。内緒話をするにはこれ以上ないようなロケーションだ。


「今後のこと?」

「いや、君のことだ」


 部屋が手狭で、ソファーに並んで座るタイプの個室で良かった。隣にいるミランダの手を握る。白く細い指が少しだけむずがるように動いたが、握り返してはくれない代わりに力を抜くことで抵抗をやめた。

 このまま、話を聞いてほしい。こちらの言い分ばかり押し付けるような結果になり悪いとは思うが、話さなければいけないことなんだ。

 もう二度と繰り返さない、なんて強い言葉は言えないけど。本当の意味で理解し合うことなんてできないのかもしれないけれど。だが歩み寄ることが出来れば。


「君が繰り返していること」


 息を飲む音がした。

 ゆっくりと困惑からの忌避の表情に変わっていく。まるで聞きたくないというようだった。逃げようとする手を強く掴まえたままじっとミランダを見つめる。

 ああ、これだから嫌だったんだ。多分きっと志向的な意味でも本当は私とミランダは合わない。彼女はかつて自分に向けられる拒絶の感情ですら愛しいと日記に綴っていた。そんなの私には理解できない。

 今だって彼女の示す拒絶に勝手に傷ついているんだから。傷つけているのは、否定しようとしているのは私自身のくせに。


 それでも、話さないといけない。何度も何度も、目の前で彼女が死ぬのを見続けるのが嫌だから。彼女の肯定する停滞を私は否定しなければいけない。

 「何故」とか、「どうして」とか、小さく口ごもるミランダの手をしっかりと握る。逃がさないように、彼女がまたこの手から抜け出してしまわないように。彼女から始めたことだ、なんて言って自分の考えを押し付けようとしている。


「いつだったか、君の日記を見る機会があったんだ」


 あれから色々とあったような、そうでもないような。とにかく、何度も繰り返した。そして目のまえで何度もすり抜けた。それが私にとっての始まりの記憶。

 私が記憶を受け継ぐきっかけになったのはあの日記だった。初めは信じられなかった。手に負えないとも、投げ出してしまおうとも思った。しかし結局ぐるぐると巻き戻って今に至る。

 どうしたいのかもわからない中、どうにもできなくてここまで来た。やっと見つけた答えは感情論で、今更受け入れられるかもわからないものだ。でも嫌いにだけはなれなかったから、だからそんな言い訳ばかりを重ねた不純な言葉で泣き落としの真似事をする。

 今もずっと、私の目のまえでは苦々しい顔でこちらを見つめるミランダがいる。そんな顔初めて見たな。


「……それで、どうしますか」

「うん、その上で聞いてほしいことがある」


 ずっと伝えたかったことがある。他にもやりたかったことや恨み節の様なものもあるが、ずっと温めてきた言葉があるんだ。


「好きだ」

「は」


 もっと詰まるかと思ったが、意外とそうでもなかった。別に気持ちが軽いとかそういうわけではないと思うのだが、思いの外抵抗もなく言葉に出来た。

 やっと言えたという私の安堵とは裏腹に目の前には困惑した顔のミランダがいる。ああ、そんな間の抜けた顔もできるんだな。


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